───────────────── 10代後半〜20代前半 身長176㎝ No. 【██████】 コードネーム:無し。G棟収容。 X月X日 生体兵器の襲撃により死亡。 ───────────────── 手に入れた全ては僕……否、私の物では無い。所詮は借り物での不毛な競争だ。 本当に欲しかった物は何だったのだろうか。今はもう分からないが、きっと遠い過去の中、手に入らぬまま、色褪せ朽ち果てたのだろう。 ───────────────── 【以下、暴力表現有り。閲覧注意】 生まれてみれば、始まったのは恵まれた消化試合だった。 私が産声を上げたのは、【芸術の国】の都に有った屋敷。 優秀な2人の兄が居た。だから私の狭い世界は私が居なくても事足りた。私に出来る事と言えば、良家に嫁いで子を成す事だけだった。それだけの為に優秀な家庭教師も宛てがわれたが、それらが功を成すことは無かった。 身体ばかりが大きくなった私を欲しがる殿方は居なかった。皆、抱きしめればすっぽりと収まる可憐な令嬢を求めていた。だから私は父の笑顔を見た事がない。 私の知る父は、由緒ある血に固執していた。落ちぶれて辺境に追いやられた貴族達を『怠惰の象徴』と蔑み、「あれだけにはなるな」と、常に口を尖らせていた。 母の事は知らなかった。物心ついた頃には既に居らず、唯一知っていたのは大病を患い、療養の果てに死んだ事だけだった。 私には、常に1人の侍女が居た。私より一回り程歳上の、シャルロッテという女だった。絹の様な明るい髪と、晴れた空のように澄んだ青い眼の美しい女性だった。 彼女と初めて会ったのは父親に連れられて……だったと思う。恭しく振る舞う彼女にどうしたら良いのか考えあぐねていると、シャルロッテは私の目線より低く身体を落とし、まだ小さかった私の手を優しく握った。 「本当の家族のような温かい関係を築くことができれば」と微笑む彼女を見て、流石に少しばかり若過ぎるが、母親というものが居たのならこんな感じなのだろうか。などと、ぼんやりと考えていた。 彼女のお陰で、私の幼少期は孤独じゃなくなった。 シャルロッテは色んな物語を知っていた。彼女の優しい声は私にとって、沢山の世界を開く鍵だった。ここではない遠いどこかで、毎晩沢山の冒険をした。ある晩は西のお菓子の国を堪能し、ある晩は東の国の神秘へ触れた。ある晩は北の雪国へ足跡を残しに。ある晩は南の砂漠を超えて空高く、どこまでも遠い世界へと。 彼女の腕の中、柔らかで温かい鼓動と、化粧の粉っぽくて甘い香りの中で眠りに落ちるまで。どこまでも遠く、深く。 いつしか私は『居ない者』として扱われ、家族からは挨拶すら無視されるようになっていた。ここではないどこかに、私の居場所はあるだろうか。窮屈な思いとは裏腹に、ここを出るのは怖かった。 「悲観なさらないでください、████様。きっと、この世界にはまだまだ知らない綺麗な物が沢山ある筈です」 常に居心地の悪い私の心境は悟られていたのだろう。物語の中では誰もが何者にだってなれて、誰だって自由なのだとシャルロッテは微笑んだ。 幼子というものは時に残酷で、私は一度、彼女に、何になりたかったのか問うた事がある。彼女は困ったように笑いながら、はぐらかした。しかし私の問いに深い意味が無かった事を悟ると、少し恥ずかしげに「教師になりたかった」と答えた。 我ながら、最低な問いだった。 彼女の柔らかな声は更に続いた。 「今は████様にお仕えする事ができて、夢が叶ったようで幸せ」だと。 それは余りにも残酷な答えだった。例え宛てがわれた主人だとしても、私の前では自分を押し殺し、そう答えざるを得なかったのだ。 シャルロッテの家庭は貧しく、彼女の稼ぎが頼りだった。学問を学ぶ余裕など無く、彼女は朝から晩まで働いていた。 シャルロッテも、ここではないどこかに自由を求めていたのだろうか。少なくとも今の姿は、なりたい自分の姿じゃ無かっただろう。たまに私の服をクローゼットに仕舞いながらも、どこか物欲しそうに見つめている事があった。