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決闘代理人

 私の国には、病死が存在しない。  私の国では、自殺が起こらない。  あるのは、勇敢なる戦死のみ……  "覇葬"という言葉を聞いた事があるだろうか?  この国では、必ず他者と戦って死ななければならない。  それがルールだ、それこそが絶対的な規則である。  ___"覇を以て死へと向かわん"  この国では、必ず決闘の末に死ななければならない。  しかし、それは今では形式的なものとなっている。  剣を持てぬ老人に剣を握らせ、"我ら"が責任を以て決闘を執り行う。  それが生まれたばかりの赤子であれ、人を恨む獣であれ、先の未来ある若者であれど……  我ら"決闘代理人"が名誉な死に様を約束しよう。  これは人間の物語、現在までに紡がれてきた悪しき法の為した物語。  そして___、  それは魔王の物語、悪しき女神を打倒した魔王と出会うまでの物語。  「待ってくれ!、こいつは俺の娘なんだ!」  知っている……  「まだ助かる余地があるんだよ!」  知っている………!  「だから、どうか待ってくれ!」  知った事か…ッ!?  とある家で返り血を浴びてきた、その時の私はひどく苦虫を噛んだ表情を浮かべていた。  「悪魔…!、この悪魔が!、よくも娘を…!?」  知っている、そんな言葉を何度……私は浴びせられてきた事か……  私は決闘を終えて家を出た、あの家族の憎しみに満ちた目を……私はこの先も忘れる事はないだろう……  ラウシュだ、私の名前はラウシュ・ボルケニカ。この国で代々決闘代理人を任されてきたボルケニカ家の養子である。  先に言っておこう、私は左腕が"無い"、真の意味で左肩から先が存在しないのだ。  そうだな……いわゆる、忌子という存在である。  この国では、そのような生まれの者は決闘代理人に殺されるのが常識だが、本当に私は運が良かったらしい……当代の当主及びに筆頭代理人に命を救われたのだ。この事については、いくら感謝しようと足りない事実である。  だから、私は努力した……より冷淡に冷徹に強さを求めて研鑽を積んだ、必ずや彼女の期待に応える為、私は……!  「あら、ラウシュじゃないの……。頬に血が付いているわよ?」  とある女性がハンカチで頬を拭ってくれた、彼女こそが若くしてボルケニカ家の当主を継いで筆頭代理人を務める御仁、"セラム・ボルケニカ"その人である。ちなみに、私の義理の姉にあたる。  そして___、  筆頭代理人とは、簡潔に述べると最強、この国の人間全てを処刑でき得る者に与えられる称号が"筆頭代理人"、この国において最も強き存在こそが彼女だ。  「どうしたの?」  セラムが顔を覗く、私は…何でもない、と返した。  手を引かれた、まるで私を子供扱いである。  「ほら、二人で一緒に帰りましょ?」  こんな時がずっと……、続けば…  「あぁ、そうだな……」  私は、そんな風に言葉を返すと微笑んだ。  「ほら、バンザイして……バンザイ!」  今は風呂場にいる、私は一人でも脱げるのに……  仕方なく、されるがままに服を脱がされた。  「あっ、少し待っていて下さいね」  そう言うとセラムは腰に差した両手剣を壁に掛け直した、私は……その剣に見惚れていた。  ___"神殺し『ペパレス』"  かつて、鍛冶場の女神"ぺパレス"によって鍛えられたとされる伝説の両手剣。その持ち主には遥か遠い国の国王や勇者がいた、とされているが実際のところは分からない。だって、私達が直接的に見聞きした訳ではないのだから…、本当の事なんて実際には分かりっこない……  しかし___、  その剣の斬れ味は本物である。鋼鉄すら軽々と切断し、数々の厄災から国を守る上で重要な働きをしてきた事は紛れもない事実だ。その使い手が姉であるセラムであるならば、尚のこと剣は伝説的な強さを発揮する。  「あらあら、本当にラウシュはこの剣が好きですね」  セラムの視線、私は思わず目を逸らす。  「い、いや……そんな事…」  「でも、この剣に深入りしてはダメよ、きっと踏み込めば身を滅ぼしてしまうもの……」  姉のセラムは悲しそうな表情で聖剣を撫でた、私はその様子に呟く。  「それを託したという魔族との約束?」  その剣は、一昔前にとある魔族から託された代物らしいが、その正体は博識なセラムも知らないのだと言っていた。  「えぇ、この剣は邪を退ける力があるらしいけれど…、時として剣自身が厄災となる時だってあるの……」  セラムは剣聖の領域に足を踏み入れていながら、ひどく剣を憎んでいる。  だって___  「酷い話よね、この国では剣で誰かを傷つける事は出来ても……大切な誰かを守ることは出来ないのだから……」  毎日、決闘と称した処刑活動が行われている国の現状は狂っているとしか形容しようがない。  "西の覇国"の名を聞いた事のない者はこの世に存在しない、この国は王が"不在"である。居ない訳ではないらしいが、ずっと"空席"のまま代わりに3人の代理者が国を統治している。  覇を冠しているだけの事はあり、他部族からの侵攻を"エルハの防壁"と呼ばれる天にも届かんとする高い壁と、その壁に空いた裂け目の間を我が国が誇る百戦錬磨の精鋭が日々守っている。  