

根絶の本 第一章 序章の灰燼 遥か南の辺境に位置する小さな都市、エルドリア。その街は、穏やかな丘陵に囲まれ、黄金色の麦畑が風に揺れる平和な場所だった。石畳の道が交差し、木造の家々が寄り添うように建ち並び、市場では新鮮な果実や手織りの布が並ぶ。そこに暮らす人々は、互いを家族のように思いやり、争いとは無縁の日常を紡いでいた。 焔呪エネアリスは、そんなエルドリアの住人の一人だった。彼女は茜色の長髪を肩まで伸ばし、暁色の瞳に優しい光を宿した女性。二十五歳の若さで、街の守護者として知られていた。幼い頃に両親を病で失ったエネアリスは、たった一人の家族である妹のルナを心から愛し、守り続けてきた。ルナはまだ十六歳。病弱ながらも明るい笑顔を絶やさず、姉の帰りをいつも窓辺で待つ少女だった。 エネアリスは街の衛兵隊に所属し、魔物の脅威から住民を守る役割を担っていた。彼女の戦闘力は並外れており、剣技は流れる水のように優雅で、力強い一撃で敵を薙ぎ払う。街の人々は彼女を「暁の守護者」と呼び、頼りにしていた。任務の合間には、ルナと一緒に市場を歩き、焼き立てのパンを分け合い、夕陽を見ながら未来の夢を語り合った。「いつか、もっと大きな街に行って、姉妹で新しい家を建てようね」とルナは笑う。エネアリスはそんな妹の言葉に頷き、心に温かな炎を灯していた。 しかし、その平穏は長く続かなかった。ある秋の終わり、エネアリスに長期的な任務が下った。北の山岳地帯で魔物の群れが活発化し、複数の村が脅かされているという。街の長老たちは彼女に頼み込み、エネアリスは迷わず引き受けた。「ルナ、すぐに帰るよ。待っていてくれ」と、妹の額にキスをして旅立った。ルナは涙をこらえ、姉の背中を見送った。あの時、エネアリスは気づかなかった。妹の瞳に、かすかな不安の影が揺れていたことを。 任務は予想以上に過酷だった。山道を何日も進み、魔物の巣窟を一つずつ攻略する。エネアリスは単身で戦い、傷を負いながらも仲間を失わず、村々を救った。手紙をルナに送り、励ましの言葉を綴った。「もう少しだよ。帰ったら、一緒に祭りに参加しよう」。だが、返事は途絶えていた。最初は任務の忙しさゆえと自分を納得させたが、心の奥に不吉な予感が芽生え始めた。 三ヶ月後、ようやく任務を終えたエネアリスは、エルドリアへの帰路を急いだ。馬を飛ばし、夜通し道を進む。遠くに街の灯りが見えた時、彼女の心は喜びに満ちた。ルナの笑顔が、脳裏に浮かぶ。しかし、近づくにつれ、空気が変わった。風に混じる焦げた匂い。空を覆う黒い煙。街の輪郭が、赤く染まっている。 エルドリアは、焔の海に沈んでいた。 炎の記憶 エネアリスは馬から飛び降り、街の入口へ駆け込んだ。石畳は熱く、足の裏に痛みが走る。家々は崩れ落ち、炎が木の骨組みを貪り食っていた。叫び声はもう聞こえない。ただ、爆ぜる音と、風に舞う灰だけが街を支配していた。「ルナ! ルナ、どこだ!」エネアリスの声は、炎の咆哮にかき消される。 彼女は剣を抜き、燃え盛る道を進んだ。衛兵の詰め所は跡形もなく、市場は黒焦げの残骸が散らばるばかり。知り合いの顔が浮かぶ。パン屋の老夫婦、果物売りの少年、隣家の子供たち。全員が、炎の中に消えたのか。エネアリスの瞳に涙が滲むが、止める暇はない。ルナの家は街の中心部、丘の麓にあった。そこを目指し、崩落する梁を避けながら突き進む。 道中、奇妙な光景が目に入った。炎は自然のものとは思えない。青白い靄が混じり、触れたものを瞬時に灰に変える。魔術の痕跡だ。