ログイン

【韋編悪党】テンペスト/大嵐の魔人

 そこは絶海の孤島。  空は荒天、海は大時化。  烈しい嵐が島の周囲を彷徨する光景は、何人も島へ来る事を拒絶しているようだ。  そんな嵐で荒れた空を掻い潜る一羽の烏。  洞窟の入り口へ烏は降り立つと、薄暗い洞窟の奥から魔法使いが現れる。 「何用だ」 「大した用は無い…単純に様子を見に来ただけだ」 「ならば疾く帰れ。私は貴様の顔など見たくもない」 「そう言うなプロ…今はテンペストか。嫌っている割にその名を名乗るとは、嬉しいじゃないか。作家冥利に尽きるってモノだ」 「悲劇好きの貴様の自惚れに付き合う暇は無い。娘をくれてやり、復讐を捨てたのにこの末路だ」 「過ぎた不幸を嘆けば新たな不幸を招く事になる。お前というキャラクターを許さなかった、或いは興味本位で許さなかった読者が創り上げた二次創作の一つを私が抽出したのが今のお前だ」  烏は意地悪な笑みで言葉を続ける。 「物語は読み手の数だけ解釈が存在する多元宇宙。一つの作品、一つのキャラクターという天恵は数十億のクリエイターの脳を刺激して、二次創作、三次創作へと繋がる。喜ばしいことだろう」 「つまり私は心底醜悪な者に生み出された哀れな犠牲者ということか。結構結構、貴様の知名度自慢を聞けて良かったよ」  そう言って去ろうとする魔法使いだが、ふとある事を思いついて興味本位に烏へ尋ねる。 「所で烏よ、韋編悪党の抽出が滞っているようじゃないか」 「私は私なりの条件を課している。元の作品を大きく逸脱して生み出せば、それは韋編悪党という枠組みへ当て嵌らぬ亜流作品に他ならない」 「ならば烏よ、この場所は貴様のお眼鏡にかなう者が多く居ると言うことか」 「然り、されど世に広まる物語に比べてこの場所で生み出される物語は些か制約が強い」 「制約?」 「クリエイター同士の距離の近さとでも言おうか。世に広く伝わる物語の作者は我らにとって天上の存在もかくやだが、この場所は違う。 「狭いコロニー…つまりはムラ社会。見知っているからこそ、彼らの愛し子を理解しているからこそ、この世界に居座る為には節度を守らねばならない 「ましてや、我々の存在は無数のクリエイターからすれば不愉快だからな。清らかな物語を汚し改悪し害悪を撒き散らす…これを不愉快以外の何と言うのか 「まあ、それでも止められぬのが作家という生き物だ。だからこそ節度は守る、悪党をやるなら善人以上に規則は熟知せねばならないのさ」 「見上げた考えだな…生み出すキャラクターに目を瞑ればだが」 「故にお前達には戦闘という名の外交を頑張ってもらう。今はまだ夢物語、されど何れは…私なりの悪意と悲劇で彼らを彩りたいものだな」  烏の言葉に魔法使いは暴言をすかさず吐く。 「一つぶっちゃけよう、頭がイカれているのか烏よ」 そんな魔法使いの暴言に烏は嬉しそうに言葉を返してやった。 「私を狂気と叫ぶお前の正気は誰が保障するのだ?」 “おいおい、どこで油売ってんだ?  大事な愛弟子が可哀想な姿になった事ぐらい気づけよな”  魔法使いの住む孤島へ突然現れた灰色の男は、悠長に紫煙を燻らしながら言った。  愛弟子────誰のことを指しているのか、瞬間的に察した魔法使いの頭の中が真っ白になったのは言うまでもない。  黄色の瞳がわなわなと震える感覚。  体から血がサァッと抜けていく様な感覚。  灰色の男が告げた言葉を、全身が理解することを拒んでいた。  まるで氷漬けに──或いは時間が止まった様に魔法使いは呆然とし、数秒経ってから理解したくない現実を全身へと行き届かせる。    読んでいた本を投げ出し、ニヤけた表情の灰色の男には目もくれず、魔法使いは嵐風に乗って森へ──彼女と孤児たちが住む屋敷へ急いだ。  