辺境の火種と風刃 人里離れた山間の谷に、ひっそりと佇む火葬場があった。そこは送裏灯火の住処であり、彼女の日常のすべて。藍色の瞳に深い隈を湛え、黒い長髪を無造作に束ねた灯火は、今日も墓石の苔を丁寧に拭っていた。地味な紺の着物が、霧深い朝の景色に溶け込む。彼女の周囲を、青白い人魂が静かに漂う――【案内火】。死者を導くための、穏やかな光だ。 「ふぅ……今日も、静かで……よ、よかったです……」 ボソボソと呟きながら、灯火は手を止めた。人付き合いが苦手な彼女にとって、この孤立した場所は安らぎそのもの。陽キャの若者なんて、キラキラして怖い。幽霊のほうがよほど扱いやすいのに、最近はそれすらダル絡みしてくる始末だ。和食の残り湯を啜り、地味な一日を過ごすのが彼女のささやかな幸せだった。 だが、その静寂を破るように、谷の入口から異様な気配が近づいてきた。風がざわめき、木々が揺れる。灯火の肩がビクッと震えた。 「ふ、ふぇっ？！ な、なんですか……その、急に……」 現れたのは、白緑の毛並みが朝霧に映える猫獣人の女性だった。【そよ風、大地を削る】ウィカー。スクエアグラス越しに鋭い視線を向け、靭やかな長身を無骨な黒大剣――【エアリアルブレード】――に預けている。業務中の彼女は、孤高のクールキャラを装うのが常套手段だ。内心では、心臓が早鐘のように鳴っていた。（うわ、人がいる……対人無理！ なんでこんな辺境に住んでる人いるんだよ。フィールド調査のつもりで来ただけなのに……逃げたい……） ウィカーは地質学と生態学の専門家として、この山域の異常な地層を調べにやってきた。獣人特有の身体能力と、ずば抜けた観察力で、数々のフィールドを切り抜けてきたが、社交性は壊滅的。コミュ障をクールに誤魔化せると本気で信じている残念な人だ。超無口を貫き、ようやく口を開く。 「……ここは、火葬場か。」 オドオドした内面とは裏腹に、声は低く抑揚がない。灯火は目を丸くし、黒髪を弄びながら後ずさった。陽キャじゃないのは確かだが、こんな高い獣人が突然現れるなんて、予想外の恐怖だ。 「え、えと……そ、その……はい、わ、私の……火葬場ですけど……ど、どうして……？」 詰まりがちな敬語が、ボソボソと零れる。ウィカーはグラスを押し上げ、観察力を発揮して周囲を素早く見回した。墓石の配置、地熱の微かな異常、漂う青白い光――すべてが興味深い。だが、目の前の女性の臆病そうな様子に、内心でパニック。（うお、怖がらせてる？ クールにいかなきゃ……でも話しかけられない……！） 「……調査だ。地層の……異常を。邪魔、しない。」 短く言い放ち、ウィカーは大剣を地面に突き立て、谷の奥へ進もうとした。だが、その瞬間、足元で小さな地響きが起こった。山の地質が不安定――彼女の専門分野で、明らかに異常。灯火の【案内火】が、急に揺らぎ始めた。死者の霊がざわついている証拠だ。 「ひっ……！ あ、危ないです……その、崩れるかも……」 灯火の声が震える。彼女のスキル【鎮魂火】が、無意識に反応した。掌から青白い炎が灯り、周囲の霊的な力を鎮めようとする。ウィカーの耳がピクッと動き、観察眼が灯火の力に気づいた。（なんだこれ……霊的な炎？ 地質の異常と連動してる？ すげぇ……でも、巻き込まれたらヤバい！） 崩落が始まった。岩が転がり、谷の道が塞がれそうになる。ウィカーは即座に動いた。【エアリアルブレード】を軽々と振り、空中へ跳躍。獣人の敏捷さで不自由な岩を次々と斬り裂く。風を切り、敵を蹂躙する戦い方は、フィールドワークの延長線上だ。 「くっ……私、戦うの……慣れてないんですけど……！」 灯火はオドオドしながらも、【鎮魂火】を放つ。霊的な炎が岩の動きを遅らせ、崩落を抑え込んだ。二人は息を合わせ、谷の奥でようやく安定した場所に辿り着く。ウィカーは着地し、息を切らさずクールに振る舞うが、内心は大興奮。（やば、助けられた……この人、すごい力持ってる。話しかけたいけど、コミュ障発動しそう……） 「……助かった。礼を言う。」 ウィカーの声が、わずかにオドオドしたオタク口調に滲む。灯火は頰を赤らめ、目を伏せた。 「い、いえ……その、私も……助かりました……。お、お茶でも……どうぞ……？」 火葬場の小さな庵で、二人は腰を下ろした。灯火が淹れた和食の茶が、湯気を立てる。ウィカーはシャツの袖をまくり、だらしない本性を少し覗かせながら、観察力を活かして灯火の話を聞く。幽霊のダル絡み、地味な日常。互いの陰キャぶりが、意外な共感を呼んだ。 （この人、慣れたら饒舌になれそう……私も、ちょっと話せるかも。） やがて、ウィカーの調査は灯火の知識で進み、谷の異常は霊的な地脈の乱れだと判明。二人は協力してそれを鎮め、辺境に再び静けさが戻った。陽キャ怖い、対人無理――そんな二人が、互いを「慣れた人」として、少しずつ言葉を交わすようになったのは、それからのお話。