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第六天・波旬/第六神座・波旬大欲界天狗道

第六天・波旬(だいろくてん はじゅん) 座の世界観における六代目の神である その神威が世界に敷く理は大欲界天狗道。 歴代神格の中でも最強最悪の存在であり、その性質は一言で言うと邪神。 形は違えど神格たる者ならば持ち得る神聖さなどは欠片も有さず、生まれ出でたその瞬間から徹頭徹尾ただ己のみを愛し、他の全てを嫌悪愚弄し蔑み殺す外道でしかない。 背後に広がる大曼荼羅は波旬が所有する無限の平行宇宙そのもの。 容姿:何よりも特徴的な額の第三の目と白濁した眼光を放つ目。褐色の肌に緩やかな衣を纏い、くすんだ金髪を炎のように逆立てている。覇吐が「子供?」と感じたのと波旬を倒した時のCGから背はかなり低い。 大和人では無い異国の風貌もそうだが、散々波旬の邪神ぶりを聞き、また間接的に体感してもいた覇吐達は座にて曼陀羅に座すその姿に一種の神聖さを見て意外に思っている。 人物:波旬は他我を自覚するしないの以前の問題。まず何より『人間』というモノが判らない。 「ああ――あれらは何だ?気持ちが悪い」と座に坐りながら感じており、黄昏の女神を初めて自分以外の他者と認識した時は「他人を抱くのが好きなこいつは、奇怪で穢れて気持ちが悪い」と感じその結果「こんなものがいる限り、俺は永遠に一人になれない。だから――」と考え、自身の渇望を爆発的に増大させている。 そして波旬の感情を言葉で表現する時は語弊が生ずる、何故ならそれらはあくまで人間の感情に当てはめ仮定した上でもっとも近いというだけのモノ、心は斑に錯綜しており、読み取ることは波旬自身さえ放棄しているからである。 喜怒哀楽・仁義礼智が最初から入る隙間が無く、常人の精神構造とはかけ離れた唯我の宇宙、成長すべき余地さえも波旬の裡には存在しない。 波旬が他者だと認識できる存在、超重量を有している波旬の魂と世界に対し多少劣るなれど比較対象になりうる存在――つまり神は、それぞれ異なる願いを抱いていても、やっていることは根の部分だと一貫して変わらない。 「我の考える最高に、他人おまえら平伏し従うがいい」と、つまりはそういうこと。 要するに、神とは神と呼ばれる時点で、己が自己愛ほうそくで他を統べるという確固たる意志が必要である。この自己愛ほうそくの例外は、他を幸せにすることで自分もまた救いを感じる、というもの。 しかし幸せの容はそれぞれ違う、それが、受ける側にとって気持ち悪く邪魔なモノでしかないのなら、それは例外たり得ない。 故に波旬に向かって、黄昏を穢すな、彼女を守り抜く、貴様にそんな資格はない……などと誇り、誓い、座の重さがどうのこうのと述べた所で、「それが何だ? こいつら白痴か、自分を愛しているだけなのに別の言葉で飾っているのが、まったくさっぱりこれっぽっちも理解できない」、と波旬からすれば何やら訳のわからぬことを渾身こめて囀っているだけであるため、話し合いは不可能。 法則を流出している以上は説教した所で、「それは自己愛。自己愛だろう。俺の願いと何が違う?」と一蹴にされる。 「なぜおまえたちはいつもいつも――自分が何より大好きなくせに、他人と関わらなければ生きていけないなどと嘘ばかりを抜かすのか」と言っているように、波旬は他人の必要性というものを全く理解していない。 実際生まれながらの神である波旬は、邪宗門に地下深く埋められようが、存在維持に問題はなく生きている。覇道神として他者の魂を力に変える能力も働いておらず、むしろ魂を取り込むほどに弱体化し、触覚も射干も減らすために自分が力を分け与えている側である。 畸形嚢腫だけは波旬の渇望を強化するのに役立っているが、強化される理由が畸形嚢腫が不快だから(要らないと思うから)であり、本末転倒である。 