ワンダーランドの海辺には怪物がいる。 だから子供も大人も決して近寄ってはならない、ワンダーランドの住民なら誰しもが知る話である。 とりわけ牡蠣殻が浜辺に散乱していたら、脇目も振らずにすぐ逃げろ。同行者がいても決して構うな、構えば仲良く怪物の腹の中。 そうした手合の話は大抵海への危険を促したものなのだが、ことワンダーランドにおいては実際に怪物が存在していた。 海辺の頂点捕食者として名高いセイウチに酷似した怪物は、今日も餌を探していた。 その巨体と大きな口は確かに人間を丸呑みする事が可能だが、実際に怪物が人を食らった試しはない。 怪物にとって人間は美味しくない。 牡蠣の方が美味しい。 怪物は自分が人間を食べる存在だと言われていることなどつゆ知らず。大事な狩場と餌を守る為だけに人を追い払う。 だからこそ、今日も見知らぬ人間が海辺に現れた時も軽く追い払おうとした。 白い仮面を付けた不気味な人間に怪物は飛び掛かり、そして無惨にも敗北した。目と耳を鼻を奪われ、全身に無数の切り傷を負った怪物は今や海辺で静かに横たわっている。 死んではいない。 だが、傷と何らかの拘束によって怪物は動く事さえままならない。怪物は静かに唸りながら、己の魂の灯火が消えていくのをゆっくりと感じている。 目が見えない、それは永遠の闇の中へ沈んだという意味。 されど、それは恐怖ではない。 耳が聞こえない、それは浜辺に押し寄せる波の音も聞けぬ寂しさ。 されど、それも恐怖ではない。 鼻が利かない、それは怪物が最も好む餌の匂いを嗅げないこと。 それが、何よりも恐ろしかった。 この期に及んで怪物は自分の胃袋が餌を欲しがっていることばかり気に病んでいた。食べる事だけに生きていた怪物にとって死よりも恐ろしいのは空腹だった。 そんな時だった。 何かが怪物の鼻先に触れた。 匂いは分からない。 何かは怪物の鼻先へ何回も当たると、突然口の中へ強引に入り込んできた。そして怪物は反射的にその何かを咀嚼した。 久し振りに食べた餌は美味しかった。 とても柔らかくて、噛むごとに甘酸っぱい液体が口の中に溢れ、肉の内にある硬い物体は噛み応えがあった。 それが何か、怪物には分からない。 でも、分からなくてもよい。 口の中へ次々と放り込まれる何かを食べていく度に怪物は元気を取り戻していく。 いつの間にか拘束は解けていた。 傷の痛みはもう感じない。 体に異変はあるが、それよりも──── 腹が減った。 まだ食べたりない。 取り戻した日常を、しかし決して同じではない日常の中で怪物はいつも通りに餌を求めて彷徨う。 ズウンと重い音が海辺に響く。 不気味な怪物を倒したあなたは森へ進む。 その後ろ姿を一匹のキツネが見ていた。 倒れた怪物を回収したキツネは、静かにあなたの後ろをついて行く。