既に彼女も孤児たちも屋敷にはいなかった。  雨でしとどに濡れる破壊された車椅子。激しい戦闘の痕跡が周囲に残り、ぬかるんだ地面には子供たちの抵抗した無数の足跡。    遅かった。  間に合わなかった。  直視した現実が己に無力さを突きつけ、嘲笑うかの様な勝利宣言を高らかに上げる。  がくりと膝をつく。  怒りと悔しさと己の未熟の忌々しさに魔法使いは、自分で自分を殺したくなるあまりに首を絞め上げる様に濡れた地面へ爪を立てる。  振り続ける雨が頬に触れ、僅かな体温に温められた水を流し続ける。  既に忘れ去った筈の熱く鈍い痛みが胸の辺りを蟠り、上手く呂律の回らぬ舌が不明瞭な呻きを口から漏らす。  記憶の海から浮上するのは彼女の姿。  悪党共にさんざん弄ばれた挙げ句“死”も赦されなかった彼女は、己の身に悍ましい悪意のエメラルドの時限爆弾を埋め込まれていながら、自分を慕う孤児たちには笑顔を見せ続けていた。    かつて胡乱な瞳で外を見つめ、椅子へ座ったまま死んだような生活をしていた女と同一人物とは思えない程だ。  それだけ孤児たちの存在は彼女にとって、生きる意味になっていた。  まさか孤児たちも、自らの親を殺した相手が自分たちの世話を甲斐甲斐しくしてくれるとは思ってもいなかっただろう。  彼女と孤児たちを一緒にさせる考えを思いついたのは魔法使いだが、そこに贖罪をさせる意図は無く、単に──居なくなっても誰も困らない程の数が必要だったからだ。  彼女へ孤児たちの親の事は話していないが、彼らの親が居ない理由が判明するのも時間の問題だった。  彼女が孤児たちの真実を聞いた時、何を思ったのかは知らない。だが彼女は変わらなかった。  最初の頃から変わらずに孤児たちを、まるで我が子のように愛し続けた。  私のミスだ。  私が未熟だったばかりに、彼女は全てを悪党達によって奪い去られた。  苦悶する魔法使いは雨音の中に、遠くから這いずる音を耳にする。ズルズルとぬめる鱗を巧みに動かして近づく巨大な何か。    主を心配して飛び回っていた嵐妖精が、一斉に警戒状態へ移ると宙に八の字を書いて忙しなく飛び回る。  森の木々をなぎ倒し、邪悪なエメラルドに染まった身体が雨に煙る屋敷の近くに現れる。  魚の下半身、醜悪な女の上半身。  振り乱した髪と泥と血とエメラルドで汚した凶悪な顔に──彼女の名残。     ああ……そうか。  本当に反吐の出る連中だ。  魔法使いが立ち上がる。  手の平に小規模な嵐を生するのは、怪物と化した彼女へ引導を渡すべく。  簡単に勝てる相手では無いだろう。  何度も殺されるだろう。  だが、魔法使いも死ねぬ身。  詳しく言うなら、あの烏が自分に物語の舞台から降りる事を拒んでいる。  或いは────この戦いこそが自分へ終わりを告げる烏が用意した展開であると信じ。  両者の繰り出す嵐とシャボン玉のぶつかり合う音が激しい戦闘の堰を切った。    魔法使いの放つ最大火力の嵐。逆巻く暴風が降り注ぐ雨粒と地面や草を巻き込みながらエメラルドの人魚へ迫る。  逃走を許さぬ破壊の嵐、だが素早く身体を捻る人魚は濡れた鱗で地面を滑走し嵐の猛撃を回避する。  ズルルルルルッ──鱗が草を走る音。  アアアアアッ──怒りとも悲しみとも言えぬ叫ぶ人魚の声と豪雨が織りなす狂気の光景。  人魚の周囲が虹色に煌めくと無数のシャボン玉が生成され、吹きすさぶ風を物ともせずに魔法使いへ飛来する。  クロークを翻し回避する魔法使いだが、執拗なシャボン玉の大群からの追尾を振り切れない。  嵐妖精に分析を任せつつ、貫き穿つ様にして放つ嵐の一撃でシャボン玉を消し飛ばした時だ──    爆ぜた。  