この国は何千年もの間、覇を以てのみ維持されてきた。だから、他の国について知り由もなければ、外部に興味を持つ事さえ禁じられている始末である。  なんとも閉鎖的な国だ、これで武力が伴っていなければ直ぐにでも滅ぼされていた事であろう。  「ラウシュ、貴女はこの国が好きですか?」  セラムは問いた。  「嫌いっ!、ほんと大っ嫌いだよ!」  「ふふっ、私もですよ…」  セラムは微笑む、妹の手を引くと浴槽に続く扉を開いたのだった。  風呂はいい、返り血だろうが綺麗に洗い流してくれる。それに、入った後はさっぱりして身も心も全てが洗われた気がするのだ。  「じ、自分で洗えるってば」  ラウシュは恥ずかしそうに言った。  「ふふっ、たまには姉に甘えたって良いではありませんか…!」  背中をゴシゴシと洗われる、誰かに背中を任せるのは何となく怖い…と感じる事がある。それに姉の豊満な肉体と比べると、私の体など薄っぺらくて涙が出てきてしまうというものだ。  「私は、ラウシュの背中が好きですよ」  「はいはい、そうですか……」  セラムから布を強奪する。片腕では背中を洗うのに一苦労するが、それ以外ならば私一人でも出来るというものだ。  「ふふっ、やはりラウシュは強い子ですね」  姉からの一言、私は冷たく返した。  「強くなければ、私に価値など無いに等しいので……」  私は他人より欠けた状態で生まれた、だから常人の倍の努力をし、常人以上の強さを保持しなければ殺されてしまう。  「いえ、ラウシュ……そういう意味ではなくですね…」  どうやら、セラムを困らせてしまったらしい……  「失礼、意を違えたのなら謝ります、すみません…」  「いいえ、姉とは妹に振り回される存在です、もっと私を困らせても良いんですよ!」  セラムに肩を掴まれて言われた、これはどうやら本気のようである。  「えっと、考えておきます」  私は、少しだけ冷や汗をかいていた。  私はさ…、食事の時が一番嫌いである。  だって、ナイフとフォークって扱うには両手が必要でしょ?  片腕の無い私は、代わりに固形物というものが切り分けられた状態で出されるが、それが屈辱的に感じる時もある。  「あら、ラウシュ?、食べないの」  私は切り分けられたステーキを見下ろす、それに反して姉は器用に食べていく。  「いや、何でもない……」  「そう…?」  切り分けられたステーキを頬張る。私の我儘で状況が変わるならば、私はこんなに卑屈にはなっていないだろう。  「美味しいです。」  無理に笑ってみせた、その様子にセラムは心配そうである。  「何かあったの…?」  「いや、何でも……」  私は目を逸らす、私の悪い癖である。  「ラウシュトラス・ボルケニカ…」  私の真名を呼ばれた、こういう時の姉は真剣である。  「はぁ……、分かったよ」  私は降参してフォークを皿の上に置いた。  「私達ってさ、何が正しい行いなんだろうね…」  姉は、黙ったままである。  「私達は他者を殺し続けるだけの…、いわば殺戮者なんだと思う……。そんな私達の行いを…、天は肯定してくれるだろうか?」  天とは、つまり信仰する"戦場の女神カラサス"の事である。  「私達は……言われるがまま人々を殺してきた、だけど……私はそれを間違っていると考えるようになってきた、きっと私達は道を違えてしまった…、人として歩むべき道を踏み外したのだと……」  私は全て打ち明けた、正直なところ……この国の現状に飽き飽きとしていたのである。  姉は椅子から立ち上がり、こちらへと迫ってくる。  私の表情は、ひどく引き攣っていた。  「あ、あのねセラム、これは……」  しかし、予想に反して姉は私を抱きしめた。  ___ギュッ…!  「よくぞ…、心のうちを話してくれましたね」  「せ、セラム…?」  怖かった、姉であれども相手は決闘代理人である事を忘れていた。下手をすれば反逆の罪で斬り殺されてしまう、だから…私は恐れたのだ。  「ラウシュ、私はですね……この国を出たいと考えています、どうか私について来てくれますか?」  右手を差し出された、私は状況の理解できぬまま姉の指先に触れる。  「セラムが行く場所なら、私は何処へだって……」  私は微笑んだ、それに対してセラムも笑ってみせた。  「では、亡命は今夜…という事で!」  そう言って姉は笑ったのだ。  私は夢を見ていた、初めて人を殺した時を思い出す。  相手は老人、もはや起き上がれもしない老体を椅子に座らせて私はその手に木製のナイフを握らせた。  その時の私は、ひどく震えていた事だろう。  「け、決闘代理人が一人、ラウシュ・ボルケニカが……き、貴様に決闘を申し込む」  ___"覇を以て葬らん"  この国に安らかな死は存在しない、我々が責任を持って覇葬するからである。  この国に逃げ場など有りはしない、我々が全霊を奮って逃げる者を捕らえるからだ。  この国に異を唱える者は一人もいない、我々が即座にそのような発言をした者は覇を以て葬るからである。  「おや、手が震えておるぞボウズ」  老人は静かにそう言った。  「わ、私は女の身だ!」  老人は、乾き切った笑いを溢す。  