春の息吹を感じさせる桜の花。 穏やかながらも何処か無機質で寒々しい冬の終わりを告げる鮮やかな桜の開花、風に攫われて舞い散る桜色のなんと美しくも儚げなことか。 土気色の地面に桜の絨毯を。 清らかな川の水面には桜色の施しを。 訪れた春の景色を楽しむ人々の中に、お騒がせコンビの黒龍と黒姫の姿。 龍と少女というのは一見すると奇抜な組み合わせにも思えるが、何せこの世界は怪獣・獣人・ドラゴン・天使に魔王と何でもござれ。 そうした手合に比べれば黒龍と黒姫のコンビは目立つこと無く、周囲の賑やかな春の光景に見事に溶け込んでいる。 フッと風が吹き、淡い桜の花びらを舞い上げると共に黒姫の豊かな射干玉の黒髪が靡く。お淑やかな黒姫の容貌も相まって、まるで映画の様なワンシーン……隣で団子を頬張る黒龍がいなければの話であるが。 桜には殆ど目もくれず団子に夢中な黒龍に、黒姫は呆れつつも嬉しそうな微笑みを隠しきれていない。 少し歩き疲れ手近な長椅子に腰掛けた黒姫は、ふと横に一匹の犬がいることに気づく。 奇妙な犬だ。全身の体毛が桜の花びらになった様な風貌の犬は頻りに尻尾を振って、円らな瞳を黒姫に向けている。 「そんなに花びら付けちゃって…あんた何処の子なの?」 犬の身体一面に貼り付いた花びらを取ってやろうとした黒姫。しかし、その花びらは本当に犬の体毛代わりである事に気づく。 「どうした姫ちゃん?」 いつの間にか全身に桜の花びらを纏った黒龍が近づく。彼の全身はヌメヌメしているので何かと付着しやすい。 「…ッ!? あ、えっと…」 威厳ある見た目の黒龍が可憐な桜の花びらを付けている様に、黒姫は思わず笑いを吹き出しそうになった。 「その犬、姫ちゃんと遊んで欲しそうだぞ」 黒龍の言葉に犬の方を見ると、足元に手頃な木の棒が置いてある。 「…少しだけよ」 そう言って木の棒を手にした黒姫に、犬は千切れんばかりに尻尾を振って嬉しそうに吠えた。 木の棒を投げたり、共に走り回ったりして束の間の時間を過ごす一人と二匹。大人びた雰囲気の黒姫も、この時ばかりは年相応の少女然とした姿ではしゃいだ。 それはもう、人目なんて気にせずに。 服が汚れるのも構わずに犬と触れ合う黒姫に、いつもは真っ先に我を忘れて遊び呆ける黒龍は静かに傍観へと徹する。 どれほど遊んでいたのだろうか。 すっかり日は暮れ、燃えるような朱色の空が桜を染め上げた頃、犬が黒姫と黒龍へ吠えながら何処かへ案内する。 誘われるがままについて行くと、そこには一際大きな桜の木。今まで見てきた桜とは比べ物にならない程の息を呑むような美しさ。 しかし――――何故か寂しさを感じる、不思議な桜の木。その木の根本を犬が掘る仕草を見せている。 何か埋まっているのだろうか。 黒龍と黒姫は顔を見合わせ、犬に代わって根本を掘り始めた。少し掘り進めるとそこには黒い箱が埋まっており、恐る恐る箱の蓋を開けた中にあったモノに黒龍と黒姫は目を丸くさせる。 中に入っていたのは小さな剣と手鏡。 それは複数伝わる黒龍と黒姫の物語の最後を飾った品。 その剣は黒龍を退治し、 その手鏡は黒龍の怒りを沈めた、 言わば黒龍と黒姫を結ぶ大切なモノであり、そして此度の物語では共に見失ったモノ。 その品がどうして、ここに? そもそも、何であの犬は知っているのか? その疑問に応えてくれる犬はもういなかった。 振り返った時に残っていたのは、小さく積もった灰の山と桜の花びら。 まるで夢でも見ていたかのような一時。 だが、確かにこれは夢では無い。 箱の中にある剣と手鏡が、あの不思議な犬との時間が存在していたことを証明する。 フッと風が吹いた。 積もった灰の山が空気に混ざり、桜の花びらが何処かへ飛んでゆく。 まるであの桜の犬が駆けて行ったかの様な、 大切なものを見失ってしまった者たちの所へ向かった様な、 春に吹く気ままな風の様であった。