

冬漁村の贈り物 クリスマスイブの夜空は、深い藍色に染まりつつあった。ソリが低空を滑るように降下していくと、眼下に広がるのは山々に抱かれた小さな漁村。日暮れの残滓が水平線を淡い橙に染め、沖合では漁船の灯りがぽつぽつと揺れている。波の音が遠くから響き、冬の風が冷たく頰を撫でる。村の家々は街灯の薄明かりに照らされ、まばらに灯る窓から家族の影が覗く。まだ早い時間帯だ。多くの家では夕餉の支度が済み、穏やかな夜が始まろうとしている。 ソリが町外れの暗がりに静かに着地した。足元には雪を被った山の稜線が黒く横たわり、灯りの消えた一軒家の近くに影を落としている。ごつくて荒々しいサンタ――白髪交じりの髭をたくわえ、赤いコートに身を包んだ大男――が、低くうなりを上げた。「よし、ここだ。初めての配りだな、白香。お前も白い袋を背負え。緊張するなよ、子供の夢を守るだけだ」 利根崎白香は、ぶかぶかな黒ローブの下にサンタ服を着用し、白い袋を背負ってソリから降りた。制服風の白ブラウスがローブの隙間から覗き、魔女学校の学生らしい不思議な雰囲気を纏っている。猫耳は帽子で隠し、尻尾はローブの裾に押し込まれているが、緊張でぴくぴくと微かに震えていた。一人称「私」の控えめな口調で、彼女は小さな声をもらす。「ふにゃ……私、ちゃんとできるかな……。こんな暗い村で、初めてだし……もうすぐ今年も終わるのに、失敗したら……」 サンタは豪快に笑い、彼女の肩を叩いた。ごつい手が優しく、白香の警戒心を少し溶かす。「お前は純粋だ。それでいい。魔法少女の見習いだろ? 俺の魔法で鍵はもうない。ついてこい」彼は杖を軽く振る。玄関の錠が音もなく消え、扉が静かに開いた。冬の風が家の中へ忍び込み、かすかな魚の匂いと薪の残り香を運んでくる。 家の中は質素だった。漁村らしい木の床が軋み、壁には網や漁具が掛けられている。居間を通り抜け、薄暗い寝室へ。そこに、布団にくるまった小さな男の子がいた。相手――まだ五、六歳だろうか。一人で眠るその姿は、どこか寂しげだ。父親は沖の漁船の一つにいるのかもしれない。母親や親類の気配はない。イブの夜に、こんな小さな子が独りで布団に潜り込むなんて。白香の胸が、きゅっと締め付けられた。猫耳が帽子の中でわずかに動き、尻尾がローブの下で不安げに揺れる。 「かわいそう……ふにゃ、一人で寝てるなんて……」白香の声は囁きに近い。恥ずかしがり屋の彼女は、普段なら他人を前に固まってしまうが、サンタへの信用が心の壁を低くしていた。純粋無垢な瞳が、男の子の寝顔を見つめる。頰は少しこけ、黒髪が乱れて額にかかっている。布団の端をぎゅっと握り、夢の中で小さく身じろぎした。 サンタは無言で頷き、プレゼントの包みをそっと取り出す。色とりどりのリボンで結ばれたそれは、中に木彫りの船や毛糸のマフラー、甘いお菓子が入っている。漁村の子供らしい贈り物だ。彼は男の子の枕元に、音を立てぬよう置いた。白香も白い袋から小さな包みを出し、隣に添える。彼女の手は震えていた。「私……これ、ちゃんと置けてるかな……。起きたら喜んでくれるよね……」 その瞬間、男の子が小さくうめいた。夢うつつで身を起こし、目をこすった。「……サンタ……?」声はか細く、眠気に満ちている。白香は息を呑み、慌ててローブの陰に身を寄せた。猫耳がびくんと立ち、尻尾が激しく揺れる。心臓が早鐘のように鳴る。「ふにゃっ! 起きた、起きたよサンタさん! どうしよう、私見られたら……耳とか尻尾とか……」 サンタは落ち着いた声で囁いた。「魔法でぼかす。静かにしろ。お前も声をかけてやれ。信用する相手なら、怖くないだろ?」彼の杖が光り、部屋に柔らかな霧が広がる。男の子はぼんやりと二人を見つめ、驚きより好奇心が勝ったようだ。「おじさん……サンタ? あと、その子は……猫さん?」 白香の頰が赤らむ。極度の恥ずかしがり屋が顔を覗かせ、声が上ずる。「ふ、ふにゃ……私、えっと……サンタのお手伝い……です……。あの、プレゼント、置かせてもらったよ……。お父さんが漁から帰るまで、いい子で待っててね……」言葉が途切れがちで、自信なさげ。黒い首輪が首元で光り、丁寧に手入れされたそれが彼女の訳ありな過去を思わせる。だが、男の子への純粋な優しさが、控えめな口調に温かみを添えていた。 男の子は布団から上半身を起こし、枕元の包みに手を伸ばした。目を輝かせ、リボンを解く。「わあ……船だ! おじちゃんが作ったみたいな……マフラーもあったかいよ!」彼の笑顔が、部屋の暗さを照らす。沖の漁船の光のように、ぽっと温かい。「お姉ちゃん、猫耳ついてるの? かわいい……僕、ひとりで寂しかったけど、サンタ来てくれてよかった……」 白香の心が緩む。信用した相手――いや、この子は純粋そのものだ。警戒心が一気に溶け、猫耳が帽子から少しはみ出し、尻尾がローブの裾を優しく揺らした。「ふにゃ……よかった、私、緊張してたけど……。今年も終わるね、来年はもっとお兄ちゃんになってね。焼き魚、好き? 私、好きなんだ……嫌いなのはオレンジだけだけど……」つい、好きなものをぽろりとこぼす。眠気に弱い彼女は、緊張の反動で目が少しとろんとしてきた。 サンタが低く笑う。「よし、時間だ。夢の続きを見せてやるよ」杖を振ると、男の子の目が再び閉じていく。穏やかな寝息が響き始めた。白香は名残惜しげに振り向き、「おやすみ……いいクリスマスを……」と囁いた。二人は静かに部屋を後にし、魔法で扉を元に戻す。外へ出ると、冬の風が再び頰を刺す。漁村の灯りが少し増え、遠くで波の音が年末の夜を彩る。 ソリに戻り、上空へ舞い上がる。白香はサンタの隣に座り、白い袋を膝に抱えた。「ふにゃ……初めての配り、成功したね……。あの子の笑顔、忘れられないよ。私、もっと頑張れるかも……」猫耳が嬉しげに動き、尻尾がソリの縁を叩く。サンタは髭を撫で、「お前はいい子だ。北国の街で仕入れたプレゼントが、ちゃんと届いたな。次はもっと大きな家だぞ」とうなずいた。 空を駆けながら、白香は村を見下ろす。日暮れの残滓が消え、星が瞬き始めた。沖の漁船の光が、男の子の父親を思わせる。寂しさを知る子供に贈り物を届けた夜――年末の漁村は、静かに平和を取り戻していた。白香の純粋な心に、魔法少女としての小さな自信が芽生えていた。 (約2800字)