どの服も私より、ずっと似合うに違いない。それに合う貴金属もいくつか用意して勧めたが、結局袖を通すような事は無かった。 気が付けば私の背丈は、彼女の背丈を追い越していた。身体が大きくなる度に、彼女に対して臆病になっていった私を、シャルロッテは私に、自分の前では己を抑圧するのをやめろと叱責した。 せめて私の前だけでは自由で有って欲しいのだと。どうしてそんな事を言うのかと、ただただ私は動揺した。彼女の前ではいつだって、私は臆病で情けなくて、そのくせ彼女から決して離れられない子供だった。 「████様の事は何でもお見通しなんです」と、シャルロッテは誇らしげに胸を張った。 私の気持ちを知ってか知らずか、いつだって彼女は私の理解者で居ようとしていた。まるで本当の家族のように。私にとっての姉のようでもあり、母のようでもあり、私を導く規範であるかのように。だから私は、私の胸の内に有った想いを口にする事が出来なかった。内に秘めたそれは、彼女に投げかけるには……あまりにも悍ましいものだと子供なりに理解していた。 ねぇ、シャルロッテ── 知っていたんだよ私は……君が私の父親と寝ていた事を。 言葉にするのも憚られるような激情に全身を揺さぶられながらも、父はあんな風に笑うのかと、どこか遠くから俯瞰するような自分が居た。 母がシャルロッテを始めとする愛人達と父との関係で精神を病み、自ら命を絶った事も私は知っていた。 「本当の家族のような温かい関係を築くことができれば」 本当に私もそう思っていた。ずっとそう思いたかった。沢山の冒険の思い出も、愛おしい輝きであってほしかった。 けれども私の中の家族は、日記の中で唯一生き残っていた、世界を呪う母親だけだった。 それでも、私は臆病で情けなくて、彼女にすら何も伝えられなくて、身体だけが大人になって心は取り残され、彼女から決して離れられない『臆病な嘘吐き』だった。 ───────────────── その日も変わらない1日になる筈だった。どこか遠くで黒い煙が上がっているのを尻目に、何も知らない顔で今日が終わるのを待つだけの。 シャルロッテが淹れてくれた紅茶が、僅かな振動を伝えた。それが終わりの始まりだった。 凄まじい振動と轟音が私達を襲った。 「████様!!」 弾かれるような悲痛な声。私を柔らかく包んでいた粉っぽい匂いはやがて、噎せ返るような血と砂埃の匂いに変わり、今でも鮮明に思い出せる程に骨の髄までこびりついた。そうして私の世界は崩壊した。 全身が酷く痛んだ。シャルロッテを抱きしめ、傷を増やしながらも必死で空を目指した。そうして外に這い出た時に嫌でも気がついた。シャルロッテが既に事切れていた事に。どちらの物か判別も付かない、血に汚れた衣服のまま、ただ呆然と彼女を見ていた。 結局、私達は散々罵ってきた『怠惰の象徴』に守られていたのだ。迫り来る戦禍の中で最早、どちらが怠惰であったかは明らかだった。 戦禍の熱気の中、身体は死に向かっている筈なのに、冷め切った思考だけは浅ましく生を求めた。貴族である事を隠さなければならない。敵兵に何をされるか分からない。動かなくなったシャルロッテが私の視界を捕らえる。侍女の服。頭がクラクラした。死んでも彼女は私達親子に利用されるのか。 「ねぇ、シャルロッテ。起きてよ、拒んでよ……今から私は君に最低なことをするんだよ……」 答えは返って来ない。それを分かりきった、投げっぱなしの独白。 父親が繰り返した過ちを、震える指でなぞった。私の傷口から流れる血が、彼女の身体を汚していく。 叫んで何もかもを滅茶苦茶に壊し尽くしたくなるような、この世の醜さを限界まで煮詰めたような、そんな何かが私を内部から押し潰すかのように迫り上がる。漏れ出た情けない呻きは、祖国が壊されていく音に掻き消された。 身に纏ったのは、彼女の理想とかけ離れた最期の姿。 償いにすらならないが、せめてもの想いで着せてやった服も首飾りも、やっぱり私よりもずっと似合う。 ……知っていたんだ私は。