嵐の直撃を受けたシャボン玉は爆弾もかくやの轟音と爆風で弾け、その衝撃が近くのシャボン玉へ誘爆してまるで絨毯爆撃の様な光景を魔法使いの目に焼き付かせる。  爆発で抉られた地面から土が巻き上げられ、荒れ狂う風が激しい砂煙が生む。  ──その砂煙の中を矢の如く突っ切る人魚の鞭の様に尾鰭の一撃が魔法使いの身体を弾き飛ばす。  全身の空気が口から一斉に吐き出される様な感覚を得ながら、満足に防御行動も取れぬ魔法使いは地面へ数度叩きつけられる。  ピクリとも動かない魔法使い。  決して頑丈な身体付きではない彼にとって人魚の放った一撃は魂の灯火を吹き消すに容易い。  だが──フッと意識を取り戻した魔法使いは立ち上がった。心配して近づく嵐妖精を追っ払い、三角帽子の下から覗く黄色の瞳で人魚を睨みつける。    これこそ、黒羽の劇作家よりかけられた呪い。  己に課された役目が果たされるまで死ねぬ、“役者”という呪い。  そして、その呪いが眼前の彼女を殺して解放されると信じ、何よりも彼女の苦しみを終わらせる為に──  幾千の死を覚悟した上で魔法使いは再度人魚へ嵐を撃ち放つ。 [https://ai-battler.com/battle-result/clwhl2jzi04yus60ou96lyd9o]  あれから何度死んだだろうか。  数千の死を経て彼女を倒したが、満身創痍の魔法使いは結局死ぬことは無かった。  悪しきはエメラルドに犯された彼女の身体は塵と消え、激しい戦闘で崩れた屋敷には灰色の雲から降る雨で濡れていく。  止まぬ雨を見上げる魔法使いは思う。     死という形でしか救いを与えられぬ私を許してくれ、と。  そして私はまだ舞台から降りられないのか、と。  その感情は己の無力さを痛感する魔法使いが、彼女との思い出が残るこの場から今すぐにでも逃げ去りたいという気持ちの糊塗。    既に終わった事だ、過ぎた事だと。  悲しみの感情を覚えたくない彼は必死に己の本来の目的でソレを圧し潰す。  早く舞台から降りたい、その一心で彼は彼女を悪意で犯した輩の元へ向かうことを決意する。    行き場の無い怒りが見え隠れする魔法使いが踵を返した時だ、振り続ける雨の中で傘を差さず立っている見知らぬ少女を彼は目にする。  粗末な服を着た幼い少女。  真っ黒な髪と赤い目が特徴的な彼女は、赤い蝋燭を手にしながらジッと魔法使いを見つめている。まるで視線だけで、こちらの身体に穴を開けんばかりの眼力。  その眼力に圧される魔法使いは、少女へ目的を問うた。若干高圧的で無愛想な尋ね方は魔法を使う者の性であり、そうした界隈を知らぬ者の殆どは臆する。  しかし少女は特に反応せず、依然として赤い目でジッと見つめている。  大抵の場合、この様な状況下に陥った者は何とかして少女とコミュニケーションを取るか、或いは少女が何らかの要因で喋れない事を察するのが物語的にも道理に適っているだろう。  だが魔法使いは少女が魔眼に類する魔法を使っているのではないかと訝しみ、呼び出した嵐妖精による解析と共に両手に嵐を呼び寄せる。  もしかすれば、自分の動向に気付いた韋編悪党が刺客を寄越したとも考えられる。    魔法使いの世界では先手必勝が条理。  身じろぎもせずに赤い蝋燭を握る少女へ、魔法使いは最大火力の嵐を撃ち放つ──── 「カットカットカットカットォォォッ! 何をやっているんだ!」  珍しく慌てた様子で現れた一羽の烏。  ご存知黒羽の劇作家だ。 「この少女も貴様の生み出した役者か?」  腹立たしくも、些かマシな性分の彼の登場に魔法使いは両手に生み出した嵐を消す。 「ククク、それはどうだろうな。だが彼女もお前と同じ韋編悪党の一人だ」  翼で嘴を隠して烏は笑う。  何かを企んでいる時の彼の仕草だ。   