MEM-404(ノットファウンド・メモリーズ) 「数十年前、『彼』は肥溜めの中で生まれた。 排斥され、打ち捨てられ、肥溜めで野垂れ死んだ奴隷を母として。 彼は生まれて数分にして、己を自覚する。母は自分を産み亡くなったこと、ここが人生の落伍者がたどり着く場所だということ、そして、自分もこのままではそうなるのだと、その言葉を知らなくとも本能的に理解する。 彼が初めて口にしたものは、酷い味の乳であった。 その後、偶然にも通りかかった男に拾われる。身寄りのない彼にとって僥倖であった。 しかし、その男は殺人鬼だった。雑に背負われ目の前が見えないまま、耳を劈く砲声とともに飛び散った血が口の中に僅かに入った。 その味は初めて飲んだ乳とよく似ていた。 それからの5年間、彼はよく育った。家はボロかったが、男(マークスマン・メルスと名乗った)は彼に優しく接してくれていたのだ。 5年間ほどしたある日、彼はマークスマンが毎晩8時が10時まで家を抜け出すことに気付く。気になって後を付けた彼は、決して開けるなと言われたプレハブ小屋へと入っていくのを見た。 プレハブ小屋の扉がわずかに空いた隙間から、手首を吊られて動かなくなっている人間が1人。マークスマンがプレハブ小屋を開けた拍子に飛んでいった微かな匂いが鼻を突く。 ────あの人間は死んで、腐っている。 一つの結論にたどり着いた瞬間、彼は腰を抜かし音を立ててしまった。 実際のところ、彼はマークスマンが殺人鬼であることには漠然と気づいていた。幼少期のことだけでなく、家に状態の良い実銃が飾ってあったのだが、その銃口からは焦げ臭い匂いがしていた。 だが、彼は実際に人を殺しているところを見たことがなかったのだ。恐怖もあったが、何よりマークスマンが実際に人を殺していたのがショックで、彼は腰を抜かしていた。 彼の音に気づいたマークスマンが慌てて外に出て彼を見ると、おもむろに近づいてきた。頭の良い彼に見られた以上、消すしかないと思ったのだろう。 彼は逃げた。しゃにむに走り、いつの間にか家を一周したのか、再びプレハブ小屋に辿り着く。後ろからマークスマンが彼の襟首を掴み、プレハブ小屋の壁に押し当てる。 彼は咄嗟に周りのものを探し、見つけたものをぎゅっと握りしめ、マークスマンに向けた。 いつか聞いた乾いた轟音と衝撃。彼は気を失った。弾丸はマークスマンの喉を貫き、即死だった。 再び一人になった彼は、マークスマンの家を出ることを決意し、食料をかき集め、都会へと消えた。 そこから1年ほど経ち、彼はホームレス紛いのことをして食いつないできた。時々、悪臭を放つゴミの山を見ると、生まれた場所を思い出す。彼は思い出す度、自分を「哀れなものだ」と嘲笑っていた。 その様子を見て哀れに思った老夫婦は彼を養子として迎え入れた。学校に行く手続きもしてくれた。 ファミリーネームをジャスティンといった。それからの3年、彼はジャスティン夫妻やクラスメイトをなかなか受け入れられずにいたが、夫妻の献身的な愛情や学校側の協力によって彼は少しずつ心を開いていった。 ジャスティン夫妻は頭の良い彼を誇りに思っていたし、彼もまた夫妻のことを誇りに思っていた。 ある日の夜、部屋のベッドでふと目を覚ましたとき、ゆっくりとドアを開けて彼に近付く2つの影があった。 姿はよく見えない。プレハブ小屋での出来事を思い出し、恐怖に駆られた彼は、必死で銃のおもちゃを向けて撃つ。 知っている轟音と衝撃がした。それと、声。 我に帰り電気をつけると、床に突っ伏し倒れていたのはジャスティン夫妻だった。2人とも、喉に弾丸を受けて即死していた。 ガタッと、音が聞こえ振り返ると、顔を隠した男が腰を抜かして彼を見ていた。強盗だろうか。 暗闇の中、彼はとっさに机のおもちゃの銃を取ったつもりだった。しかし、彼が握りしめていたのは、目の前の男が置いておいたものであろう、本物の銃だった。 机の隣には、自衛のためにと夫妻がくれたおもちゃの銃が転がっていた。 つまりは、2人は寝ている僕を守るためにこの部屋に入り、僕はその2人を…… それからの1年のことはよく覚えていない。いや、書きたくない。なまじ私は覚えが良いせいで、昔のことや今のことまですべて覚えてしまっている。 気休めにしかならないけれどここに書きたくはない。せめて最期くらいは心穏やかに逝きたいのだ。 もう、この空虚な人生は終わりだ。3人と同じように喉に撃ち込み、終わりにする。」 郊外の廃墟に残されていた文書である。