大日本帝国が開発した自走砲。 開発経緯は旧式の重榴弾砲(野戦砲の一種)に機動性を加えるため1944年にスタートした。 車体は当時の主力戦車を流用し車体上部に三八式十五糎榴弾砲を取り付けた。 装甲は皆無でオープントップ式の戦闘室を設けてある。 開発企業は三菱重工が手掛け1944年8月に正式採用。その後は本土決戦に温存されていたがフィリピンで数両が揚陸されシャーマン中戦車などと交戦していた。 現在、1両がマサチューセッツの博物館に保管されている。