私は"元"管理者、今はただの一般人。 私は帰宅を選択した、何も変わらぬ日常を過ごしている。 しかし、実際にはこの私の命は仮初に過ぎない、誰かが生きたであろう運命を私は享受しているに過ぎないのだ。 雨の中、私は傘を差していた、視界が悪い。私の心境に似ている、誰かの人生を奪った、なんとも居心地の悪い。だけど私は後悔はしていない、その筈だ…… ___ドンッ…! 「ケホッ、ケホッ、ごめんなさい…!」 先に謝ってきたのは相手の方、誰かとぶつかったのだ。傘を持っていないらしい、私は相手に手を差し伸べた。 「ごめん、私の方も不注意だった……」 相手は少女、その手が私の手に触れた瞬間に脳内を駆け巡る痛み。 「痛ッ……」 「大丈夫ですか!?、やはり先程のでお怪我を!」 「いや悪い、これは違くて…!」 どうにか私は少女を宥めた、どうにも顔が引き攣って上手く言葉が出てこない。私は理解した、目の前の少女こそが私に運命を奪われた犠牲者なのだと…… 「それより、何でこんな所に」 私は平然を装って少女に聞いてみた。 「あの、その……」 少女の視線が泳ぐ___ 「私、その…逃げ出してきたんです。病院から……」 「病院から?、また何で……?」 心臓が痛い、ひどく激しく鼓動する。 "慢性骨髄性白血病"、血液の癌が彼女の肉体を蝕んでいたと知った時、私はどんな表情をしていただろうか…… 「そ、それって……」 「私、自分が死ぬと知って怖くて……どうしようもなくて」 聞くと生まれつき患っていた病である事、最近まで良好であった体調が急変した事、そして体が病魔によって限界を迎えている事を知った。 今は彼女とカフェに来ていた、来る途中で服も調達してきた。さすがにずぶ濡れの病院服のままは可哀想だったからだ。 「すみません、こんな可愛らしい服を……お金は後日お返しますので」 「いいよ、気にしないで」 素っ気なく私は告げる、カフェの椅子にもたれて私は少女を見つめた。白を基調としたジャケットとワンピース、彼女の綺麗な白髪によく似合っている。 少し見つめすぎたか、少女は恥ずかしそうに笑う。 「そんなに見つめられても何も出ませんよ」 「あぁ、ごめん……ところで、愛さんでいいかな?」 愛、それが彼女の名前であった。私はコーヒーに角砂糖を落とす、そしてスプーンで掻き回す最中も私の心はひどく混乱していた。 実際、彼女が私の犠牲者とは限らない。しかし、私の直感は確信していた。きっと、おそらく彼女なんだ……私の心は締め付けられた。 「えと、失礼ですが愛さんはあとどれくらい……」 私は、私は本当に不謹慎だ……あとどれくら生きられるか、そんな死ぬ事を前提に希望のない話を私は身勝手にも投げかけたのだ。しかし、知りたかった……いや、知らねばならなかったのである。 「長く見積もって、おそらく半年……」 「ち、治療の見込みは……完治の見込みはあるのですか」 そう聞くと、愛は静かに首を横に振る。 「もう…手遅れなんです………」 コーヒーを掻き回していた私の手が止まる、どうしようもない感情……これは後悔である、彼女がこんな事になったのは私が、きっと……私が… 「ふふっ、なんだか不思議な気持ちです。初めて会った筈なのにどんな事でも話せてしまう……本当に不思議です」 愛はそう言って紅茶を口に含む、私は引き攣りながらも微笑んでみせる。 「そう、ですね。本当に不思議だ、ははは……」 今は夏、そしてここは海、私はビーチに来ていた。ビキニを着こなす自信はない、短パンにTシャツ、濡れても平気な格好で私は人を待っていた。 「すみません、遅れました!」 視界に入った愛の姿、フリルの付いた白い水着を着こなした彼女はとても可愛らしい。私は思わず、見惚れていた。 「私もさっき来たところ」 私はそう言って笑う、あの日からずっとこうして頻繁に会っている。彼女の両親とも会った事がある、治療という選択肢はもう全員が諦めているらしく、今はこうして愛は自由を謳歌していた。鳥籠の中に閉じ込められたかのような病室での生活の反動からか、彼女はとても活動的でたくさんの場所を巡った。今もまだ行く場所の案はあるらしく、それを語る彼女の表情はとても眩しかった。 「でっ、海に来たはいいけど……どうするの?」 「まずは海の家に行きましょう!、私…昔から気になっていたんです!」 少し興奮気味な愛、その圧に押されて私は少し後ずさる。 私達は海の家に来ていた。 「私、焼きそばを初めて食べました、美味しいですね」 上機嫌な愛の頬にはソースが付いている、私は手慣れた様子でそれを拭いてあげた。 「はいはい、焼きそばが美味しいのは分かったから落ち着いて食べて」 「すみません、私ちょっと興奮していました」 恥ずかしそうにする愛。可愛い……、私の心のイエス様がYES LOVEを連呼をしていた。 YES LOVEッ!! 私はにやける表情を隠す為に注文していたソーダをストローで啜る、その様子に愛は不思議そうに首をかしげていた。 