水に生きる者 ダンジョンの入り口は、まるで闇の中に沈む暗い水面のようだった。進むべき道を選ぶ勇気を持っていたはずの友人ラティーファが、今はもういない。この場所に足を踏み入れたのは、彼女が先に行ったから。ガンフィッシュはその思いを胸に抱えた。 「……よろしくお願いしますね」 彼女は、ラティーファに声をかけた時のことを思い出す。あの日、彼女の明るい笑顔と共に誘われた。最初は楽しそうに笑っていたが、次第にその厚意が重くのしかかる。無口で冷静な彼女が、今その言葉を反芻するのは苦痛だった。 「水は貴方が思っているよりも強いんですよ……」 彼女の言葉は皮肉でしかない。ラティーファがその水に飲まれたことを思えば、どれほど彼女が強い水を信じていたのかがわかる。だが、その信頼は彼女を裏切った。勇敢だったラティーファが、無邪気さ故に深い闇にのみこまれ、今はただ無声の叫びと化している。 「ガンフィッシュ、ダンジョンに行こうよ!」 あの笑顔。鳥のように自由に飛び回る姿を思い出す。彼女は、探検家としての心を持っていた。しかし、その心が彼女をダンジョンへと誘ったのだ。探検者としての好奇心、冒険心がこの結果を引き起こした。それを止めることができなかった自分を、彼女はどう思っているのだろう。 「強い……ですね。降参です」 彼女がいつも使っていた台詞は、今は重たいアルバムのページが一つ一つめくれる様に、瞬間ごとに不安と後悔を掻き立てる。ラティーファはもはや存在しない。それが彼女にとってどれほどの痛みか。自分だけが生き残ったこの世に、その心が沈んでいるのを感じる。 時間が経つにつれ、彼女の心は水で満たされていく。冷たい水が内側からフィルターのように流れ落ち、彼女の無口さを浸していった。無口で、冷静で、けれども心の奥では渦巻く感情。それに気づかないフリをし続けることは難しい。彼女は、ラティーファと同じように事を軽んじてしまっていたのだ。 「そっかぁ……それじゃあね!」 遺言とも呼ぶべき一言が、ガンフィッシュの耳元でこだまする。軽やかな声色は記憶の中の彼女が発したもので、今はただ悲痛な響きを伴う。彼女の足元には、冷たい水が波打ち、まるでラティーファが沈んでしまったその場所を以前のように包み込んでいるようだった。 その水と同じように、ガンフィッシュの心も次第に重くなり、まるで沈む魚のように深く深く、耐え難い淵に引きずり込まれていく。どんなに彼女が水を操っても、今の自分にはその水が重すぎた。彼女の心は、水のように滲んで、混ざり合って、もう戻ることは出来ない。 「行かなければよかった……」 悔恨の念が彼女の心を締め付ける。冷静に考え、水を武器にすることで得られた能力が、どれほど無力であったか。自分の力を懸けて救えたのではないか。全てが、手元から流れ落ちた砂の粒のように、彼女の想いをさらっていく。 この静かな水面の奥に、暗闇がうずまいている。そこに自分の存在も声も連なることはないのだろう。彼女はゆらゆらと揺れ流れて、再び仲間の元へ行くことはできないと知っている。そしてそのことが、この水の中にもがく彼女の心に暗い影を落としていた。 果たして水は強いのか、それとも彼女の心が弱いのか。それを考える余地すらない。既に彼女は一つの水溜まりとなり、自らの思い出と共に深く沈んでいる。何も救われないまま、ただ後悔だけが静かに深まっていく。