「そうか、それは失礼な事を言ったのぅ、この年になると耳も目も上手く物事を捉えられなくなるのだよ」  私は一旦、構えた剣を下ろしていた。  「だがな、光を失った今だからこそ分かる事もあるのだよ。この国は破綻しておる、それも手の施しが無いほどに骨の随まで腐り切っておるのだ」  私は咄嗟に告げる。  「そのような発言は死罪に等しいぞ!」  しかし、老人は笑った。  「この身は今まさに死に向かう身だ、何を今さらに恐れる事があろうか?」  老人は開かぬ目で私を見据える、私は苦虫を噛み潰した表情で呟いた。  「たとえ国が間違っていたとしても、私は姉の行く道を信じて進むのみだ!」  老人は笑う。  「それは愛が為せる所業か……、しかしな若造よ……愛は時として、我が身を滅ぼす程に残酷な側面を覗かせるものだ」  その言葉に私は激怒した。  「黙れ!、黙れ!黙れッ!ダマレッ!だまれッ!」  私は剣を振り上げた、その時の老人は悲しそうに私を見つめていた。  ___ザシュ…!  「ラウシュ…、ラウシュったら起きて、もうラウシュ……」  私は誰かに肩を揺すられる。  「んー、もうちょっと寝かせて〜……」  私は布団を被り直そうとすると殺気がベッドを両断、私は咄嗟に回避すると剣を構えていた。  「ふふっ、おはよラウシュ、出発の時間よ」  セラムがいた、私は冷や汗を垂らしてこう返す。  「あぁ……、ここを早く発とう」  手荷物はない、あるのは各人の武具のみ、エルハの防壁の裂け目を超えた先に待ち合わせの人物がいると姉は言っていた。  しかし、私は少しだけ心配であった……。  今は真夜中だ。  「では、行きましょうか」  姉と共に外へと出て行った、もう…この家に帰る事は無いのだろう。  今は街の巡回作業に扮して街を出て行こうとしている最中だ、街を出た後はエルハの防壁までは森林が広がっており、そこでは国の精鋭部隊が国境警備として目を光らせているが、当代最強と名高い筆頭代理人の姉とならば強硬突破も辞さない姿勢である。  エルハの防壁の裂け目を越えれば、いくら覇国と言えども手出しはできない。だから、そこに辿り着けるかが私達にとって最重要事項なのである。  「んっ?、ボルケニカ姉妹じゃないか!、どうしたんだよ真夜中に?、お前ら今日は非番だろ」  警備部の重鎮に見つかった。暑苦しい大男だが、侮れないだけの鋭さも持ち合わせた厄介な男である。  「あらあら、ボッシュさんじゃないですか?」  姉が対応する。気さくに会話しているように見えるが、内心では鼓動が鳴り止まないでいた。  「しかしセラム、お前は胸がデカくていい女だな……って、心臓が高鳴っているではないか!」  「気安く女性に触るものではないですよ、特に相手が自分より格上の場合は要注意です。」  男の手首を捻り上げ、セラムは忠告をした。  「おうおう!、ヒデーじゃねぇかよ!、チビ助も何か言ってやれ」  「私、チビじゃない、立派なレディです!」  私は不機嫌にそう返した。  「そうかよ、……っで!、こんな夜更けに二人で何処に行くつもりだよ?、まさか良からぬ事でもする気なんじゃ___」  セラムの指先が男の唇を優しく押さえた、姉は笑顔でこう言った。  「ボルケニカ家として善意で巡回しているのです、例えば貴方のようなお馬鹿さんを切り伏せたりとか……」  セラムは聖剣を少しだけ抜いた、男は大柄な体格に反して弱腰に叫んだ。  「わ、悪かった!、胸を触った事や要らぬ詮索をした事は謝罪する!、だから剣を納めてくれ!」  「はぁ……、せっかく切れ味を試せると思ったのに」  姉は剣を仕舞った、そして優雅に踵を返すと男に別れを告げた。  「では失礼、今日も貴方の素敵な仕事ぶりに期待しているわね」  「は、はい……喜んで…!」  まったく…、姉の手腕には普段以上に驚かされるという話である。  街を出た、ここから先は言い訳の余地がない領域に足を踏み入れる事になる。  「ラウシュ、準備は良いですか?」  私は笑って答えてみせた。  「えぇ、失敗した時はセラムを恨みます!」  ___ダッ…!  両者は眼前に広がる森へと駆け出した、木々の間をすり抜けるように颯爽と裂け目を目指して駆け出したのである。  「第一陣が来ましたよ!」  セラムの声と同時に闇夜から刺客が現れる、全身を布で覆った集団のお出ましである。  私は剣を引き抜いた。  ___ギイン…!  「ぬるい…ッ!」  私は右腕に力を込めて眼前の敵を切り飛ばす。私は左腕の無い身なれど、生半可な者に負けるほど弱くはない!  「痴れ者が…ッ!!」  ____火花が舞い散る……ッ!  それは蛮族の戦い方であった。右腕で足りぬならば両足を、それでも足りないと言うのならば歯を使って敵を噛み殺してみせる。  「ラウシュ、あまり先行し過ぎないように……!」  と、言っている姉の方が容赦なく敵を切り殺していく様子は、何やら一周回って笑いが込み上げてくるという話である。  では___、  このまま突破していく!  どれほどの敵を切り捨てたのか、私達はどうにか日が昇り切るまでに裂け目を越える事ができた。  そして、私たち姉妹は丘の上で朝日を浴びて立つ。どちらも返り血を浴びてはいたが、手傷などは無かった。  息も絶え絶えに私は呟く。  「でっ、待ち合わせの人物とは何処で合流するのですか?」  