波旬自身は神という立場に対して「神? どうでもいい。知らん言葉だ。他人のカタチを決めるなどその時点で億劫だろう。そんなものは気持ちが悪い」「俺も嫌だぜ、てめえらみたいな塵にかかずらう羽目になるなら、永劫ただ一人でいい」と思っており「天狗道おれでは不足? あぁそうかもな」と自分で認めている。 他者の存在を許さないという点で短気な性分なのだが、他人の評価など気にしないという点で気長な性分でもある。 現に座を取った後、他者を排除するための促進剤を用意したのは七千年以上経ってからである。 座にやって来た夜行を見かけた時も「今から潰されたいのか?」と言った途端「面倒だ……ああ知らん」と無視してしまった。作中全員から徹底的に嫌われ、憎悪されているが、波旬は全く意に介していない。 覇道太極における大まかな分類として、波旬は己の一部である魂たちの在り方を強制的に決定するため、管理型に近いが、彼にはこの系統の者が持ってしかるべき王者としての気概が無い。 在り方を強制的に決定しておきながらその行く先を一顧だにせず、自由を通り越した放任ですらない、ただ徹底した無関心を貫き通す。まさに最悪の脚本であり、やる気がなく愛もない。誰かに読ませるつもりもなく、自分の書庫に並べる気もない、ただ紙や文字という存在自体が気に入らないから、ありったけ吐き出して焚書するためにやっている。 そうすることで、己は唯一の無量大数だと感じるために。究極無二の自閉症かつ自愛症。それは、己以外など視界にも入れないという、覇道の適性を根本から否定するものである。 穢土が消え、天狗道が完成した時も、よく分からないが滅びの回転速度が上がった、ならばおまえはもう不要であると、やはり何の感慨もなく触覚である夜行を他の塵屑同様に切り捨てた。 極限の自己愛、他の全てへの究極の無関心、畸形嚢腫の存在によってさらに膨れ上がった、それらこそが波旬の強さの根源なのである。 究極の自己愛を持つ波旬が目指すモノは、己が好き勝手に欲望を貪ることが出来る世界ではない。 「己の中に別の何者かを住まわせて、なぜそれを喜べる? 邪魔臭いとは思わんのか?」 「俺にあるのは、ただそれが不快だということだけだ。ああ、本当はそのココロすら煩わしい。  平穏、というやつなのか。俺はそれのみを求めている。  永劫に、無限に広がりながら続いていく凪――起伏は要らない。真っ平らでいいんだよ。  色は一つ、混じるものなし俺は俺のみで満ちる無謬の平穏だけが欲しい」 幸福も快楽も自己愛も唯我も己をも超えた先にある、過不足零の凪こそが波旬の望むモノである。 能力:太極は『大欲界天狗道』。 波旬が持つものは、神域すら超越した常軌を逸する「唯我」の渇望、ただそれのみ。 ゆえに波旬は特殊な能力も理も何も、一切有していない。波旬の有する能力は、ただひたすらに絶大無比な、誰一人として及びもつかない最強の力のみ。しかし、それだけで他者の力全てを押し潰す。 波旬は何処までも唯我であり、他者と比べて己がどうこうという物差しすら持たないために全てが自己完結しており、閉じた己の世界の中で強度を無限に上昇させられる。 非常に稚拙で単純だからこそ穴が無いという超高密度・高純度の力の塊。 「俺は俺ゆえに唯一絶対」という理屈になっていない自負が総てで、その神域をも凌駕する思念が有する総量はあらゆる渇望を駆逐する。渇望の強さによる能力の強度上昇、己が太極で異なる理を無効化し、総てを塗り潰す「鬩ぎ合い」は神格が持つ基本能力であるため特殊な能力とは言えない。こういった基本については太極の項目参照。 その力は、流出位階まで押し上げられた最速の願いを知らぬと踏破し、当たれば砕くというものを押し潰し、焦がす炎を無視しながら、回帰に押し流されることもなく、獣の魔軍に蹂躙されず、時の停止をいとも容易く引き千切り、他者の渇望を全て無視して踏み砕く。 