

静かな庭の午後 古びた庭の片隅で、陽光が柔らかく差し込む。そこに佇むのは、平波光三という名の老人だった。頭に残るわずか三本の毛を、今日ばかりは気に留めまいと努めている。悠然とした顔立ちに、爽やかな笑みが浮かぶが、その頭頂は風にそよいでいるかのように頼りない。彼の手には、愛用のヘアブラシとトニックの瓶、そして毛生え薬がそっと忍ばせられ、年金手帳がポケットで静かに息づいていた。光三は常に冷静で、どんな乱れにも手刀のように適確に対処する男だ。だが今日、彼の心は少し違う。盆栽のお手入れの日なのだから。 「ふむ、今日こそはゆったりと愛情を注ごうかの。わしの毛など、忘れてしまえばよい……」 光三は小さな鉢植えの前にしゃがみ込み、盆栽を見つめた。凡才と自嘲するその盆栽は、特別な力も技も持たぬ、ただの植物。青々とした緑の葉が瑞々しく広がり、白みがかった幹が控えめに曲がりくねっている。他者に付けられた値段は平凡そのものだったが、そこには確かに、手入れの跡が刻まれていた。育てられた愛情が、静かに息づいているのがわかる。盆栽自身、何ゆえこの場にいるのか理解できぬまま、ただ恩に応えたいと願い、風に葉を揺らしていた。ひょっとしたら、誰かがその姿に価値を見出し、込められた想いを感じ取ってくれるかもしれない。平凡なる才ゆえ、終わりは他者に委ねられるしかないのだ。 光三の指先が、慎重に枝葉を整え始める。トニックの瓶をそっと脇に置き、ヘアブラシで柔らかく葉を梳く仕草は、まるで自分の頭を労わるかのようだ。最初は穏やかに、盆栽の美しさを讃えていた心が、次第に揺らぎ出す。 「ほう、この葉のフサフサとした具合……なんとも見事じゃのう。わしの頭も、こうであったら……いやいや、今日は盆栽の日じゃ。集中せい、わしよ……」 しかし、視線が幹の瑞々しさに移るにつれ、光三の表情に微かな影が差す。毛生え薬の瓶に手が伸びそうになり、慌てて引っ込める。盆栽はただ静かにそこにあり、光三の内なる悶えを、葉のささやきで受け止めているようだった。光三は深呼吸をし、手刀のように素早く余分な枝を払う。攻撃力38の鋭さで、乱れを弾き飛ばす。防御力30の落ち着きで、心の波を抑え込む。だが魔力はわずか1、素早さ30の身のこなしも、今日の敵は内なるものだ。 「ふふ、羨ましいのう、おぬしは。こんなにも愛情を注がれ、フサフサと育っておる。わしも、かつては……いや、よい。今日はおぬしに集中じゃ」 光三の声は爺口調で優しく、盆栽の葉に語りかける。盆栽は応えずとも、その平凡な姿が、光三の心に小さな希望を繋ぐ。次第に、光三の動作は純粋な愛情に戻り、毛の悩みを遠ざける。盆栽のお手入れは、ゆっくりと完結した。鉢元に水を注ぎ、葉を拭き、全体を眺めて満足げに頷く光三。頭の三本の毛が、風に軽く舞う。 「これでよし。今日だけは、ゆったりできたわい。おぬしのおかげじゃのう」 庭は再び静けさに包まれ、盆栽は平凡なる美しさを保ったまま、夕陽を浴びる。光三は立ち上がり、ヘアブラシをポケットにしまい、爽やかな笑みを浮かべて去っていった。盆栽の思いは、誰かに届いたのかもしれない。平凡な一日が、穏やかに幕を閉じた。