不思議そうに私が周囲を見渡していると、姉からの返事。  「もう少し先の方です、彼は見晴らしの良い丘の上よりも視界の悪い木々の中が好きですから」  姉の口から発せられた"彼"とは、どのような人物なのだろうか?、少しだけ不安が過ぎる。  それを他所に姉は呟いた。  「さぁ、私達もそろそろ出発しま……、ゲホッ!?、ゴホッ!、ゴホッ!」  突然、姉は咳き込んだ。私が近寄ろうとするが、姉はそれを片手で制止した。  「セラム!、来る時に薬は持ってきたの?、もしかして家に置いたまま…!」  最近、姉の体調は優れないままだ。姉は何ともない、とだけ呟くが……妹の私からしたら大丈夫なわけない!  「薬は……、もういいのです。それは、今日で必要無くなりましたので」  「……ッ??、何を言ってるの…?」  ____スパッ…!  私の左肩にかけて炸裂した斬撃、速すぎて認識の遅れた痛みが私を襲う。  「くっ……!?」  咄嗟に剣を構えようとしたが、そんな余裕などある筈がなく簡単に弾かれて手元から離れていく。  空中を空回る剣、それが地面に突き刺さるより速く、私の喉には普段から見慣れた聖剣が突き付けられていた。  「せ、セラム……?、これはどういうつもり??」  痛みに震えた肩、その痛みを喰い縛って私は問いただす。  「どういうつもりも何も、国から逃げようとした愚か者を排除するだけの事です。」  理解が出来ない、だがしかし姉の目は真剣であった。  「ラウシュ、貴女のことは少し前から疑っていたんですよ。従順な国の犬でありながらも、どこか納得の言っていないその表情、前々から気に食わなくて仕方がなかった」  吐き捨てるような言葉、私は震えながらに問いた。  「セラム!、いえ…姉さまッ!、これは一体どういう冗談ですか!」  姉は首をかしげてみせた。  「はて?、冗談……?、それこそ笑える冗談ですよ。私は国の矛たる決闘代理人、そして貴女は国を裏切った亡命者であるという事、そんなことこの国では赤子だって知っている常識でしょうに」  「で、でも……亡命はセラムも同じだ!、それに此処に来るまでの間に私達はいくら魂があっても足りない罪を重ねてきた筈だ!」  亡命に、衛兵殺し、それに決闘代理人の裏切りは重罪だ。それは筆頭代理人であるセラムが一番理解している筈である。  「あらあら、何か勘違いをしているようですが、別に私は国を裏切ってなどいませんよ?、これは国との契約、貴女を殺すまでの交換条件です」  「条件…?」  その疑問に姉のセラムは頬を歪ませて笑った、そして空いた方の手で二人がいる丘を見渡した。  「だって此処は、あのとき私が貴女のご両親を手に掛けた場所ですもの!」  私の体中から汗が噴き出す、それと同時にセラムは握った剣を振り下ろす。狂気に満ちた瞳が私を視界に捉えていた。  咄嗟に体が動いた、そうでなければ今の一撃で私はとっくに死んでいた。  距離を取ろうとフラつく足取りで後退する、私は恐怖で息が出来なくなっていた。  「さすがは私が選んだ子、生かして育てたかいがあるわ」  剣を構え直し、私の方へと淡々とした足取りで迫り来る姉の姿が嫌でも視界に入ってくる。  逃げなきゃ殺される、そう私は確信すると同時に姉に背を向けて走り出していた。  「あ"!?、ぁあ"!、あゝ…!?」  声にならない声を挙げて走る、遠くに見える己の剣へと手を伸ばして走っていた。  ____ザシュ…!  背後から斬られた、背中に広がる痛みを伴って私は地面に勢いよく転がり落ちていた。  「ラウシュったら、教えたでしょ?、いかなる時も敵に背を向けてはならない、貴女が日頃から穴が空くほど見ていた指南書に書いてある事よ」  そんな事など今は考えている余裕なんてない、私は一刻も早く武器を手に取ろうと起き上がる。  しかし、その瞬間____姉の剣先が右足の踵を容赦なく切断する。私は痛みと共に再び地面に倒れ伏していた。  「人の話は最後まで聞いておくものよ、それが人としての礼儀ではなくて?」  化け物のアンタに言われたくない台詞だ!、私はそう思うと同時に怒りが湧き出てきた。  「やるならやれよ!、私の家族を殺した時みたいにな!」  家族の顔など、当時まだ赤子だった私が覚えている筈はない。だがしかし、殺される寸前の表情は腹の底まで目の前にいる"怪物"が憎らしくて仕方なかった事であろう。  怪物は笑った。  「アハっ…!、そう!、その表情が見たかったの!、ご両親と全くおんなじ!、あのとき赤ん坊のまま殺していたら、今日この瞬間にその表情を拝めないままだったわね!」  私はうつ伏せの態勢で両肩、そして両脚の関節部を的確に貫かれた。思わず挙げていた絶叫、姉であったセラムの表情が歪む。  「いい鳴き声あげるじゃない!、片腕は無くても豚の才能はあったのね」  涙で視界が塞がれる、叫び声に耳の感覚が失われ、信じたくはない現実に精神が無常にも押し潰される。  姉は……!、いやセラムは!、私の"敵"だッ!!  「ア"ァ"ーーッッ!!」  何を言っているかも分からない、そんな状態で私は地面の草花を千切ってはがむしゃらに何度も怪物に投げた。手足をばたつかせ、自由になろうと身をよじる。  しかし、不意に私の頬を蹴り飛ばした一撃が激しく意識を歪ませる。  