※以下は戦闘勝利時、または戦闘が面倒な際にお読みください。 Nine Sins―Sloth 【怠惰失活】 例えどうなろうとも構わないさ。 私は怠惰を信じたのだからね。 あくせく働くなんて馬鹿らしい。 貴重な時間を徒労に変えるのはアホらしい。 命を削って生きるなら、 私は前に進まずに停滞を選ぶさ。 太く短く──それが一番だからね。 ────────────────────── 区画の先には雪原が広がっていた。 見渡すばかりの銀世界。雪の花弁は薄灰色の厚い雲からとめどなく降り、果てまで続く真白の地面に触れては混じるを繰り返す。 雪を生やした木々は深くしなだれ、生命の息吹は美しい静寂の中には一つも感じられない。 肌身を突き刺す様な寒さ。 骨の奥底まで沁み渡り、あなたの口から漏れる真っ白な息が雪の中に溶け込む。 先程通った、あの風化しつつも緑に彩られた区画の面影は何処か。異なる自然環境を一つの建物に押し込む【九罪の箱庭】の不可思議さを、あなたは改めて感じていた。 「あなた様、寒くはありませんか?」隣を歩いているロメルが尋ねてくる。彼女の軍帽と肩にはそれなりの雪が積もっている。 “大丈夫”と白い吐息と一緒に答えた後、今度はあなたがロメルに尋ね返す。 ロメルは常に白いコートを着ているが、どう見ても薄いそれに確かな防寒性はないように思えたからだ。 「ご心配には及びません。私たちワルキューレは寒暖による影響を受けません」ロメルは微笑んで言う。 なかなかどうしてハイスペックな肉体である。流石ワルキューレ、元々は神なだけあって一般的な生物の範疇は軽く凌駕しているのだと、あなたは思い知らされる。 これで元のスペックから遥かに落ちているのだと言うから、終戦乙女ではなく本来のワルキューレが人類殲滅を実行していたとすれば一日と経たずに世界から人類は一掃されていたに違いない。 そんな“もしも”を脳裏に浮かべたあまり、あなたの身体は区画内の寒さもを手伝って一層激しく身震いをする。 「……やはり、寒いのでは?」 心配してくれるロメルの言葉を、あなたは大仰な身振りで否定する。 なにせ彼女のことだ。 下手に心配をさせてしまうと、ロメルはコートどころか彼女が身に着けてる軍服すらも脱いで、こちらに着させかねない。 幾ら寒さの影響を受けないと言っても、薄着になってしまった少女の隣を歩くのは居心地の良いモノではない。 自分の隣を歩くロメルがそうした旨を今か今かと言い出しそうな気配を感じながら、真っ白な区画を進むこと数十分。 降り続く雪が進んできた足跡を半分ほど消しかけていたところで、あなたは宙を舞う雪のせいで白く霞む視界の先に大きな影を見つける。 あなたな隣をぴったりとついてくるロメルへ警戒を促しつつ、ゆっくりと影へ近づく。その影の正体が徐々に露わになるにつれて、あなたは全身の毛が逆立つ感覚を得る。 それは未知なる脅威への警戒。 同時に一つの生物がまるで握り固められたかの様に密集しながら蠢く光景への名状しがたい嫌悪感。 真っ白な雪原で存在するには風情の無さすぎる、大量の蟻で構成された蟻山があなたの視界一杯に映り込んだのだ。 かくかくと華奢な脚を動かし、触覚をぴくぴくと忙しなく振る様は、彼らの無機質な瞳の様相も相まってエイリアンめいた薄気味悪さを演出している。 「おやぁ、客とは珍しい。こんな雪原にわざわざ来るとは、余程暇なんだねぇ」 蟻山の光景へ驚愕するあなた達の頭上へ、非常に間延びした(ある種の嫌味っぽさを含有した)抑揚の声が降り注ぐ。 声の方向へ視線を向けると、蟻山の上でこちらを見下ろすバッタ──ずんぐりとした体型からするにキリギリスだろうか──と目が合う。 