君は私を見ているようで、私の耳飾りや首飾りを見ていた事も。それなのに彼女は何故、私を庇ったのだろう。 本当の君と私は一体何処に居たのだろうか。 死にたいのか、生きたいのかも分からなくなって、敵兵に捕まった自分を何処か遠くで見ているようだった。 ───────────────── X月X日 本日移送。屋敷で侍女として働いていた様子。全身に傷が多く(添付資料紛失)感染症のリスクが高い。要経過観察。 X月X日 経過良好。この日【ギフテッド】投与も特段変わりなし。改めてG棟へ収容。 X月X日 引き続き本被験体生存も、特異な能力は何一つ出現せず。失敗作という結果になる。 生体兵器や【成功作】との戦闘訓練用として使用予定。 X月X日 この日、生体兵器1体施設内で脱走。█分程で無事鎮圧し再収容。しかし本被験体のものと思しき毛髪や血痕、衣服が散乱しているのを戦闘員が発見。鑑定の結果、本被験体のDNAと一致。本被験体は普段から生体兵器の檻付近を散歩している場面を研究員達に目撃されており、何度か注意はしていたものの、運悪く巻き込まれて捕食されたとの結論となる。 X X年X月X日末を持って当報告書焼却処分とする。 ───────────────── 嫌でも分かった。貴族だと悟られた先にあるのは地獄だと。見せしめだと言わんばかりに、捕まった貴族の少年がどんな目に遭わされているかを研究員達は嬉々として語っていた。 どれだけの地獄が私の鼓膜を揺らしても、戦う気力も抗う力も無かった。貴族という肩書きすら無くしてしまった私は、取るに足りない存在だ。だが、無いに等しい爪でも隠しておくに越したことはない。自らの出自を隠し、息を潜めた。誰の目にも留められないように。そうして自らが置かれている状況を整理していた。 そうしているうちに、私は気が付いた。いつの間にか、他人の持ち物の所有権を自分に移せるようになった事に。きっかけはなんだっただろうか。研究員が持っていた書類を「読んでみたい」と思ったことが始まりだっただろうか。 己の無力さは誰よりも理解していた。 故に誰にも悟られるよう、研究員や戦闘員達の目を『盗み』、集められるだけの情報を『蒐集』した。 そうして、息を潜めて毎日をやり過ごしていたある日、小さな『お嬢さん』に声を掛けられた。取引きがしたいと。 否、『お嬢さん』と呼ぶのは些か不適切だっただろう。紫色の髪の間から『長寿の証』が覗いていた。沼地のように、じっとりとした眼差しは、まるで不機嫌な猫のよう。それが彼女に対しての第一印象だった。 エルフなんて早々お目にかかれるものではない。実際に会ったのは初めてだったが、被験体の中に研究員達の『お気に入り』が存在することは噂に聞いていた。 どうやら私を殺してくれるらしい。既に亡霊のような私を。拒否権など与えられていないだろうと、その首を縦に振ると少しばかり驚いた顔をしていた。『お嬢さん』は、私の事を『随分と積極的な御令嬢』と称し笑った。作法ばかりが身についた使用人。そんな私の嘘は看破されていた。そんな手が綺麗な使用人がいるものかと、まるで探偵のような口ぶりで退屈な真実を突きつけた。そうだったね。朝から晩まで働いていたシャルロッテの手は、握るとざらりとしていた。 具体的に何をすれば良いのか問うた。彼女はただ、不用品を持ち去って2度と顔を見せなければいいと答えた。まるで悪い組織が末端にさせる汚れ仕事のようだ。 そうして彼女の手筈通りに事を進めた。『脱走した生体兵器と運悪く鉢合わせして、生きたまま無惨に喰われて死んだ哀れな被験体』となる為に。本当は取引なんて嘘で、喰われて死ぬだけかも知れない。そんな震えが、得体の知れぬ感情と共に歪んだ笑みを溢した。 最後に彼女に会った日のことはよく覚えている。平然を装っていたが手は震え、目は憎悪に燃えていた。何かあったのか聞いても答えは返って来なかった。紙の束やらデータやらを私に叩きつけ、「2度とツラを見せなければそれでいい」と震えた声で吐き捨てた。 