「醜い、なんて醜いのかしら、もう観念して黙りなさい」  後頭部にのしかかる重み、怪物の足裏が私を地面に押し付けた。私は僅かな呻き声を挙げてもがく、しかし圧倒的な力に敵うはずなく無力化されてしまった。  「さてと、貴女を育てた10数年間、その最期を看取るのに相応しい事は何かしら?」  怪物の足がどいた、私は微かに頭を上げる。  「し、知るかよ……」  悔しさに拳を握り締めた、こんな所で私は死ぬのかよ!  「あっ、そ____では、死になさい!」  刃先の迫り来る感覚、私は咄嗟に握り締めていた拳から土煙を放ち、怪物に目潰しを喰らわせた。  「くっ、小癪な__!」  ほんの少しではあったが、聖剣の刃先が私から逸れて首筋を掠めた。首の皮一枚、私は咄嗟に全身を総動員して駆け出した。痛みを忘れ、己の剣へと身を乗り出した。  ___時間は一瞬、命は短し、足掻けよ乙女  両脚が上手く動かないままの疾走、不恰好ながらに己の剣へと手を伸ばす。背後から迫り来る死を知覚する、それよりも早く剣柄へと届いた己の右腕が振り向きざまに強風を吹き荒らす。  互いの剣撃による衝突、丘の上にて轟音を響かせる。あまりの衝撃にラウシュは後退、だがしかし敵は前進を続ける。  二度目の剣撃、迫り来る剣筋を見極めて渾身の力を込めて攻撃を防御する。  ラウシュは両目を見開く、耳元で聞こえたのは金属の叩き割れる音。痛みが走り、血飛沫が視界を覆った。胸から腹にかけて斜めから切り裂かれた傷口を見下ろす、腹部から飛び出した己の内臓に思考が動作を止める。  己が研鑽を積み、これまで心血を注いできた剣技。震える唇、目の前にいる怪物には届かなかったのだ。  先程の一撃は、肺の深くにまで到達していたのか呼吸が止まる。ふらつく足取り、飛び出した内臓から垂れ流れる血液が辺りを鮮明な赤一色に染め上げる。  だが___、まだ私は立っている。未だに眼前の敵を睨みつけたまま立っていた。  まだ、私はマケテなどいない……ッ!!  「せ……らム…ッ!」  声にすらならない言葉が喉から飛び出した。叩き折れた剣を再び強く握り直し、もはや動かない足先で地面を強く踏み砕く。  怪物は驚いた、迫り来る脅威に驚いた。  迫り来る剣撃が視界の真ん中で火花を散らす、冷や汗と共に敵からの初撃を防いだ。  「まさか、これ程までに……」  その一撃は先程の斬り合いとは比較にならない程の重みがある。セラムが握り締める聖剣が微かに揺ぐ。  「くっ……!?」  二度目の剣撃、折れた刃から放たれた一撃が聖剣から繰り出された一撃を凌駕する。  大きく弾かれた聖剣、セラムが驚愕の表情を見せると同時にガラ空きとなった胸元へと折れた切先が真っ直ぐ飛び込んでくる。  ___ザシュッ…!  心臓に深々と刺さった刃先、深く抉られた胸部の隙間から鮮血が雪崩れるように零れ落ちる。  「ぐっ………」  一瞬、セラムは苦痛に表情を歪ませる。だが、それも一瞬の出来事であった。  「これで……、いいのです…」  聖剣が手元から滑り落ちる、代わりに震える両腕がラウシュを優しく包む込んだ。  「強く、なりましたね……」  息も絶え絶えに、セラムは自身の妹へと語りかける。  「せら…む……???」  とうのラウシュは、混乱した様子でセラムを見た。  「ラウシュ、聞いてください………、これが姉として出来る、最後のお節介です…」  セラムは妹を抱きしめたまま話を続ける。胸部に開いた傷口からは以前として出血が見られ、もはや助かる余地がない事など誰もが嫌でも想像する事ができた。  そして、セラムは苦痛に歪んだ口元で淡々と語り出した。  「私は…この先で孤独に待ち続ける存在と遠い昔、とある"契約"を交わしました。自身の命を引き換えに、今の力を手に入れたのです。」  何の事を言っているのか、ラウシュには分からなかった。契約とは何か?、命を引き換えに……とは何か?  「私は、寿命の大半を代価として"呪術"を授かりました。"戦の呪い"、一時的に仮初の力を得る代償に魂を8つに分断され、やがては早くに死へと至る呪い、そのせいで私は……ゴホッ、ゴホッ!」  セラムは咳き込んだ、視界がボヤけてきた事を自覚する。  「ラウシュ、時間がありません。私から最後に頼みがあります……」   弱々しい声、ラウシュは耳を傾けた。  「……生きて、ください…。どうか、貴方だけでも幸せに生き…て……。この先に……、彼が…待っている筈です……」  セラムからの声、その言葉が呪いのようにラウシュの脳裏を駆け巡る。  「セラム…!、セラムも一緒に生きると言ってよ!?」  咄嗟に喉から這い出た言葉、涙を含んだ声が口元から飛び出した。  その様子にセラムは、少しだけ微笑むと……優しく妹の頭を撫でた。  「ごめんなさい、私は……行けないわ」  抱きしめる両腕の力が弱まっていくのを知覚する、死が目の前まで訪れていた。  「いやだよぉ…!、そんなの嫌だよ……!」  ラウシュの声、これは我儘だ。しかし、それを姉は優しく微笑みながら聞いていた。ラウシュから我儘を聞いたのは何年ぶりだったか、そんな事を考えては静かに目を閉じていく。  さようなら、ラウシュ………  丘の上で誰かの泣く声を聞いた、その始まりは一人の赤子が泣く声であった。  