

柔らかな陽光が降り注ぎ、色鮮やかな花々が咲き誇る庭。しかし、一歩その敷地を外れれば、視界を塗り潰すような深い白霧が世界を遮断していた。その不可解な境界線に、あなた――サン・バリュームは、ジト目で空を仰ぎ、小さく溜息をついた。 「……不思議な場所ですね。外はあんなに真っ白なのに、ここは春のように暖かい。効率的な隔離空間か、さもなくば質の悪い幻想か」 端的な口調でそう呟いたあなたの傍らでは、紫色の髪を揺らした少女、シランがぴょんぴょんと跳ね回っている。 「ねえねえ、あなた! ここ、いいところでしょ? 先生が作ってくれた最高のお家なんだよ!」 「ちょっと、シラン! そんなに急いだら転ぶわよ。……ごめんなさい、あなた。この子、いつもこうで……」 小動物のように身を縮めたユナが、困り顔であなたをフォローする。その光景を眺めながら、あなたは腰に下げた巨大な毛筆の感触を確かめた。すると、不意に背後から、薔薇を口に咥えた半裸の男が、不自然なほどに艶やかな笑みを浮かべて囁いた。 『ふふふ……この静謐なる庭園に、君という一筆が加わることで、芸術は完成する……!』 (誰ですかコイツ……) 心の中で冷徹に切り捨てながら、あなたは案内されるままに庭の奥へと歩を進めた。そこには、大きな古木の根元に腰掛け、一人の幼い少年に本を読み聞かせている金髪の少年がいた。 「――だから、この物語の主人公は、勇気を持って一歩を踏み出したんだよ。ラウル、君もね、新しい場所でたくさんのお友達を作れるはずだ」 穏やかな声。少年の隣には、好奇心に満ちた目で本を見つめる年少の孤児、ラウルがいた。少年があなたたちの訪れに気づき、ゆっくりと本を閉じて立ち上がる。その表情はどこまでも澄んでおり、慈愛に満ちていた。 「こんにちは。僕はフォルス。ここでは最年長として、みんなの面倒を見ているんだ」 フォルスは静かに微笑み、あなたを歓迎した。その佇まいは、実年齢よりもずっと大人びていて、どこか儚い空気を纏っていた。 「あ! フォルス兄ちゃん! お客さんを連れてきたよ!」 シランが弾けるような笑顔でフォルスのもとへ駆け寄る。フォルスは優しくシランの頭を撫で、あなたへと視線を向けた。 「ようこそ、『叡智の家』へ。院長のアドニス先生から、客人が来られるとは聞いていました。不慣れな案内だったかと思いますが、心地よく過ごしていただけていますか?」 「ええ。至極快適です。ただ、屋外の霧の密度が異常な点を除けば」 あなたの淡々とした回答に、フォルスは不思議そうに小首をかしげたが、特に疑問に思う様子はなかった。彼らにとって、この境界線は日常の一部なのだろう。 すると、隣で見ていたシランが、突然寂しげに唇を尖らせた。 「いいなぁ……ラウルは里親さんが決まったんだよね。私も、誰かに『おいで』って言われたいなぁ。あなた、私を連れて行ってくれたりしない?」 天真爛漫な言葉。だが、その裏にある孤独を、ユナが慌てて遮る。 「し、シラン! いきなりそんなこと言うもんじゃないわ! ……あなた、ごめんなさい。でも、私……知らない人に連れて行かれるなんて、怖くて考えられないわ……」 ユナが震える声で呟く。そんな彼女たちの対照的な反応を、フォルスは静かな眼差しで見守っていた。彼はラウルの小さな手を優しく握り、諭すように言った。 「大丈夫だよ、ユナ。新しい家族に出会うことは、きっと素晴らしいことだ。僕も……かつて院長先生に救い出されたとき、世界がこんなに温かいものだということを知ったから」 (……あ〜ん! 良い子すぎて眩しいじゃない☆) 不意に、姉であるヤンの幻聴が脳内に響き渡る。あなたは眉をひそめ、耳を塞ぎたい衝動に駆られた。そこに再び、半裸の男が割り込んでくる。 『愛! そう、これは愛の物語だ! 離別と再会、そして幸福への渇望……! ああ、今すぐにでもこの情景をキャンバスに叩きつけたい!』 (本当に、消えてください) あなたは心の中で深く溜息をつき、もはや諦めの境地でフォルスを見た。彼は、自分の過去に触れたときでさえ、悲しみではなく、感謝に満ちた表情をしていた。 「ラウル、そろそろ行こうか。お別れの準備をしないといけない。最後に、もう一度だけ庭を散歩しよう」 フォルスが優しくラウルを促す。里親に引き取られる前の、最後のひととき。その丁寧な振る舞いには、彼が理想とする「人を幸福に導く存在」への強い意志が宿っていた。 「うん! フォルス兄ちゃん、ありがとう!」 ラウルが元気よく答え、フォルスの手にしがみつく。二人がゆっくりと家の方へ歩き出した。 その去っていくフォルスの背中を、シランがじっと見つめていた。いつもは賑やかでマイペースな彼女が、今は何も言わず、ただ静かに彼を見つめている。 その瞳には、なぜか深い哀しみが宿っていた。まるで、遠い昔に失った何かを悼むかのような、切ない表情。 「……どうしたの、シラン?」 ユナが不安そうに問いかけるが、シランはふっと視線を外し、いつものふわふわとした笑顔に戻った。 「……ううん、なんでもないよ! さあ、あなた! 次はあっちの部屋を見せてあげるね!」 彼女自身、なぜ自分が今、あのような気持ちになったのか分かっていないようだった。ただ、風が吹き抜け、庭の木々がざわめく。 あなたは、消えゆくフォルスの背中と、それを追う正体不明の寂寥感を、水墨画の濃淡のように心に刻み込んだ。 「……行きましょうか。案内役としての職務を完遂してください」 あなたは端的に告げ、再び歩き出した。背後では相変わらず、薔薇を咥えた不審者が「芸術的だ!」と叫んでいた。