明けぬ闇夜を象徴するかのような黒眼から漂う邪気は彼がこの区画の主である証を感じ、あなたとロメルは互いに視線を交差させて頷く。 「貴方がこの区画の主ですか」ロメルが尋ねた。 「区画の主……ああ、白面がそんなことを言っていたかな……」 キリギリスの言い方は、声を出すことすら面倒だと言わんばかりであった。 「そう、そうだよ。私がこの怠惰の区画の主……奈落の虫だ……それで、何の用で来たのかな?」 そう尋ねる奈落の虫だが、彼の雰囲気から察するにあなた達の目的にある程度気づいている風だ。 「感情を学ぶ為に、そして歪められた貴方達の物語を終わらせに参ったのです」 「終わらせるぅ? ハハハ、遠慮するよ……今の私はこれが心地よいのだからなぁ」 調子の外れた楽器が響かせる音色の様な笑い声を奈落の虫は上げて言葉を続ける。 「君等のそれは徒労さ……無駄で無意味で無価値ぃ。くだらない使命感とか目的なんて持っちゃって、あくせく行動するなんて──時間の無駄遣いだ」 「無駄遣い?」ロメルは鸚鵡返しをする。 「そう無駄遣いだよ。時間は皆平等だが、そこに公平性は無いのさ──キミもこんなワルキューレに付き合うのは無駄遣いだと気づきなさいよ」 わずかに頭を動かした奈落の虫は明確な嘲りを伴った視線をあなたへと向ける。彼の発言に危機感を抱かざるを得なかったのか、続くようにしてロメルも(僅かな不安を浮かばせる)表情で見つめてくる。 “お前の様な魔物が勝手な事を言うな” ロメルの不安を払ってあげると同時に、こちらが思ってもない事を勝手に捏造した奈落の虫をあなたは一喝する言葉を雪原に響かせる。 “彼女の思いが少しでも叶う為に付き添っている私に──無駄遣いだのと戯言を宣うな” あなたの言葉に明らかな怒りが込められていることに気付いたロメルは、やや安堵しつつも若干の驚きを隠せていない。ここまで怒りを露わにしたあなたを、彼女は知らない上に──自分の為に怒ってくれる相手を始めて見たのだろう。 「ふぅん……まあ、本心はどうだろうねぇ」一方で奈落の虫は尚もあなたを逆撫でる発言を止めない。「人は顔を隠すのが上手いからねぇ。自信満々にそれを言うキミはどんな仮面をつけて──その下にどんな本心を浮かべているのやら……ハハッ!」 これ以上、奈落の虫に発言を許すのは危険。 そう直感したあなたが一歩踏み出した、その時だった。 まるで風船から空気が抜けていく様に全身の力が入らなくなったあなたは、泥のような雪に足を取られて躓きそうになった。 突然起きた身体の不調に困惑するあなたへ、奈落の虫は不愉快な笑い声と共に“先程から発動していた己の力”の詳細を語る。 「キミはとっくに【怠惰失活】の影響下さ。ほぅら、だーんだん、だーんだんと力が抜けていくだろう? 「逃れようとするのは無駄な努力さ。怠惰は至上の極楽……キミみたいな“あくせく働く”タイプにこそ怠惰はつけ込みやすいからねぇ」 かったるそうに言葉を紡ぐ奈落の虫の声はまるでぬるま湯じみた快感。それは全身の力が抜けつつあるあなたの耳孔へ纏わりつき、適温でふやかして微睡みを誘う。 「あなた様──!」 声を張り上げてロメルは駆け寄ると、あなたの目を必死に覚まそうと身体を揺すってくる。しかし、その揺らめきが揺籃の動きと変わる上に身体をぴたりとくっつける彼女の体温もまた──深い眠りへの誘引剤。 「そのまま眠ると良い。雪の布団をおっかぶって……次に目を開ければ彼岸の花畑はもうすぐさぁ。生きるのは辛い……怠惰に浸かって死んで楽になる方がよっぽど快感さ……」 明確な死があなたのすぐ横にまで近づいているというのに、身体は言うことを聞かずに永遠の微睡みを享受しようとしている。 眠っては駄目だ──そう思うだけ、より眠気は加速していく。