その小さき命へと剣が向けられる、我らが決闘代理人が覇を以て赤子の命を葬らんとしていた。  「決闘代理人が一人"セラム・ボルケニカ"が、汝に決闘を申し込む」  形式に従い、今もなお泣いている赤子の懐に木製のナイフを置いた。  周囲には血の臭いが散乱していた、つい先程に亡命をはかった愚か者どもを始末したばかりであったからだ。  しかし、その事について理解は出来た。眼下で泣いている赤子には片腕しかない、もう片腕は生まれた時から無かったらしい。  この国では奇形な者は必要とされていない、遅かれ早かれ決闘代理人によって殺されていた事だろう。だから、少しでも我が子が生き残れる選択肢を選んだのだろう。  まぁ、結果としては失敗に終わったわけではあるが……  「___覇を以て汝の魂を葬らん」  良心の呵責が無いわけではない。だがしかし、己が決闘代理人である事を忘れた訳でもない。  高々と掲げられた聖剣、迷う事なく振り下ろされる。  ___ドス…!  刃先が赤子を切断した、と……思われたが、結果は少しばかり違った。  赤子の真横、その地面に深々と刺さった聖剣。赤子の泣き声が止み、むしろセラムに向けて何が面白いのか笑ってみせる。  セラムは困惑していた。  「何が……あった?」  確かに私は赤子へと聖剣を振り下ろした。だがしかし、その直後に聖剣自らが軌道を逸らしたとした表現しようがない"力"で切先を鈍らせたのだ。  「そんな事が……まさか、あり得ない」  聖剣は持ち手を選ぶ、この剣の所有であるセラムは"契約"によって一時的に預かっているに過ぎないのだ。  ___聖剣が、この子を選んだ?  そんな疑問が頭をよぎる。納得できない気持ちはあるが___、  「………分かりました、この子を育てればいいのでしょう」  そう聖剣に語りかけ、地面から引き抜いた。  自宅の窓際、憂鬱な視線で外を眺める。赤子を抱き、乳を飲ませている最中。しかし、子供を身籠った事がない私から母乳など出ない。だから、代わりとして牛から搾った乳を複数回に分けて少しずつ与えている。  ひとしきり腹が満たされたのか、ようやく乳が入った器を離してくれた、意外と赤ん坊って力が強いものだと胸裏に思いを秘める。  私の両親は既に亡くなっている、いや……正確には私に殺されたのだ……。  これも"契約"、そのうちの一つであった。  「…………。」  私は固く唇を縛り、肩を震わせた。あの時、両親を手にかけた瞬間が脳髄を這い上がってくる。  「………、んっ!?」  赤子の拙い手先が私の顔へと伸びる、何もない空間に指先を這わせて私へと手を伸ばしていた。  私は、不思議そうな顔を浮かべて顔を近づける。  すると___、  「キャ!キャ!キャ!」  と、赤子は笑っていた。  思わず頬先が緩んでいた事に一瞬、私は戸惑いを感じていた。自分自身の頬に触れてみる、それと同時に感じたのは流れる涙から発せられた水分である。  私は泣いていた、無意識のうちに泣いていたのである。  赤子が、不思議そうに私を見つめている。  「ふふっ……、ごめんなさい、なんだか急に涙が溢れてきちゃったの……」  言葉が通じているなど思ってはいない。だけど、気付かぬ間に赤子へ話しかけていた事に今更となって、少しばかり己の変化を自覚する。  「私は……貴方の"母"と名乗るには未熟者です。だけど……、せめて貴方が頼れる"姉"として、どうか貴方の行く末を見届けさせください」  涙は依然として止まらない。だけど、少しばかり心の綻びが解かれた気がした。  セラム、彼女は決闘代理人としての立場ではなく、ただ一人の姉として曖昧で、今にも消え入りそうな、そんな儚い存在である自身の妹を優しくも強く抱きしめた。  誰かが尋ねてきた、私は赤子を抱えて扉を開ける。  「おーセラム!、元気にしてたか?」  警備部の重鎮"ボッシュ"であった。私は思わず眉をひそめて一歩退く、どうにも目の前に佇む男が昔から苦手なのだ。  「おいおい、そう怪訝な顔をするなって!、聞いたぞセラム、その赤ん坊を育てるつもりだろ?」  家の中に断りもなく入ってきた男、その指が静かに眠る赤子へと向けられた。私は不快な意を示す表情を浮かべ、男の指先から遠ざけるようと赤子を男の視界から背けた。  「何の用ですか…?」  思わず言葉に力が入る、ボッシュという人物は笑ってみせた。  「そいつは亡命を企てたバカ共の子供だ、つまりは罪人の子にして、片腕のない欠損者だ!、そんな奴を育てるとはどういう風の吹き回しだって言いてぇんだよ!」  そう言って男が躙り寄ってくる、私は咄嗟に口が動いていた。  「その罪人は私自らが始末しました、現在この子は罪人の子などではなくボルケニカ家が養子として迎えた子供、私の大切な妹です!」  さらに男は笑った。  「そんななりで決闘代理人に加わらせるつもりかよ!、そんな体じゃあ大きくなったところで手前の身支度すら満足に出来やしねぇだろ!」  セラムは口を開いた口を固く閉じた、怒りに震えた肩でボッシュを睨む。  そして、ふと覚悟が決まったのか、視線を落として指先が聖剣に触れる。  「そうですか………ならば、"親殺しの罪人"である私を殺そうとした当時と同じく、また【戦争】でも勃発させてみましょうか?」  