「傷心の所悪いが、この少女の面倒をお前に見てもらう」 「……私が?」 「そう言っただろ。ほれ、あそこの怖い魔法使いの所へ行くのだ」  半ば強引に烏は魔法使いへ少女を押し付けてくる。全く理解が出来ず、しかしこちらのクロークを掴む少女を無碍に出来ず、困惑する魔法使いは飛び立とうとする烏を呼び止める。 「待て、私はこれから──」 「言い忘れていたが、彼女の名は辰砂。博識なお前なら、その名の意味が分かるだろ?」 「なら適任はあの色ボケ黒龍だろう!」 「あれを適任と判断する今のお前は、随分と我を忘れているようだ。舞台から降りるだのとくだらん考えは捨てろ、そこの少女を寝かしつけるついでにお前も僅かな睡眠を取れば今後の事を考える暇も無くなるだろうさ」  烏はそう言って飛び去ってしまう。  残された二人を暫しの沈黙が包む。  唐突に押し付けられた辰砂へ、あの烏が何を仕込んだのか定かでは無い。だが予想できる範囲でも、一介の魔法使いである自分の手に負えるかも分からない。  とりあえず、自分一人では手が足りない。  あの黒龍にも助けは借りるとして、場合によっては韋編悪党以外の手も借りる事になる。  待て待て、何故私は彼女の面倒を見る事を考えている。  私は一刻も早く舞台から降りるのだ。  だからこそ、彼女を絶望のどん底へ突き落した連中を残らず殺さねばならない。 ────ん?  魔法使いは、いつの間にか辰砂が姿を消している事に気づく。 慌てて周囲を見渡すと彼女は崩れた屋敷の前でジッと立って何かを見ている。   「勝手にいなくなるな!」  魔法使いの声に反応して辰砂はこちらを一瞬見たが、再び屋敷の方へ視線を移す。  彼女の視線の先には汚れた本棚。かつて彼女が孤児たちへ読み聞かせをする為の絵本を入れていた物だ。    彼女──ハゥフルと会っていたのか?  その問いに辰砂は無反応だ。  だが何らかの接点があった事は確実。   「これが……これからの私が担うべき役目なのか」  魔法使いが呟いた言葉に辰砂が反応する。  ジッと見つめる赤い瞳は何を訴えているのか。  か弱そうな手でクロークを掴む行為が何を意味しているのか。    解らない。だが私がこれからやるべき役目が彼女の面倒を見る事なのか。  魔法使いは考える。  それが烏の企みの範疇かは不明だ。  何より、かつて烏に頼まれてハァフルにしたように辰砂へ手を差し伸べ、そして今回と同じような出来事になったとすれば──  魔法使いはその事を恐れていた。  だが烏から半ば無理矢理とは言え、ハァフルへ手を差し伸べた事からも分かるように彼は本質的には困っている相手へ無視は出来ない。 それが、連中の掌の上で無様な踊りを披露するとしても──  今度こそは守らねばならない。  深い森へ降りしきる冷たい雨。  雨が上がるのを森に住まう獣達は眠るようにして待ち、最早生命の息吹きを感じられない程の雨音だけが鳴り響く。  そんな森の中を進む二つの影。    魔法で作り出した傘(敢えて傘なのは彼のセンスである)を片手に、三角帽子から覗く黄色の目を光らせる魔法使いと彼の横をチョコチョコと歩く辰砂。  空は未だに灰色の雲に覆われていたが、彼らの進む遥か先には雲間から注ぐ太陽の階段が差し込んでいた。    ククク……何とか上手く行ったか。 さあ無愛想な魔法使いの元に現れたのは謎多き一人の少女。  物語の導入としては些か王道過ぎるが、いやいや王道にはその由縁たる良さがある。  心温まる物語、希望に満ちたストーリー……それは言わば嵐の前の静けさ。  輝く光があるからこそ、我ら悪党は影に潜んで次なる悪夢を練るのだ。  果たして、この少女とそれに関わる物語がどのような結末を辿るのか───  どうぞ、鷹揚のご見物を。