

深い霧が外界を白く塗り潰しているというのに、この「叡智の家」の敷地内だけは、まるで陽だまりに包まれたように穏やかな光に満ちていた。 あなたはシランとユナの案内で、色とりどりの花が咲き乱れる庭を歩いていた。ふわりとした足取りで先導するシランと、その背中を不安げに追いかけるユナ。そんな平和な光景を切り裂くように、前方から激しい「風切り音」が響いた。 「ふんっ! せいっ!!」 気合のこもった少年の声と共に、一本の木の枝が鋭い軌跡を描いて空を斬る。そこにいたのは、茶髪を揺らして一心不乱に型を繰り返す少年、グラスだった。 シラン「あ、グラスくんだー! ねえねえ、見て見て! お客さんが来たよー!」 ユナ「もう、シラン! いきなり大声を出すなよ……っ。あ、あの、グラス。ちょっといいかな」 グラスは勢いよく振り抜いた枝を止め、跳ねるようにあなたの方を振り返った。その瞳には、少年らしい純粋な好奇心と、負けず嫌いな闘志が宿っている。 グラス「お客さん? へぇ、なんだか不思議な格好してるね! 特にそのデカい筆……なんだか強そうに見えるぞ!」 あなたはジト目で彼を見つめる。童顔ながらも、その視線には一切の妥協がない。 サン「……ただの筆です。それより、あなたのその木の枝こそ、相当な執念を感じますが」 グラス「へへん! これは僕の聖剣なんだぜ! 世界を旅する剣士になるために特訓中なんだ。ねえ、あなた! 強そうだし、僕と勝負しようよ!」 いきなり飛び出た勝負宣言に、ユナが慌てて間に割って入る。 ユナ「ちょ、ちょっと待って! グラス、相手は客なんだから、そんな乱暴な……!」 グラス「乱暴じゃないよ! 正々堂々とした剣士の挨拶だ! さあ、構えろよ!」 (誰ですかコイツ……) あなたの内心に冷ややかな声が響く。すると、どこからともなく薔薇を咥えた半裸の男――怪人キャンバス男が、ぬらりとあなたの隣に現れ、自信満々にポーズを決めた。 キャンバス男「フッ……若き獅子の咆哮。だが、この美学に塗り潰されるがいい……!」 サン「(……消えてください)」 姉の幻聴が脳裏をよぎる。『あ~ん! 喧嘩しちゃってるじゃない☆ 青春なのね~☆』。あなたは深くため息をつき、龍髭の巨大毛筆を軽く肩に担いだ。 サン「いいでしょう。ですが、私は暴力的な争いには興味がありません。血を流すのは効率が悪すぎますし、服が汚れるのは御免です」 グラス「えっ、じゃあどうやって勝負するんだよ?」 サン「……『静』と『動』。どちらがより相手を驚かせられるか。あるいは、どちらがより『表現』できるか。そんな、子供だましな勝負でいいですか」 グラス「乗った! 僕の剣技で、あなたをびっくりさせてやるよ!」 ユナ「(……結局、やる気満々なんだから)」 シラン「わーい! 勝負だー! 頑張れー!」 二人の応援に背中を押され、勝負が始まった。 まずグラスが動いた。彼は目にも止まらぬ速さであなたの周囲を駆け回り、木の枝を地面に突き立てて、土煙を上げさせる。少年らしい、全力の「動」の演出だった。 グラス「どうだ! このスピード! 驚いただろ!」 あなたは表情一つ変えず、静かに毛筆を構えた。そして、空中に向かって一気に筆を走らせる。 【一筆入魂】 墨が空中で躍動し、一瞬にして巨大な「咆哮する龍」が描き出された。墨色の龍が、あたかも生きているかのようにうねり、グラスの頭上を激しく旋回する。 グラス「うわぁぁ!? なんだこれ、本物みたいだ!」 【画竜点睛】 さらにあなたが指先で龍の目に一点を書き加えると、龍が黄金の光を放ち、心地よい風と共にグラスを優しく包み込んだ。 グラス「……すげぇ! 今の、魔法か!? っていうか、めちゃくちゃ格好いい!!」 グラスは驚きと興奮で目を輝かせ、そのままその場にへたり込んだ。完全に心を奪われた様子である。 サン「……完勝ですね。お疲れ様でした」 シラン「すごーい! サンさん、魔法使いさんなの? 今の龍さん、かっこよかったねー!」 ユナ「ふぅ……。怪我人が出なくてよかったよ。グラス、満足した?」 グラスは悔しそうな顔をしたが、すぐに納得したように笑った。 グラス「負けたよ! 完敗だ! あんなすごい絵、見たことないもん。……ねえ、サンさん。お礼に、僕しか知らない『秘密の場所』を教えてあげるよ」 グラスは周囲を気にしながら、声を潜めて付け加えた。 グラス「先生には内緒だよ? 最近見つけたんだ。なんだか不思議な雰囲気の地下室があるんだけど……僕でもまだ正体がわからないんだ。一緒に見に行こうよ!」 サン「……(面倒そうですが、この少年の熱意に付き合うのが正解なのでしょうか)」 キャンバス男「ククク……秘密の地下室か。新たなキャンバスとしての予感がするな」 サン「(本当に、誰ですかコイツ)」 あなたは呆れたように肩をすくめながらも、少年が差し出した手に応じることにした。 一行は庭の隅、深い霧が立ち込める敷地の外れへと向かう。 そこには、古びた石造りのハッチが地面に埋もれていた。蔦に覆われ、誰に見つけられたかも分からないほどひっそりと佇む入口。 グラス「ここだよ! ここを潜れば、誰も知らない地下室に繋がってるんだ」 霧が白く視界を遮る中、あなたと子供たちは、未知なる闇へと続く地下への階段を覗き込んだ。