冷え切った視線が男を射殺す、一歩退くごとに背筋を冷気で切り裂かれた。  「い、いや……冗談だよ!、俺はそんなつもりでは……!」  男が頬を引き攣らせて苦笑いを浮かべる、それもその筈だ。私こそが、この国始まって以来の"国崩しの大罪人"、かつて国を崩壊寸前まで追いやった張本人なのだから___。  「ご理解いただけたなら結構、私はそれ以上の我儘は望みません。貴方達が私の行いに目を瞑り続けてくれている限り、私もまた"お国の犬風情"として覇葬を為し続けましょう」  そう言ってセラムは笑う、その表情の奥にある深淵を覗いてはならない。男は本能的に背を向けて歩き出す、こんな場所に居座り続ける度胸など有る筈がなかったからだ。  男の背を見送り、セラムは深く溜息をついた。  「はぁ………」  しかし、ふと己の手の中で眠り続ける赤子を見つめていると、少し元気が出たような気がした。  ラウシュ、えぇ……名前はラウシュにしましょう。  ようこそ、ラウシュトラス・ボルケニカ。  今はまだ安らかな眠りを何者にも妨げられない事を私は静かに願う、"聖剣に庇護されし子"よ……今はただ、安らかにおやすみなさい。  手を伸ばす、行かないで……  行かないで、行かないで……  行かないでよ___ッ  「姉さま……!?」  ラウシュは目が覚めた、知らない床間で目を覚ましたのである。  すると___、  「まったく、起きて早々に煩いぞ」  男がいた、そして頭部には"ツノ"が生えていた。  初めて見た、その男は魔族であった。  「え、と……あの、ごめんなさい…」  萎縮したラウシュは謝罪と共に毛布で顔を隠す、ずっと魔族がこちらを覗き込んでくるのだ。  「こんな奴を"聖剣"が選んだというのか?」  何やら不服そうに男は胸中を述べていた、なんだか少し腹が立ってきた。  「ちょっと!、人の顔をジロジロ見つめといて、何でそんなに不満そうなんだよ!」  「ならば言っとくが、命の恩人に対してその口の利き方はなんだ!」  魔族に怒られた、それに関しては反論の余地はなかったと思う。  少し落ち着いた。  セラムが言っていた人物とは、おそらく目の前で紅茶を飲んでいる男を指していたのだろう。  「どうした?、飲まないのか…?」  男と視線が合った、それから目線を逸らそうとテーブルに置かれた紅茶の入ったカップを見つめる。  「セラムが言っていた、契約とは何の事ですか…?」  男は少しだけ考えたような顔をして、話の整理がついたのか私に対して淡々と話を進める。  「セラムと言ったか?、昔にアイツとは夢の中で出会った」  はっ……?、夢の中…??  「俺はしがない付呪師の身だ、そして生まれつき"夢幻の瞳"によって他者の夢に己の意思を問わず介入してしまうのだ」  そう言うと魔族の瞳が赤紫に発光する、すると魔族は瞳を隠すように固く瞳を閉ざした。  「偶然、俺は夢の中でお前のよく知る姉と出会い、3つの契約を交わした。」  ①強さを渇望する者、魂を差し出せ。  ②長き命を欲する者、己の命の源流を差し出せ。  ③救いを求める者、聖剣の導きに従え。  魔族は、そう淡々と告げた。  「あの女は夢の中で強さを欲した、だから"戦の呪い"の代価として大半の寿命を失った。次に、奴は失った寿命を延命しようと、"命流の呪い"の代価として己の両親を殺した。そして最後に、奴は聖剣の庇護を受ける為、聖剣に相応しい者の運び手となる事を承諾した。」  その話は少し……いや、とても信じられるものではなかった。  「俺が出来る事は呪いをかける事だけだ。呪いによる効能と代償、全ては奴が快諾した結果だ」  「…………。」  ラウシュは黙っていた、そして震える唇で言葉を発する。  「じゃあ、セラムはどうなったの……!」  「ふん、奴は寿命の大半を失った挙句、実の両親まで手にかけて魂を延命した。今頃は魂が砕けて、輪廻の渦から引き摺り下ろされたところだろう」  魔族は面白くなさげに語った、それを聞いていたラウシュの肩が大きく震える。  「じゃあ、何で貴方は私を助けたの……。これもセラムとの契約…?」  「半分は正しいが、もう半分は間違いだ。俺は【聖剣を渡す事を条件に、この聖剣に相応しい者を連れてこい】という契約を奴と交わした。その結果として、お前が俺の前に座っているに過ぎない。聖剣に相応しければ、お前ではなく、そこいらの犬風情でも俺は一向に構わなかったがな」  そう言って、手元から取り出した聖剣をテーブルに放り投げた魔族。間違いない、セラムが普段から身につけていた"あの聖剣"である。  「それを取れ、お前にはその資格がある。」  魔族はそう言って、不敵に笑ってみせた。  「………じゃあさ」  ラウシュは静かに聖剣を掴むと、魔族を睨んで聖剣を引き抜いた。  「私がアンタを殺すのも聖剣の導きだよね!」  魔族は笑った。  「ふん、出来るかどうか試してみるといい」  まだ傷口が痛む肉体を引きずって、ラウシュは聖剣を振りかぶる。目の前にいる魔族へと聖剣を振り下ろしたのだ。  再びラウシュは目を覚ました。  「私……、どう…なったの」  頭が酷く痛む、視界の端には魔族がいた。  「よく眠っていたな、かれこれ5日は寝ていたぞ」  耳障りな声、私は動かぬ肉体を無理に動かして起き上がる。  「何が……あったの?」  