余りにも酷い言われように思わず笑ってしまいそうだったが、「お願いだから……」と消え入るような声が胸を締め付けた。私などよりずっと長く生きている筈の存在が、ここまで取り乱すとは。少なくとも只事では無いのは確かだ。ここに有るのは自分の罪だと彼女は俯いた。そうして私は彼女の手筈通りに研究所を後にした。彼女が見た地獄と、犯した罪を携えて。2度と彼女に会わない為に。 そうして逃げて隠れてを繰り返しているうちに、かの国は滅んだ。あの『エルフのお嬢さん』が死ぬ所は想像出来ないが、本当に2度と会えなくなってしまったかも知れないと思うと、胸の奥からジワリと血が滲むような気持ちになった。 ───────────────── シャルロッテの居なくなった世界は何1つ変わらず、滅びへと足を進めていた。私は沢山の瓦礫を掻き分け、戦禍に埋もれた輝きを1つ1つ拾い集めた。死肉に群がる鳥のように。 傷跡だらけの無価値な身体で、まだ見ぬ綺麗な物を探し求めた。そうしているうちに新しい名前がついて回った。 醜い気持ちを綺麗な輝きで誤魔化したかった。けれども結局、輝きを受けて影だけが黒く残った。 醜い物は沢山あった。けれども、まだ見ぬ綺麗な物は、それ以上に沢山あった。シャルロッテの言った通りだった。 君から離れたいのに、君に見せたい物ばかりが増えていく。気持ちに踏ん切りをつける為に踏み出した足が、ぬかるんだ思い出に取られていく。私の中の君を終わらせる為の旅路が、君を永遠に刻み付ける為の旅路になっていく。冗談じゃない……本当に冗談じゃないんだ。 私はこれ以上強くなれない。行使するのは全て他人の力だ。能があったから爪を隠したんじゃない。僅かばかりの爪すらをも折られる事が怖くて隠していただけなんだ。奪って使って、突いて逃げ回るだけの能を。 シャルロッテ。君が何を思って生きていたのか、結局わからないままなんだ。考えたくないのに、そればかり考えてしまう。君から離れたいのに、君が遠ざかっていくのが苦しくて仕方ない。 紙の上を走った筆跡も君には届かず、滲んだそれを何度も破ってはグシャグシャに丸めて捨てた。 けれども君があの時庇った生命は、今もここに有るよ。私に残されたものはこれだけだ。他は全て借り物……否、この生命すらも君からの借り物かも知れない。そうだと良い。返す場所があるのなら、それは唯一の救いだ。 ───────────────── 迫る戦禍を知らぬかのように栄える摩天楼。 その最上階、嘗ての臆病な嘘吐きは目当ての宝を手にしていた。しかし、その周囲には彼女を捕らえる為だけに構成された、選りすぐりの包囲網。シャルロッテが命を賭して残してくれた、『唯一』すら奪われてしまうかもしれない。そんな全身を駆け巡る緊迫した空気が、女の内なる嗜虐的な独占欲に火を点けた。 全てを煙に巻く物言いは一見すると優美だが、眼光は鋭く、どこか加虐的なものだった。眩い輝きと美しい所作で翻弄する。まるで彼女の為に誂えられた舞台かのように。 やがて包囲網は目的を捕らえる事すら忘れ、彼女の所作の一つ一つに深く魅了された。最後の1人が完全に無力化された事を確認するや否や「また遊ぼうね」と女はマントを翻し、柔らかな笑みを浮かべて夜の帳へと消えた。 嘗て、子を宿して血を引き継がせる事だけを目的に生かされていた存在。しかしその目的を成す事無く、子を運ぶ鳥……『コウノトリ』を模した悪魔を、その身に宿したのは何の因果だろうか。 上手く行かないように、上手く出来た世界。借り物だけで、私……否、僕はどこまで走れるだろうか。抑圧された想いも、ここまで至るまでに味わった苦労も、言葉にするのも躊躇われるような悍ましい辛苦も、背負った重荷も全て嘘で覆い、外の世界で自由を渇望する1つの影。 美談になんかしてやるものか。醜い傷を愛しんで、【S-44】は今宵も確かに輝きを1つ、『蒐集』した。 ───────────────── 【元被験体データ】 No.【削除済】 顕現:【S-44】シャックス ─────────────────