──あったかもしれない姿、そのひとつ。 幼い頃から草花に親しみ、動物たちと触れ合って過ごして来た。そのせいか、本来よりも内向的な性格に育ってしまったようだ。 自然に親しんできたことと、元々の魔力の素養があったことから、植物たちから力を借りて戦うようになっていった。ランスは鉄にも負けぬ竹の槍、盾は誇り高き堅木の白檀。癒しの力には薬草の効力が加わった。 必殺技のチェリーブロッサム・スラストは、彼女が最も影響を受けた桜の力を借りた一打である。 そんな彼女だが、甘味が好きだということだけは一切変わっていない。特に桜の花弁を煮詰めたジャムをふんだんに使った、さくらんぼと香草をのせたケーキを食べる時がこの世で一番の幸せだそうだ。 桜の花言葉は「精神美」、「優美な女性」、「純潔」。これ以上に彼女にぴったりな花があるのだろうか? 「わ、わたしがいっぱいいる……?」 「わー!!??わたしはそんなことできません!!!」 【ルビィ・コーラルハートの優美?な一日】 ──ルビィ・コーラルハートの朝は遅い。陽の光をたっぷり浴びてから、蕾が花ひらくようにゆっくり、大きな伸びをして、欠伸を一つ。 「ふぁ……ん、んん?」 ルビィは思わず目を疑った。慌てて窓から身を乗り出せば、太陽が真上にあったのだ。 「ど、どうしよう……依頼の集合時間、一時だよっ……!」 ルビィ至上最も素早く軽鎧を装着し、竹槍と白檀の大盾を携えて駆け出す。重量をものともしないスピードは、魔力による身体強化だけが理由ではない。 彼女には植物の加護がついている。か弱い身体であっても、植物で作られた装具との間に絆があれば己が身のように扱えるのだ。 昼間の冒険者ギルドはがらんとしていた。朝は依頼を求める冒険者でごった返し、夜は依頼の報告に来る冒険者の列ができる。しかし昼は特別な理由が無い限り、喧騒のけの字も消え去る。 「よ、良かった……間に合った……」 「あらルビィちゃん?偉いわね、集合時間キッチリ十分前よ」 声を掛けてきたのは依頼に関する受付を担当するおばさまだった。荒々しい冒険者も恐れる敏腕受付嬢だ。 「えへへ……ありがとうございます」 実際は寝坊寸前だったのだが、ルビィはそんなことは忘れてしまったらしい。 「おや、アンタが最後の一人かい?よろしく頼むよ」 既にそこにいた女性の冒険者が声をかけてきた。急所を守るプロテクターのみを着け、佩剣する姿から剣士だと推測できる。 「よ、よろしくお願いします……」 ルビィは少し気弱に返事を返した。 今回の依頼は街の近くの森で目撃されたという、ファイアベアの調査だ。火山でしか確認されていない魔物が実際に存在するか、また何故森に来たのかを調査する必要がある。 依頼を受けたのはルビィ、女性の剣士──名前はソーレだそうだ──、そして男性の斥候──ガブと名乗った──だった。三名とも森の内部を知っていたので、三手に分かれて捜索、目的の魔物を見つけたら即集合、という手筈となった。 ルビィは森がザワついているのを感じた。自然と親しい彼女も、雰囲気に呑まれて落ち着かない。 「…………ぁぁ……!!」 遠くから叫び声。ガブの声だ。 ルビィは思わず駆け出した。 そこに居たのは、木々を超える体躯を持ち、赤熱した液体を口の端から溢れさせた熊だった。 「グオオオオオォォオ!!!」 熊は異常な程に興奮していた。ガブはどこへ行ったのかと周囲を見回すと、熊の傍らの木に寄りかかっているのが見えた。 「アンタら、無事かい?!ッ、なんだいコイツは、ファイアベアなんてもんじゃないよ!」 ソーレが抜剣しながら駆け寄って来た。 「ソーレさん、少し注意を引いてください!ガブさんを治療します!」 言うが早いか、ルビィはガブの元へと走る。ソーレは何かスキルを使って、熊に攻撃したようだ。 「洎夫藍よ、彼の者を癒して『サフランヒール』ッ!大丈夫ですか?!」 ガブは焼け付いた酷い傷を負っていた。しかし、回復魔法の力によって一命は取り留めたようだ。ルビィはガブを抱えた。 「ソーレさん、撤退しましょう!」 「分かった!『砂塵』!」 砂埃が舞い上がり、熊は一時的に視界を失う。ルビィとソーレは示し合わせたかのように走り始めた。 「アイツはファイアベアじゃない、マグマベアだよ……私らの手には負えないし、一人抱えた状態じゃ追いつかれる……」 ソーレが沈鬱な面持ちで話した。 それに対してルビィは自分に言い聞かせるように呟いた。 「……だとしても、諦める理由にはなりません。なんとかして……」 轟音。木々がへし折れ、火の爆ぜるパチパチという音がいやに響いた。 「ガアアアアァァア!!!」 マグマベアは想像を絶する能力を持っていた。ルビィたちの居る地点まで、一切の迂回もせずに迫ってきたのだ。 「くっ、洋蘭よ、我らの途を照らせ『オーキッドフラッシュ』ッ!」 目眩しの光魔法も、一時しのぎにしかならないだろう。万事休すだった。 「くそッ『砕刃』!」 「グアアアアァッ!!ガアァッ!!」 ソーレがマグマベアの右目に深い一撃を与えたが、深追いしすぎていた。熊が振り回した腕に当たり、ソーレは弧を描いて吹き飛ばされてしまった。 「こっちに来なさい!」 ルビィは抱えていたガブを置いて、光魔法を放つことで熊を挑発した。 孤独な逃走劇が始まった。熊は完全に理性を失っており、逃げるルビィを追いながら溶岩のヨダレを吐き散らしていた。 「はぁっ、はあっ、ッあ……」 小さな石に躓き、ルビィは転んだ。致命的な失敗だった。 熊に追い詰められ、ルビィは木を背にしてへたりこんだ。 ルビィは微笑んだ。 魔法には詠唱というものがあるが、スキルは詠唱をしている姿を見られることはない。 かと言ってスキルに詠唱が無いのかというと、それは違う。戦闘中に前衛を張る者は詠唱をする暇が無いだけなのだ。 「……地に根ざす意思、永きを生きた賢者、装いを新たにする貴人、春の先駆け。その力をわたしに貸してください。『チェリーブロッサム・スラスト』」 木の枝がマグマベアの右目を貫いた。確認するまでもなく即死だ。 「ありがとうございます……桜の木よ」 青々とした葉を纏うその木は、葉桜だった。ルビィが最も親しんでいる桜の、夏の間の装いだ。 ── ルビィは冒険者ギルドまで、ソーレとガブを抱えて歩いて行った。大変な道程だったが、気絶した二人を置いていくなどありえないことだった。 「貴方たち、どうしたの?!」 ギルドの面々が一挙に押し寄せて来た。事情を説明するなり、ギルドの関係者は大慌てで奥の方へと引っ込んで行ってしまった。 ルビィはソーレとガブを治癒術士に預けると、フラフラと行きつけの甘味処へと吸い込まれていった。 「ご注文は何になさいますか〜?」 「桜のケーキを三個とローズティーでお願いします」 「かしこまりました〜」 華奢なフォークをクリームとスポンジの塊に叩き付けて、口に運ぶ。時々薔薇の香りを漂わせる紅茶を飲み、ようやく一息ついた。 「おいしい……」 ルビィ・コーラルハートの優美な一日は、こうして去っていった。