長く続いた大戦の結界、人類は倫理観を尻からヒリだして下水に流してしまうことを決めた。 戦争に勝つためという大義名分のもと、ありとあらゆる狂気の沙汰が認められるようになった。 止め時を模索するには、あちらもこちらも血を流しすぎ、失ったものが多くなりすぎていた。 人形と呼ばれる兵器が最初に登場したのは大戦中期のことである。 最初の人形は、完成済みの義体に戦死者の脳を載せただけの簡素なものだった。一応、命令を聴く。一応、戦うことができる。その程度の粗末なものだった。しかし、戦死者のリサイクルができるというメリットは大きく、各国はこぞって人形を生産し、戦場へ投入した。 時は流れ、十余年。 次々と新型の人形たちがロールアウトされる中、旧型でありながらも生き続けている個体が存在した。 人間の脳を加工して造られた主演算装置は戦闘データの蓄積によって変質し、人形にプリインストールされている戦闘用アルゴリズムとは異なるバトルスタイルをその人形に確立させていた。 そうした人形を、兵士たちは怖れを込めて「骨董人形(Antique Doll)」と呼んだ。 甲割家永(かぶとわりいえなが) 千枚通蔵実(せんまいどおしくらさね)