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【縫界の守護者】フィリス

風が止まった。 荒野を駆けていた白翼は、足を止め、視線を上げた。地図にない谷間に、ぽっかりと口を開けたような巨大な空洞――遺跡があった。 「……あれが、目的地?」 地元の村で噂されていた“古代の遺跡”を調査していた白翼は、その異様な遺跡に直感的な違和感を覚えた。 遺跡の入り口は半ば崩れていたが 白翼は慎重に足を踏み入れた。崩れかけた入口の先、ひんやりとした空気が頬を撫でる。 「……地下?」 遺跡の内部は、陽の光が届かないほど深く、そして広い。石で組まれた通路には苔が生え、長い年月の経過を物語っている。 崩れた壁や、途切れた柱。無数の小さな魔法式が彫られた床――そのどれもが、かつてこの場所がただの建造物ではなかったことを示していた。 「古代文明の……儀式場?」 注意深く歩を進めると、古代語で刻まれた警告文を見つけた。 『侵入者ハ、即刻立チ去レ』 『許可ナキ者、立入ルベカラズ』 『■■■■、封印中――』 やがて通路が開け、半球状のドーム空間に出る。中央に据えられた台座、そしてその周囲を取り囲むように配置された八本の柱 柱にはかつて光を放っていたと思われる魔導器が取り付けられていたが、すでにほとんどが壊れていた。 それでも―― 「……まだ生きてる」 右斜め前の柱から、ごく微弱だが確かな魔力が脈動している。まるで鼓動のように。 白翼は台座へ近づき、手を触れる。 その瞬間―― 「……っ!?」 空気が揺れた。何かが目を覚ましたように、空間全体に震動が走る。周囲の柱に残っていた魔力が連鎖的に点灯し、ぼうっと青白い光を放ちはじめた。 そして、空気の流れが変わった。 白翼は気づく。誰かに――いや、“何か”に、見られている。 「気配……? いや、魔力……!」 背後。視線。重圧。微細な糸のような魔力の触手が、静かに彼女をなぞるように這い回る。 白翼は構えを取る。何が起こるかは分からない。しかし、戦闘の予兆だけは確かに感じ取っていた。 そして台座が眩い光を発した 白翼は思わず目を瞑った やがて光が収まり目を開けると 光が消えた瞳、白く透き通るような美しい髪 所々擦り切れているメイド服 そして、鉄と鋼で構成された身体 そう、それは“人形”であった。 石造りのこの遺跡には明らかに異質な存在である よく見ると胸に埋まっている、 これは……魔石?魔力核? 「なんだ、これは…」 白翼がそれに手を伸ばした瞬間、遺跡の空気が変わった。 「――起動」 無音の中、かすかに響いた声は、まるで機械のような無機質なものだった。 直後、空間を切り裂くように、細く鋭利な“何か”が空中に現れる。 見えないが確かに存在するそれは、風を裂き白翼の元へ迫って行く 「っ……! 攻撃――!?」 白翼は即座に風を巻き起こし、跳躍。襲い来る何か……糸を紙一重でかわした。 無言のまま立ち上がった人形の目が、白翼を静かに捉えている。 そこには怒りも敵意もない 魔法人形にとって当然の行動であった 石造りの空間に、だんだんと冷たい魔力が満ちて行く そして再び“糸”が空間を走った。 「……出力【空断糸】」 目には見えないが、空気の揺らぎでかろうじてその存在を察っした――それは、細く鋭く、魔力を帯びた斬撃。 「【空断】【鎌鼬】」 白翼は風刃を放ち、見えない糸を全て断ち切った。 しかし―― 「っ……!」 風の弾幕を貫いて、一筋の糸が肩を裂いた。服が破け、赤い血が滴る。 フィリスは微動だにせず、無表情で白翼を見据えている。 「戦闘評価……」 「………完了」 「捕獲に切り替えます」 その言葉と共に、空間に十数本の糸が顕現する。フィリスの手から伸びたそれらは、意志を持つようにうねり、蛇のように周囲を包囲した。 「……出力【黒籠】」 逃走経路を封じる檻のように糸が石壁に突き刺さり、逃げ道を無くす。 「………出力【終縛織】」 全方位から糸が白翼に迫りくる 「……【風翼解放】」 瞬間、白翼が消えた 「……どこに、」 「…【大竜巻】」 強烈な上昇気流と共に、地面を削るほどの風の柱が発生。 糸が乱され、魔法人形の制御に一瞬の遅れが生じた―― その一瞬を、白翼は見逃さなかった。 「魔力核――」 風を纏い、加速。魔法人形との距離を一気に詰める。 舞う糸をすべてすり抜け、白翼の手が魔法人形の胸元、埋め込まれた魔力核へと伸びる。 「――危険リスク大。保護結界を展開」 「それでも、止めるッ!」 重い衝撃と共に、地面に魔法人形が叩きつけられる 白翼の魔力が魔力核に炸裂する。 「……出力【黒断】」 魔法人形の黒い糸が白翼の身体を斬りつける しかし白翼は止まらない 「……なぜ!?」 「………これでも英雄なんでね」 やがて――糸が、ふっと力を失って空中に落ちた。 …… ………… ……………… 人形の瞳に、微かな光が灯る。 白翼は静かに息を吐き、近づいた。 「さて、君は何者なの?」 人形は、顔をゆっくりとこちらに向けた。 「識別コード……失効。個体名称……未登録。機能一部を除き正常」 その言葉は、白翼に向けられたものでは無く、会話ではなかった。 「名前がない……」 白翼の言葉を遮るように、人形は告げた。 「外部環境における情報取得を必要と判断。……最優先事項を決定。外部知識の再構築」 「………」 「………………」 「敵対意思が無いと判断」 「対話モードに移行します………」 「…完了」 「そこの者に問います。今は天暦何年ですか?」 「天暦?なにそれ?今は郷暦だよ?」 「郷暦………………」 「記録に存在しません」 「質問を変更します」 「この世界の大天使はどこにいますか?」 「天使?……知らないね」 「…………知らない?天使なのに?」 「そもそも私は天使ではないよ」 「は?…………………」 「………想定外の事象が発生」 「現状を緊急事態■■に暫定します」 「………」 「……………」 「…暫定個体名【白翼】を非敵対存在と認定」 「対象の観察による外部のデータ収集を開始します」 そう言って人形は立ち上がり一歩前に出た そして白翼の背後に、音もなく並んだ。 白翼は苦笑した。感情も、意思もない。ただ論理的な判断だけ 「いいよ。じゃあ一緒に行こう、外の世界へ」 「承知しました。」 遺跡の外に出た時、どこまでも続く青空が広がっていた。遠くで小鳥が囀り、草木の匂いが風に乗る。 白翼はその空を見上げて、隣に並ぶ人形に言った。 「君は、空って初めて見る?」 人形は答えなかった。ただ、上を向き、目を細めた。 「記録中……視界拡張。観測環境。分類“空”」 やっぱり、感情なんてないのだろう。けれど――それでもいい。 「君にはまだ名前もない。だから……わたしがつけていい?」 人形はわずかに白翼の方を向いた。反応があった、と思いたい。 「識別子登録【白翼】許可。任意に設定を」 白翼は、ふっと笑った。 「……そうだね。じゃあ、“フィリス”って名前はどう?」 人形――フィリスは、少しの間を置いてから、言葉を返した。 「識別名、登録完了。“フィリス”……受理」 風が吹いた。世界は静かに、二人を包んだ。 感情はない。けれど、そこには確かに、出会いがあった。