そこへ蹲る身体に雪が降り積もり、あなたを倒れさせようと(ジワジワとした)重みを沁み込ませていく。 「あなた様──起きてください、眠っては駄目です!」 悲痛さを滲ませた声でロメルは呼び続けるも、あなたはそれに応えられずに瞼を落としかける。 「──致し方ありません。加減はしますが、容赦なくやらせて頂きます」 ぎゅうと拳を握りしめたロメルを、あなたは虚ろな視界で捉えた瞬間── “……え──ッ!?” 勢い良く振り上げられた彼女の拳があなたの鼻根をしっかりと捉えて──鋭くえぐり込んだ強烈な一撃を見舞う。 プロボクサーも顔負けしそうなロメルの拳が届かせる衝撃は、あなたの顔面を抜けて脳を直接揺さぶるほど。ともすれば、そのままノックダウンもあり得た一撃。 しかし、その衝撃で吹き飛んだあなたの顔面が雪面に触れることによって、顔面(より詳しく言えば、ロメルの拳があなたの鼻根辺りを軽く擦りむかせた為に生じた傷)に猛烈な冷たさが沁みる。 正に眠気も吹き飛ぶ一撃。 長い潜水を終えた直後の様に肺いっぱいに冷たい外気を取り込んだあなたは、完全に覚醒する。 「あなた様! 良かった、目を覚ましてくれたのですね……あ、その、先程は大変失礼しました……致し方ないとは言え……その」 罪悪感を抱くロメルにあなたは優しく声をかけて、感謝を示した。確かにかなり痛い一撃だったが、お陰で目が覚めたのは事実だ。 「……あのさぁ、そりゃあ虫が良すぎるんじゃないのかい? パンチ一発で眠気を飛ばすとか、あり得ないでしょ……」奈落の虫は不満そうに言う。 “それだけじゃないさ。怠惰が活力を餌につけ込むなら──その怠惰を吹き飛ばすのも活力。自分の中にある目的を目指す意志がその誘惑を振り払うのだから”あなたの声は力強く響く。 「目的ぃ、意志ぃ? キミは他人のくだらない理想の成就に本気で力を貸しているのかい? そんな──誰からも成就を保証されない努力に、本気で突き進んでるのか? 無駄な徒労にすぎないのに?」 “私たちの歩みを無駄だと、時間の浪費だと、お前が決められる権利は何処にもない” あなたは更に一歩踏み出して、奈落の虫へ──怠惰に囚われ全ての行為を無駄だと決めつけ嘲笑する彼の余裕を崩す。 “歩みを止め、怠惰に浸かり、他者を小馬鹿にするお前こそ──それが時間の浪費だと理解しろ” 「……くだらない理想論はそこまでだ、耳障りな説教もやめろ。蟻共、私の為に働く時間だ──あいつら纏めて雪中に沈めてやれ」 奈落の虫から命令を受けた蟻達が一斉に動き出す。芸術的な程に組まれた隊列は雪面を這い周り、彼らが向ける無機質な瞳にあなた達の姿が映り込む。 隊列の先頭と接触した瞬間、ロメルが作り出した砂の壁が蟻達を阻む。直後砂壁の先から、まるでポップコーンに似た軽快な破裂音が連鎖的に響く。 わずかに開けられた砂壁の先に、あなたは蟻達が続々と自爆していく様を垣間見る。雪面に飛び散る黄ばんだ体液の一部が、あなたの頬に付着すると何やら痺れるような感覚があった。 毒の類だろう。 対象の動きを封じてから、奈落の虫の【怠惰失活】で力を奪い去り、意識を失った所でそのまま雪原に沈める算段か。 ならば、ここはロメルの砂に任せるのが一番。 こちらをしっかりと守る彼女へ合図し、あなたは只管に気を待つ。 「その壁がどこまで持つかな? 私の【怠惰失活】はまだ機能している──少し早いけど、キミらに葬送曲をくれてやろうかぁ」 奈落の虫は耳障りな鳴き声を雪原全体に響かせる。心をざわめかし、頭を揺らし、こちらの意識を奪うような声。 しかし、ロメルの無数の砂があなたを何重にも包むことで、その音の効果はかなり低減されている。 