空を見つめるだけで穴を穿つような神威は、中点たる太極座と特異点の外界に逆転現象を起こす。万象を見通す最強の天眼。 無限大の津波となって押し寄せてくる自己愛の覇道。 体躯から流れ出した自己愛の汚濁は瞬きの間に太極座のみを残して特異点を漆黒の闇に染め上げ、天狗道が増幅しながら圧を増し、邪の波動となって黄昏の座を外から軋ませひしゃげさせる。 己一人で無限の魂を凌駕する有り得ない超重量の魂。 稚気の波動は大陸を削り一掃するだけの圧力となって夜行の身体を弾き飛ばし、特異点に空間振動の波濤が巻き起こりその総身を粉砕した。 背後に広がる大曼荼羅が、後光のごとく輝く阿頼耶識の卍となって、こいつこそが無限に存在する平行宇宙を掌握する者だと告げている。たった数言呟くだけで無数の宇宙を消滅させる。 ただ波旬の姿を視認するだけで覇道神ですら眼球に皹が走る絶対強度。歴代のどの神格であろうとも指一本で捻り潰し、歴代神格全員がかかったところで腕の一振りで薙ぎ払われる。 神座の始まりと共に生まれ、神でさえ認識できない場所から、すべての神座の歴史を外部から常に見ていた存在をも見つ出し殺す事が出来る。 その力、質量、渇望、あらゆる全てが神格の中でもさらに異常極まる別領域にある。 曲がりなりにも神格に対して不適切だが、怪物と言うしかないかもしれない。 この邪神が頂点に立てば、初代から続いてきた歴史を終わらせ、根本的な神座システムの破壊さえ可能。 歴代のどの神格であろうとも指一本で捻り潰すと作中説明されてはいるのだが、実際描写での波旬の攻撃威力は、物理的な動作よりも気分に依存している部分が大きい。 水銀の蛇は一撃で総身の半分を消し飛ばされ、もう半分も滓の如く払いのけるだけで己が消滅さえ気づかぬまま消滅し、決死の特攻を仕掛けた永遠の刹那は路傍の小石をどかすように腕で払うだけという稚気にも満たない衝撃で、身体に多大な損傷を刻んで退場させられている。 その一方で、黄金の獣を倒すのには八連撃を行って五体粉砕し、黄昏の女神を倒すのには顔、腕、足、腹、胸を鳴き声が止まるまで何度も踏みつけて乗るという大きな動作で消滅させている。 己一人のみを渇望する唯我の求道にして、他の全てを滅ぼす廃絶の覇道。その他に類を見ない性質ゆえに、波旬は座の歴史上唯一の求道型の覇道神という有り得ない矛盾に満ちた存在へと変貌している。 座の特性として前任者たちの残滓と理を使い捨てに攻撃してくるが、その無限大の魂を片っ端から捨て去っていくことすらも彼にとってはただの塵掃除でしかない。本来、覇道神はその有する魂を失うほどに弱体化していくが、求道型の覇道神という特級の例外である波旬にとって、他の魂とは塵であり枷でしかない。 すなわち、彼の宇宙は、波旬ひとりという環境に近づくほどに強くなる。他の全ての魂を捨て去り、真に一人だけとなって純化された波旬こそが無量大数の密度を持つ最強の状態なのである。 これが第六天、大欲界天狗道という無敵と言うしかない理である。 太極・大欲界天狗道:その理とは「森羅万象滅尽滅相」 己以外の他者全てをただひたすらに滅殺する、歴代最悪最凶の鏖殺の宇宙である。 座の完成と共に、「この宇宙に存在するのは自分だけでいい」「己以外は必要ない」という唯我の思想が伝播し、宇宙の生命全てが世界唯一の存在になるべく、家族や恋人なども一切関係なく殺し合うようになる。 その滅尽滅相の徹底ぶりは虫魚禽獣に至るまで、人どころか馬でさえ殺し合いを始めるほど。さらに天狗道には死後概念が存在しないため、死した魂は転生することもなく完全に消滅する。これ自体は第一天〜第三天までの座と同じだが、徹底した唯我の念ゆえに生者の中で新たな命が育まれることも有り得ないので、次代に繋がる命が存在しない。 