「それから私、海は初めてなんです、子供の時から病院生活でここに来るのだって夢のまた夢でした」 少し悲しげな表情を見せる愛、しかし直ぐに明るさを取り戻してこう呟いた。 「でも、今はここに来れて嬉しいです。とても……とても嬉しいんです!」 私はその言葉に微笑む、こんな日々がずっと続けばいいのに……… 「すみません、少しお手洗いに行ってきます」 そう言って小走りで去っていく彼女の背を見送った、昼は食べた事だし残るは海水浴だろうか…?、あまり海に来た事がない私には想像もつかなかった。 ___ガチャ…… 愛は個室の鍵を閉めてドアに背中を預けた、ぐったりとした様子、口元から血が垂れ落ちる。 ___ビシャ…! 便器に吐いた、血を吐いた。赤く染まる、食道……それとも肺からの出血だろうか、息が苦しくて、どうにも仕方ない。 「う、ぅぇ」 胃の中のものが逆流する、吐瀉物が血と混ざって真っ赤であった。震える体、理解している、静かに忍び寄ってくる己の最期を理解していた。愛は個室の隅で身を丸くする、そして懇願するようにこう呟いた。 「助けて……」 誰にも聞こえない、そんな声を……愛は密かに挙げていた。 愛が帰ってきた、少し帰りが遅いので私は様子を見に行く所であった。 「んっ、遅かったね……?」 「遅くなってすいません」 微笑む愛、しかし私の心に広がった感情は違和感であった。もっと早く……今思えば早く気づくべきだったのだろう、だが……もう遅い… 彼女は死にました、私のせいです。 弱りきった彼女の手を離すのに何時間かかっただろうか。 私は、ワタシは、わたしは……… ごめんなさい、貴方に押し付けた。 私は責任を押し付けた。 私は貴方を愛しています。 これからも愛していきます。 だから私を、決して私を……許さないで下さい。 これは、彼女が亡くなる1週間ほど前の会話、彼女との最後の会話である。 「あはは、また病院生活なんて情けないです…」 ここは病室、個室に置かれたベッドで愛は笑っているが、その額からは汗が垂れ落ちる。手首に通されたチューブ、一滴…また一滴と静かに落ちる点滴、私は黙っていた。 「もう、そんな怖い顔をしないで下さい」 彼女は無理に笑ってみせる、本当は彼女の方が苦しい筈なのに…… 「私は、愚か者です……」 愛にそう告げると、彼女はキョトンとした表情で私の顔を覗き込む。 「そんな事ないです!、貴方はすごく優しくて…!」 「違う!、全部……ぜんぶ私がいけないんだ!、貴方が苦しんでいるのも!、貴方が死んじゃうのも!、貴方をこんな部屋に縛りつけてる張本人は私!、私なの!、貴方に押し付けた…貴方の運命を奪って私は生きてきたの!、他人がどうなっているかなんて知らずに平気な顔して生きてきた!、私は……わたしは…」 この時の私はどうしようもなく情けない表情を浮かべていた事だろう。愛は驚いた表情を見せた後、静かに微笑んだ。 「私は貴方が好きです……大好きです。雨の中、私を助けてくれた事、私の無茶なお願いにいつも笑って付き合ってくれた貴方が…、そんな貴方が私は大好きなんです」 違う、と否定しようとする私の頬に愛の手が触れた。愛は優しく微笑む、そしてこう呟いた。 「私は恋を呟く、私は愛を囁く、私は貴方が好き。だから生まれ変われたら……もしも、生まれ変われたら…また、あのカフェで一緒に過ごしたいです」 頬に伝わる感触、震えていた……触れる愛の手が震えていたのだ。彼女は理解している、己が死んでしまう運命だという事を一番に理解している。だから、希望を……叶うかどうかも分からぬ夢を口にしたのだ。 「愛……」 「ふふっ、冗談ですよ」 愛はそう言って笑う、しかし…こうも言った。 「でも………もしも、夢が叶って生まれ変われた私に出会えたのなら、あの時みたいに私を助けてくださいね、きっと生まれ変わっても私は不器用でおっちょこちょいな筈ですから」 そう言って愛は笑う、儚く笑ったのであった。 「えぇ、きっと…必ず、貴方を助けます」 私は頷いた、大きく頷いたのである。私の頬から零れ落ちる涙、私は…私を許せない。愛、貴方を愛しています。ずっと……一生、貴方を愛しています。 これが彼女、愛と交わした最後の会話となった。次の日、私が来た頃には意識はもう既に無かったそうだ。大量の医療器具に囲まれた彼女の姿を直視する事は出来なかった。 「愛………」 彼女の手を握る、そんな私の手は震えていた。視界がぼやけて、何も見えない。息遣いが荒い、うまく呼吸ができないでいた。 私は何時間も彼女の手を握っていた、はなす事など出来はしなかった……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…愛、ごめんなさい…… https://ai-battler.com/battle/2de4c833-a26b-470e-bd3d-1edc02f26bf4