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Ⅴ号戦車パンター

パンターの開発は、既存のドイツ戦車がソ連戦車のT-34に対抗できないことを知ったことから始まった。T-34を上回る30t級の戦車を目指し、MAN社とダイムラー・ベンツ社に要請された。両社とも70口径75mm砲を搭載し、トーションバー方式のサスペンションが採用され、前面傾斜(避弾経始)を考えた装甲だったが駆動方式は違っており、ダイムラー・ベンツ社の容姿はほぼT-34だった。ヒトラーはベンツ社を推していたが、MAN社の設計案で決まった。しかし案が採用された時ヒトラーが装甲厚を60mmから80mmに変更することを命じ、重量が重戦車並みの45tとなった。そんな中、とうとうパンターD型の生産が始まったのだが、問題だらけだった。まず変速機が10t以上も増えた車体に耐えられず、故障が相次いだ。さらに新開発の12気筒エンジンも開発段階の問題が残されたままで、極端に信頼が低かった。その後は改良型のA型、装甲強化を図ったG型が生産され、最終的に6000両作られた。Ⅳ号戦車とすべて置き換えることはできなかったが、大戦後半の主力戦車として活躍した。