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【悪魔の子】シアン

僕はお父さんの顔もお母さんの顔も知らない。物心ついた時には孤児院で過ごしていた。 ある日見た絵本で初めて、僕は「親」という存在を知った。「僕にはどうしてパパもママもいないの?」という問いに、シスターはいつも「シアンは神様からの贈り物なの」と答えてくれた。シアンという名前は彼女が着けてくれたものだ。 シスターが言うには、神様という存在は僕たちの日々の生活を助けてくれて、守ってくださっている。らしい。 僕は普通の子供と同じように、友達ができた。一緒に遊び、たまに喧嘩をした。そして喧嘩をすると、決まって言われることがあった。 「シアンはパパとママにすてられたんだ」 その言葉に子供の僕は酷く怒り、泣きながら違う!と叫ぶことしか出来なかった。 そしてそのあとは決まってシスターが仲裁に入り、嫌なことを言ってごめんね、と仲直りをする。最後に神様にお祈りをする。「これからも元気に過ごせますように」だとか、色々と。 お祈りの最後には必ず「アーメン」と言う。 アーメンとは、本当にそうなりますようにという意味らしい。 僕は何度も「お父さんとお母さんに会えますように。」と夜寝る前に、毎晩祈っていた。でも信仰が足りなかったのか、そもそも勝手な願いだったのか。アーメンという言葉はただ願うばかりで、その祈りが届かないと知ったのは、だいぶ先のことだった。 わたしが愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。 - ヨハネによる福音書 13章34節 愛とはなんだろう。「好き」と誰かに言うことだろうか? イエス様は皆を愛しているらしい。 僕は愛するということがよく分からなかった。だけどもし機会が訪れたら、僕はその女の子に「好きだよ」ではなく「愛してる」と言う、と心の中で密かに決めていた。それが僕にとって最も良い表現だと思ったからだ。 僕はある日、シスターに「愛してる」と言った。何故かその時僕は必要以上にドキドキしていて、自分でもよく分からない緊張があった。 「うふふっ、ありがとう」 と彼女は答えた。子供の僕には恋愛感情なんてものは無かった。だけど、やった!伝わった!と思って1人で凄くはしゃいだのは覚えている。 こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。 - エペソ人への手紙 5章1節 僕は、毎日祈った。 義務だからではなく、自分から祈った。神を信じ、イエス・キリストを信じ、聖書を毎日読んで、日々の生活は聖書の教えに従った。良いことがあれば感謝の祈りを捧げ、悪いことがあれば助けて下さいと祈る。 でも、神様も、イエス様も、僕を救わなかった。 僕は人ではなく、悪魔だったから。 想像してみるといい。悪魔の子供が天国に行きたがり、神に祈りを捧げている姿を。誰もが滑稽だと思うだろう。 鏡に映った僕の頭にはヤギの角が生えていた。ヤギの耳も。まるで悪魔みたいに。耳を引っ張っても、取れない。ちぎれない。痛い。角は硬い。取れない。誰かが泣く声が聞こえる。鬼だって。そうだよ。僕は鬼だ。鬼ごっこをしよう。 嘘つきはみんな泣かせてやった。ざまあみろ。何が神だ。何がキリストだ。みんな地獄に落ちればいい。僕は毎日いい子でいたのに。なんで僕は救われないんだ。どうか助けてくれって毎日祈ったのに。イエス・キリストはどうして人を許したのに僕を救わなかったんだ。お陰で僕はこんなに深く悲しみ、激烈に怒り、言葉にもできないようなどす黒い感情に包まれて、最悪な気分だ。部屋は友達だった人間たちの血でぐちゃぐちゃに汚れてしまって本当に最悪だ。ほら、みんな死んでしまったよ。僕が自分自身を悪魔だと気づいてから、まだ時間はそんなに経っていないのに。 いや、もう一人いた……あのシスターが。僕にシアンという名前を与えてくれた、シスター。大好きなシスター。 僕はいつものように、無邪気に言った。 「シスター!どこにいるの?」 返事は無い。部屋の中はシーンとしている。 「鬼ごっこをしようよ!」 それともかくれんぼにする?と言おうとしたその時、僕の後ろから、ブツブツと何かをつぶやく声が聞こえた。 振り返ると、シスターが怯えた表情で何やら祈っていた。胸の前で手を合わせて祈っている。涙がポロポロとこぼれ落ちていく。馬鹿だな。神様なんかいないのに。 「逃げないと捕まっちゃうよ?」 僕はシスターにゆっくり近づいた。 近づいていってもシスターは動けなかった。もしくは動かなかったのかもしれない。シスターと僕は互いを見つめ合い続け、決して目をそらさなかった。僕と同じ、青い瞳が綺麗だった。シスター、もう祈らなくていいんだよ。僕たちはみんな地獄に行くんだ。 僕はシスターの手を優しく握ってあげた。彼女の冷たい手が震えている。可哀想に、僕のことが怖いんだね。 するとシスターは驚くことに、僕を抱きしめてきた。 血の海の中での抱擁だった。シスターのいい匂いがふわりと混ざって、あたたかくて、すごく心地よかった。必死に絞り出した声で祈り続ける彼女の、その祈りを静かに聞いていた。どうかこの子を許してくださいとか、神様助けてくださいとか、反吐が出るような言葉ばかりだったけど。 出来ることなら僕は彼女とずっと一緒に居たかった。でも、もうそれは叶わない。僕は悪魔なんだから。 僕は、彼女の耳元で「愛してる」と言った。彼女の祈りがそれに反応して、ピタリと止まった。 シアン、と彼女が僕の名前を呼んだ瞬間、僕は彼女をできる限り苦しまないよう手にかけた。 天にまします我らの父よ。 願わくは御名をあがめさせたまえ。 御国を来たらせたまえ。 みこころの天になるごとく、 地にもなさせたまえ。 我らの日用の糧を 今日も与えたまえ。 我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。 我らを試みにあわせず、 悪より救いいだしたまえ。 国と力と栄えとは、 限りなく汝のものなればなり。 アーメン。