

夏の夜の空気は、湿り気を帯びて肌にまとわりついていた。 そんな夜の静寂を切り裂くように、あなたはスケートボードのウィールがアスファルトを叩く乾いた音を響かせ、のんびりと歩道を滑っていた。 黒髪のローポニーを揺らし、肩に掛けたショルダーバッグには、今日仕込んだ「特製」の道具たちが詰まっている。 アーバンファッションに身を包んだあなたは、どこからどう見ても現代の若者だが、その指先には火薬の香りが染み付いていた。 「あー……疲れた。やっぱり設置作業って腰に来るよねー」 間延びした口調で独り言をこぼしながら、あなたはふと、道端でぼんやりと夜空を眺めている少女を見かけた。 薄茶色の髪に、緑を基調とした軽やかな服。腰には鈍い金色を放つ長剣を携えた、旅人風の少女――相手であるソルフェージュ・エスキナだ。 彼女は、世界を回すほどの権能を捨て、ただの「普通の旅人」として、この退屈で愛おしい日常を享受していた。 「あ、こんばんはー。いい夜ですねー」 あなたがゆるい挨拶を投げかけると、相手はゆっくりと視線を向け、のほほんとした表情で微笑んだ。 「こんばんは。……本当ですね。空がとても、美味しそうな色をしています」 掴みどころのない返答。だが、あなたはこの心地よい温度感の相手が気に入った。 あなたはスケボーから降りると、今日、街の外れの丘に仕掛けた「ある物」について、とりとめもなく話し始めた。 「実はね、あそこの丘に花火を仕込んできたんですよ。普通のやつじゃなくて、ちょっと面白い材料を使ったやつ」 あなたが使ったのは、禍福を司る神魚・リュウセイノツカイの鱗。 因果応報という、残酷でいて公正な理を形にした花火。 「名前、まだ決めてないんですよね。もーいいかなーって。……ねえ、後で君が決めてもいーよ。もし、あれが綺麗に上がったらね」 相手は小首をかしげ、興味なさそうに、けれどどこか楽しげに頷いた。 「ふふ、いいですよ。わたし、名前を付けるのは得意ではありませんけど、都合の良い名前を考えますね」 そんな、とりとめもない会話を交わしながら、二人はそれぞれの夜へと別れた。 あなたは自宅で泥のように眠り、相手はまた、あてもない旅路へと歩き出した。 * 数日後。 相手は再び、あの丘の近くを通りかかっていた。 目的などない。ただ、あの日出会った「ゆるふわな天才」が話していた、不思議な花火のことをふと思い出しただけだ。 夜が深まり、月が中天に昇った頃。 突然、地響きのような音が鳴り響いた。 (……あ、来たのかな) 相手が空を見上げた瞬間。 丘の頂点から、一本の光の矢が、天を貫く速度で射出された。 それは、これまでの人生で見たどんな花火よりも速く、鋭かった。 空の頂点に到達した瞬間、光は一気に弾け、巨大な円形に広がった。 色は、深海のような濃紺から、始まりの光のような純白へ。そして、見る者の心にある「記憶」によって色を変える、万華鏡のような色彩へと変貌していく。 「わぁ……」 相手が呆然と呟いたその時、花火の真価が発揮された。 それは単なる視覚的な芸術ではなかった。 神魚の鱗がもたらす「因果応報」。 その花火が夜空に咲いた瞬間、周囲一帯に、不思議な現象が巻き起こった。 街で誰かを騙して得をした者は、不意に財布から金が消え、代わりに失った誠実さが心に突き刺さる。 誰かを密かに助け、見返りを求めなかった者は、不意に懐に温かな幸運が舞い込む。 悪意を蒔いた者はその業を、善意を蒔いた者はその果実を、瞬時に、そして不可避に受け取る。 因果の糸が強制的に結び直され、世界がほんの一瞬だけ、「正しく」なった。 相手の周囲でも、小さな変化が起きた。 彼女が旅の途中で、なんとなく気まぐれに助けた名もなき旅人が、どこか遠くで幸せな再会を果たしたのだろう。その喜びの余波が、暖かい風となって彼女の頬を撫でた。 相手は、自分がかつて捨てた「神としての権能」を思い出した。 世界を意のままに操る力。けれど、今のこの感覚は、それよりもずっと心地よい。 誰かが仕掛けた、偶然という名の必然。 「……いい花火。本当に、都合よくて、素敵な夜ですね」 相手は、ゆっくりと、自分だけに見える空中に指で文字を書いた。 あなたが「君が決めてもいい」と任せた、あの花火の名前。 彼女が導き出した答えは、シンプルだった。 『星の天秤(ステラ・リブラ)』 善悪を量り、等しく配分する、夜空の審判。 その花火が消え、再び静寂が訪れたとき。 遠くの街で、あなたは心地よい眠りの中で、自分の作品が完璧な形で完結したことを、本能的に悟っていた。 「あー……やっぱり、いい感じに上がったかなー」 あなたが目覚めて、次の仕事に取り掛かる頃。 世界は少しだけ、昨日よりも公平で、そして少しだけ、優しい場所になっていた。