完成した天狗道の行き着く先は、波旬との同調で強化された数十億の射干と十数万人の高位の射干、さらに数万の疑似求道神が殺し合い消えてゆき、数日たらずで宇宙を荒野と化して最後には何も残さないという、全ての生命・未来の消滅した無明の暗黒、宇宙の滅びである。 神格へ至る才能を持つ者が波旬の後押しで至った場合「掛け巻くも畏き、神殿かんどのに坐す神魂かみむすひに願い給う」という序文が祝詞につく。この内容は座への平伏に他ならず、放っておくと自負に酔い、自愛に狂い、己以外は滅尽滅相という法に服従する走狗、波旬の赤子となる。 そして最も厄介なのは、波旬の太極値が検証不可能という規格外であること。これにより、太極値が最高値、且つ防性面に特化した夜刀以外の神格ではまともな鬩ぎ合いが不可能。たとえ座に至った神であろうとも神座ごと圧し潰されてしまう。 この様に最悪と言ってよい理だが、さらに性質の悪いことにある意味において完成度が非常に高く、その治世を終わらせる事は非常に難しい。神の治世を終わらせるためには次代の覇道神か、自滅因子が神を打ち倒すしかないが、まず波旬が歴代最強の神であるために勝つことは不可能に近い。 また勝てる勝てない以前の問題として天狗道に自滅因子は生まれず、次代の覇道神の誕生の可能性も極小である。なぜなら波旬は極まった自己愛ゆえに自壊衝動を持たないし、自己愛に囚われた天狗道で発生する渇望は求道のみであり、覇道の渇望を持つ者が自然には発生し得ないからである。 それでも命の誕生が続く限り、覇道神が生まれる可能性は零ではないが(実際、かなりのイレギュラーではあるものの作中では次代の覇道神が誕生している)完成した天狗道においては新たな命が生まれることがないため、次代の覇道神が発生する可能性も完全に絶無となってしまう。 ゆえにこの邪神の宇宙が完成し切ったが最後、宇宙は完全に波旬ただ一人に収束し、以後の座の移り変わりも絶対に起こらない。悠久の時を経て代を重ね、連綿と続いてきた命の歴史・座の世界そのものが終わってしまうのである。 そしてそれをもって波旬は己こそが唯一無二であると証明し、その平らから安息に永劫浸り続ける。これが最悪最強、絶対に完成させてはいけないと言われた理由であり、この最悪の結末を防ぎ、次代の神が生まれる可能性を守るために、夜刀が生き恥を晒しながらも天狗道の完成を阻み続けていたのである。 元となった渇望は「一人になりたい」「俺以外は消えてなくなれ」 極大まで膨れ上がった自己愛故に、己以外見ようともしない唯我の渇望である。その渇望は畸形嚢腫という他人を(排他という形であれ)意識したが故に生じたものであり、他者を省みない唯我でありながら他者への意識を根源とするという矛盾が、波旬を求道型の覇道神たらしめている。しかし矛盾の源である畸形嚢腫の触覚である覇吐と対峙した時だけは、矛盾が解消され並の覇道神という型に嵌ってしまう。 実際、言動を見ても独り言や煽りを並べるだけで他者を徹底的に無視している波旬だが、覇吐にだけは憎悪や殺意という負の感情でありながらも対面や会話をしている。 またこの世界は覇道太極における管理型と呼ばれるもの。いわゆる人の運命を神座が管理するのだが、波旬はこの系統の者が持ってしかるべき王者としての気概がない。魂の在り方を強制的に決定しながら、その行く末を全く一顧だにしていない。それは自由を通り越した放任ですらない、ただ徹底した無関心。 覇道の適性を根本から否定するものである。そしてそれ故に波旬は穢土の残留をはっきり認識できず、天狗道も完成することがなかった。 卍曼荼羅・無量大数:総体はあらゆる次元の宇宙規模――卍むげんの曼荼羅うちゅうをたった一人で埋め尽くしている。無量大数の個我そのもの。 光は命を消し去る放射線だという意で光明を願い太陽に万象の滅相を求める全霊、存在を懸けた最後の攻撃。 波旬が絶対と信じる神威の具現。