「猪口才な……蟻共、あの砂女を狙え」 隊列を組む蟻達が回り込むように動き出した──その瞬間、あなたはロメルに合図をして砂壁を突き抜けて駆け出す。 愚かにも隊列を動かした事で、自身の元まで真っ直ぐに続く突破口を奈落の虫はあろうことか自ら作ってしまった。 「ひぃっ!? 蟻共何をしている、早く来い──早く私を……私を守る為に戻ってこいッ!!」 己のミスに気づきながらも奈落の虫は、それを棚に上げた態度で蟻達へ悲痛な声を上げるが、それが届くことはない。 鈍重な身体すらも満足に動かせない。 危機が迫っているにも関わらず、緩慢な動作をみせる奈落の虫の瞳には、一撃を見舞おうとするあなたの姿。 ──雪原に響くのは勝負の決した音。 渾身の力を込めるあなたの一撃は、奈落の虫を頭部の奥深くまでめり込み──彼の巨体を吹き飛ばす。 ギギギィと立て付けの悪い扉を開くような声を漏らす奈落の虫は、その巨体を雪面に数度叩きつけながら転がる。 怠惰に浸かりきった肉体は脆弱の極みで、衝撃によって身体のあちこちを抉られた傷口からは、重油の様などろりとした黒く淀んだ体液と黒紫の霧が吹き出している。 「お、のれぃ……こんな、奴らに……負けるとは……私は……怠惰の魔物だ、ぞ……こんな、都合のよい展開な、ど認めるわけには……」 全身を激しく痙攣させながらも、奈落の虫は己が負けた理由に気づけていない。 それは最早哀れで、彼もまた歪められた物語の被害者であることを痛感せざるにはいられない。しかし物語の改悪に抗う訳でもなく、むしろそれを良しとし、あまつさえこちらを酷く冒涜し嘲笑した彼に同情するつもりもない。 「……貴方の発言も一理はあるのでしょう」 ロメルはあなたの横へ並びながら、静かに口を開く。先程まで彼女が戦っていた蟻達は、もうきれいさっぱりと消えている。 「努力が実を結ばぬ事への絶望感、やりたくない事から逃れたいと思う本能、そこから始まる怠惰な日々。 「時間を浪費していると分かっているのに、それをしてしまう矛盾さ──休む暇無く生きる者にとって怠惰とは罪深い楽園なのかもしれません。 「ですが、進化をし続ける為にも、適応し続ける為にも、否が応でも前に進み続けなければならないのです、生き続けなければいけないのです。 「例え一時は怠惰に浸かっても、いずれは自らを奮い立たせて進む決意をしなければならない。何もしなければ、何も起きないのですから」 「……たかがワルキューレが、知ったような……口で説教を、垂れるんじゃあない……」 奈落の虫は尚も減らず口を叩く。 「せいぜい足掻けば、いい……休まなく動き、働き、命を擦り減らせばいい……そ、して……お前らはやがて気づくのさぁ……何をしたって、死んだら終わりさぁ……あの時、あの時、怠けてれば良かった、と……そう絶望し、苦しんで死んでいくといいさ……」 奈落の虫は最後の最後まであなた達への恨み節を吐いたまま、怠惰の果てに肥大した巨体を黒い靄と変えて消滅する。 何をしたって無駄、死んだら終わり───あなたの脳内では奈落の虫の遺言がまるで警鐘の如く何度も鳴り響いている。 確かにそうかもしれない。死んでしまえば、何もかもが無駄になる。富も地位も名声も───己が鍛えた力も魔術も。死は全てを奪い去り、虚無の彼方へと魂を放り捨てるのだから。 だがしかし、明確な死が生の先に待っていたとしても、日々の努力を諦め、怠惰に浸かる理由にはならないだろう。終わりが決まっているからといって、それが今日を明日を未来を諦める理由にはならない。 「───生きるとは、前に進むことなのです」 灰色の空を見上げたロメルがそう呟く。口から漏れた白い息が、静けさを取り戻した真っ白な世界にゆっくりと溶け込んでいく。 雪はまだ止んでいなかった。