「これが"契約"、俺はお前を助ける代価として、暫くの間は俺がお前の主人となる契約だ。安心しろ、互いに同意のない契約はお前が俺に対して危害を加えない限りは効力を発揮しないからな」  "服従の呪い"、本来は従者と主人の間で対等な取引を行う必要がある。今回の場合は、主人に危害を加えようとした事によって一時的に安全機構が作動したのだ。それは逆の場合も同じ事、主人から従者に対する体罰も契約によって不可能である。  「私を……どうするつもり、ですか?」  恐る恐る質問を口にする、魔族は不思議そうにこちらを見返してきた。  「なんだ、お前を性奴隷のように犯し潰すとでも思ったか?」  「せい…ッ!?、ちょっ、何言ってんの!」  顔を赤らめたラウシュ、魔族は笑い転げていた。  「心配するな、お前を"魔族の国"に送り届ける事が、俺が"魔王"と交わした契約の一部だ」  魔王…?、話には聞いた事がある。たしか、最強種と名高い魔族達の頂点にして"最強"、セラムと同等かそれ以上の実力を誇ると聞いた事がある。  「何でまた、魔王が私に用があるの?」  「それは俺も知らん。だが安心しろ、お前が想像している事は全て外れる」  巨漢でゴリゴリマッチョな脳筋魔族をイメージしていたが、どうやら違うらしい。  私は魔王に会う為、"魔王国"と呼ばれる国へと魔族と共に足を踏み入れていた。  「ねぇ、マーカス……魔王ってどんな人物なの?」  「そうだな……単なるバカだが、情に厚いバカだと言っておこう。」  何処を見ても魔族ばかり、思わず腰に携えた聖剣に指先が触れる。  「安心しろ、お前を無事に送り届ける事も契約の内だ。」  「そう……なら、いいけど…」  眼前に見える魔王城、同行する魔族と逸れないように細心の注意を払って先を進んでいく。  「そうだ、ラウシュ。お前に伝言を預かっていた」  「伝言?、誰から…?」  魔族がこちらを見る。  「お前の姉、セラムからだ」  その言葉にラウシュの耳先がピクリ…!と、揺れた。  「"嘘を付いてごめんなさい、貴方を傷つけ、悲しませた事について謝ります。"……だとさ」  それに対して___、  「まぁ、セラムらしい言葉だね」  ラウシュは素っ気なく返事する、魔族は続けて語り出した。  「"私は貴方の両親を殺した、私を嫌ってくれて構わない、もう姉だと思ってくれなくても仕方がない。だって、いくら罵倒されても足りないだけの罪を犯したのだから……だけど、これだけは嘘偽りのない心からの言葉……"」  ___貴方を心から愛しています。姉として……、家族として……、いつまでも、これからも大切な貴方の幸せを願っています。  魔族は、それで最後だと言って話を終えた。  「…………。」  ラウシュは再び黙り込んでいた、魔族が不思議そうに顔を覗く。  「なんだよ、せっかく伝言を預かってきたのにその態ど……」  ラウシュの頬を伝っていく大粒の涙、ラウシュは声を殺そうと右腕で口を押さえていた。  「セラム……、ゴメンナサイ……」  何に対する謝罪の言葉だろうか、止まらぬ涙で朧げとなった視界、それでもラウシュは歩みを止めずに前進する。  その一歩は小さく、悲しく、辛いものであろうとも、一歩また一歩を踏み締めるようにラウシュは確かな歩みを続けていく。  ようやく……魔王城に辿り着いた、まだ触れてみると頬が熱を帯びている事に気づいた。  「ねぇ、さっきの伝言……あれも、セラムとの契約だったの…?」  魔族に問いかける、返事は短かった。  「いや、あれは契約外だ」  そう言って先を進んでいく魔族、その背中を追うようにラウシュは小走りで駆け出した。  城内は、まるで魔法のように煌びやかに輝いていた。壁や天井、床や絨毯の毛先まで丁寧に磨き上げられた形跡がある。  想像上の魔王城はもっと恐ろしく、残酷で冷たいものをイメージしていた。なんだか、少しだけ拍子抜けである。  廊下の先、大広間を抜けた更に先にある玉座。その玉座において、こちらに視線を向ける存在がいた。  ___間違いない、"魔王"である。  だがしかし、魔王もまたラウシュが想像していた姿とは異なっていた。  少女が一人、こちらに微笑んできた。白髪に硝子細工のように光輝いた半透明なツノ、快晴の空を閉じ込めたような綺麗な青色の瞳がこちらを見つめていた。  「ようこそ魔王城へ!、私は魔王!、"次代の魔王"セレナスハート・センバルよ、親しみを込めて私の事はセレナと呼んでほしい」  そう、魔王ことセレナは笑ったのだ。  これが私と彼女、即ち後世で【剣聖】と称される私と"次代の魔王"の出会いであった。  これは魔王の物語、その中に隠された一つの物語。  かくして少女は魔王と出会った、その後の行く末を知る者は後世にこう語り継いだ。  剣聖、覇を以て敵を葬らん。  その切先に斬れぬモノ無し、然してただ一つ切れない物があるとすれば、それは次代の魔王ただ一人だと語られる。  そして次に始まるは魔王との物語、それは一人の少女が"剣聖"へと成長していく物語。  これは、そんな剣聖に隠された幼き過去を記した物語。 https://ai-battler.com/character/5823e02a-71a6-4043-bbbb-b41278678204