長い夏が終わり、色めく秋の季節。 苛烈な暑さが嘘だったかのように、肌寒さを感じる程の涼しい日々。澄んだ青空に浮かぶ秋の雲、日が落ちれば聞こえてくる虫の声。すぐにやって来る厳しい冬の前の、豊かな恵みに溢れるこの季節。 さて、この季節でやはり有名なのはハロウィンであろう。子供たちがお化けの仮装をして、家々を巡り、トリックオアトリートと言ってお菓子を集めて練り歩く行事だ。このハロウィンの起源は今更説明するまでもないだろう。そうした話は詳しい方に任せ、今宵ここで物語るのは『お菓子の魔女』が引き起こしたちょっとした出来事。 知りたい人だけが知り、読んだ者だけの記憶の片隅に残る、外連味も奇想天外なハプニングもない、ほんの些細な出来事。涼し気な秋の夜長、少々ドギツイカラフルさと歯が解ける程の甘さに満ちた物語である。 この日【韋編悪党】エラはいつも通り森の中を散策していた。世界はやれ韋編悪党だ、やれ終戦乙女だのと穏やかではないが、エラは我関せずに自由気ままな日々を過ごしている。元より組織的でない韋編悪党の下っ端の下っ端ともいえる立ち位置のエラにとって、上の連中の悪巧みとは無縁の存在。たまに口うるさいエメラルドの大魔法使いが面倒事を押し付けてくる──当然無視だ──ぐらいで、そうした催しに興味もない彼女。 普段と何ら変わりない今日を終えようとしていたエラだが────運命とは数奇なもので、この季節に何の関係もない彼女を巻き込まんとする“お騒がせなイベント”が、喧しい声と足音と共に迫っていたのだ。 立ち止まり、灰色の傘を片手に、紫煙を吐く。 森の奥からやってくる何かをエラは待ち構える。 鬼が出るか蛇が出るか、はたまたご隠居な魔女様か、騒がしい悪魔か、竜か兎か獣か、或いは勇者か。何でもありなこの世界、ちょっとやそっとの事では驚かない彼女だったが、馴染みのある声と共に森の奥から現れた人物には────流石に驚いてしまう。 「トリックオアトリートだよ! エラお姉ちゃん!」 「……は?」 開いた口が塞がらない。 それもそうだ。エラの目の前にいるのは同じ韋編悪党のグレーテル、お菓子で世界を埋め尽くして幸せにするなどと、甘い幻想を抱いている少女。天真爛漫さと欠けた倫理観を併せ持つ彼女は“エメラルドの大魔法使い”の息がかかった────いわば最悪な末路を辿ることを決定づけられた存在……だったが今は違う。 どうにも、その大魔法使いが埋め込んだ邪悪なる時限爆弾が消えかけている、らしい。時限爆弾とはよく解らぬが、あの小うるさい大魔法使いが頭を抱えている様を見るのは、とても気持ちが良いものだ。 ……いや、今はそんなことはどうでもいい。 グレーテルを見てエラが驚いたのは“彼女が成長した姿”で現れた為だ。正しき道から外れた存在である韋編悪党は当然だが成長はしない。老人であれ、子供であれ、赤子であれ、未練を抱えた幽霊であれ、韋編悪党としてこの世界へ産み落とされた以上──彼らには停滞しかない。 その筈なのだ。 だが、目の前のグレーテルは成長している。 「ぐ、グレーテルなのよね? なんで成長しているの?」心の動揺を抑えようとエラは煙草を二口吸い込む。 「うーん、何でだろうね? まあ、そんなことよりもトリックオアトリートだよ!」 成長したグレーテルだが、中身は全く変わっていない。小さい姿ならまだしも、成長した今の彼女がその口調なのは──少しちぐはぐな感じだ。 ……ん、待てよ。エラは先程からグレーテルが口にしている言葉に気付く。 トリックオアトリート、確かハロウィンに関連する言葉だったか。 ハロウィン……お菓子……つまり、お菓子の魔女であるグレーテルがハロウィンの何らかの影響を受けて成長した、のか。馬鹿げた話だが、しかしこの世界は何でもありだ。そうした出来事もあり得る、のだろう。 紫煙を燻らしながら熟考するエラ。そんな彼女にグレーテルは徐々に不機嫌になっていく。 「む~!! さっきからトリックオアトリートって言ってるのに! こうなったら、とっておきのイタズラをするしかないよね──行けハリボン、君に決めたよ!」 グレーテルの声に呼応してエラの背後から現れたのは“グミの体を持った熊”である。ハリボンはエラの体をがっちりつかんで離さない。必死にもがくも、ハリボンの体は弾力性抜群のグミであり“ポヨンポヨン”と空しい音がするだけだ。 「イタズラターイムッ!! いつも渋い顔しているエラお姉ちゃんに甘い時間をあげるね!」 「ちょ、やめなさいって! てか、渋い顔って何よ! こちとら酸いも甘いも嚙み分けてきてるのよ⁉」 「酸いも甘いも……成程、つまり甘酸っぱいだね! ならお姉ちゃんには甘酸っぱい体験をさせてあげるよ!」 グレーテルの手が輝き、むせそうな程に甘い匂いが周囲に漂い始める。エラの必死な抵抗も空しく、グレーテルが放った甘い光が彼女を包み込んだ。 「さあ、行くよハリボン! お菓子を集めて世界をハッピーにするんだからね!」 彼女の声が耳にしながらエラの意識は静かに闇に沈んでいった。 …… ………… どれ程気を失っていたのか。柔らかな草の上でエラは目を覚ます。周囲にはまだ甘い匂いが残っていたが、グレーテルの姿はない。 まだ混乱をしている意識の中、立ち上がったエラは違和感に気付く。服はぶかぶかで、社会の荒波に揉まれた筈の両手は汚れを知らぬ柔らかな白肌。視界の高さもかなり低くなっており、軽々と振り回していた傘は今や両手で抱えなければならない程だ。 もしやと思い、手鏡を取り出したエラは自分の顔を確認する。鏡に映し出された顔を見てエラは全てを察する。 どうやら自分は背が縮んだ────いや自分は子供になってしまったようだ。 さて、どうするか。 どさりと草の上に座り込みエラは考える。子供になったというのに中身に一切の変化がないからか、異様に落ち着いていられる。とにもかくにも、グレーテルを探して元に戻してもらわねばならない。 成長したとは言え、中身はあのまま。そして最後の言動からして、彼女はお菓子を集めていつも通りの事をしているらしい。そして今はハロウィン────ならばこちらもお菓子を集めていけばグレーテルを引きずり出せるかもしれない。 だが、一人ではとてもじゃないが集めるのは難しいかもしれないが、この世界には色々な連中が存在している。 「……まあ、お人好しな奴ばかりな世界だ。ちょっとぐらいは協力してくれるだろうな」 そう言ってエラはいつもの癖で煙草を取り出そうとして、ギョッとした。何と煙草が全て棒付きキャンディーに変えられているのだ。添えられた手紙には汚い文字でグレーテルの名前がご丁寧に書いてある。 「……これは早急にでも、あのクソガキを見つけないと」 こめかみに青筋を浮かばせながら、エラは棒付きキャンディーを咥えて立ち上がった。