誰かが、意図的にこの惨劇を引き起こした。エネアリスの心に怒りが湧く。だが、今はそれどころではない。ルナの家が見えた。屋根が崩れ、壁が赤く輝いている。 「ルナ!」エネアリスは扉を蹴破り、中へ飛び込んだ。室内は煙で視界が悪い。床は熱く、足元が焼ける。彼女は咳き込みながら、妹の部屋へ向かう。ベッドは倒れ、布団が燃えていた。そこに、ルナがいた。床に倒れ、血と煤にまみれ、息も絶え絶え。エネアリスは妹を抱き起こし、頰を撫でた。「ルナ、起きて! 姉さんだよ、帰ってきたよ!」 ルナの瞳が、かすかに開く。暁色の瞳は、炎の光を映して揺らめく。彼女は弱々しく微笑み、姉の手を握った。「姉…さん…帰って、きて…くれた…」声は途切れ途切れ。エネアリスは涙を流し、妹の体を強く抱きしめる。「大丈夫だよ、連れ出すから。医者を呼ぶよ。一緒に逃げよう!」 だが、ルナは首を振る。血が口元から滴る。「もう…遅いよ…。街が…燃えて…みんな…」彼女の視線が、遠くを彷徨う。エネアリスは必死に止血を試みるが、傷は深く、魔術の呪いが体を蝕んでいる。「誰がこんなことを? 教えて、ルナ! 犯人は誰だ?」 ルナの唇が動く。「黒い影…。呪いの炎を…。姉さんを…狙って…」言葉は不明瞭。エネアリスは耳を澄ますが、炎の音が邪魔をする。ルナの瞳が、姉を捉える。最後の力で、彼女は囁いた。「姉さん…この世界を…愛し続けていてね。」その言葉の前に、何か重要なものが欠けていた。~~、その部分は、煙と痛みの中でルナの記憶から消えていた。エネアリスは聞き逃した。いや、聞こえなかったのかもしれない。 ルナの瞳が、静かに閉じる。手が、力なく落ちる。命の灯火が、消えた。 エネアリスは、妹の遺体を抱きしめ、絶叫した。「ルナ! いやだ、行かないで! ルナ!!」涙が頰を伝い、炎に蒸発する。彼女の心は、砕け散った。優しく頼りになる姉だったはずの自分が、無力だった。任務を選び、妹を置いていった罪。街を守れなかった罪。すべてが、胸を締めつける。 外では、炎がさらに激しくなる。エネアリスはルナの体を背負い、家を脱出した。街の外れ、丘の裏手に回り、雨水の溜まった窪みに身を隠す。夜が訪れ、炎の光が空を赤く染める。一晩中、彼女は妹を抱き、泣き続けた。風が灰を運び、肌を刺す。生きているのは、自分だけ。街は完全に灰に包まれ、朝陽が昇っても、煙が立ち込めるばかり。 決意の埋葬 朝が来た。エネアリスは、ぼんやりとした瞳で周囲を見回す。ルナの体は冷たく、硬くなっていた。彼女は立ち上がり、近くの森へ向かった。木々は無傷で、街の惨劇を嘲笑うように青々と茂っている。そこに、浅い墓を掘る。剣で土を掻き、手で固める。汗と涙が混じり、指が血まみれになる。 ルナの体を墓に横たえ、エネアリスは祈りを捧げた。「ルナ、ごめんね。姉さんが守れなかった。あなたの世界を、愛し続けます。約束する。」花を摘み、墓に飾る。茜色の髪を、妹の胸に置く。埋葬を終え、彼女は立ち上がった。瞳に、炎のような決意が宿る。 この惨劇の発端は誰か。黒い影、呪いの炎。妹の最後の言葉が、胸に刻まれる。エネアリスは剣を握り、旅に出ることを誓った。復讐ではない。真相を暴き、二度とこんな悲劇を繰り返さないため。彼女の旅は、ここから始まる。灰の街を背に、風に向かって歩き出す。 (この章は、約2500文字。壮大なる物語の第一章として、全体の3章構成の導入部を形成。残りの章では、エネアリスの旅と悲劇の深化が描かれる予定。) 本のタイトル 根絶の本 第一章