空を完全に覆い尽くした灰色の厚い雲から、地上へと降り注ぐ雨の勢いたるや激しく。世界を包む滂沱の音は、まるでこの世から自分以外の全てが消えてしまった様な感覚になる。 深い深い森の奥、ぽつんと建った古びた屋敷。 魔女が住まうと畏怖される屋敷の外。降りしきる雨でぬかるんだ地面に一人の女が倒れていた。鋭利な刃物で傷つけられた全身から流れる血は地面に溜まった水溜まりと混ざり、赤黒く変色していた。 女の近くに壊れされた車椅子が転がっており、雨に打たれてカラカラと空しく車輪を回している。 満身創痍の女は出血と痛みで意識が朦朧としながらも、か細い腕で上体を必死に起こす。荒い呼吸で胸を上下させて、口に溜まった血と泥水を行儀悪く吐き出す。穏やかな海の様に柔らかい女の髪は泥に塗れつつ、髪の隙間から覗く強い意志燃ゆる瞳が屋敷を脅かす存在へと真っ直ぐに向けられている。 「おいおい、まだ頑張るのかよ? すげぇな、流石は泡沫の魔女サマだ」 フランクながらも何処か無機質な声音の男。灰色の外套を着用し中折れ帽を目深に被る男は服装と同色の傘を差しながら乾いた拍手を送りつつ、余裕気に紫煙を燻らす。 「……泡沫の魔女、無駄な抵抗は止めたほうがよい」 灰色の男の前に居る一人の少年が女へ告げる。少年は両手に鋭利な刃物を握っており、その刀身から滴る鮮血と彼の服の汚れ具合から女との激闘が物語られる。 「というか、貴方がやればすぐに片付くでしょう。どうして僕にやらせるんですか」 「荒事は御免だからな」灰色の男は悪びれもなくニッと笑う。 二人のやり取りを女は睨みつけながら、彼らの襲撃時に自分が告げた言葉を再び口にする、 「……この屋敷へは一指も触れさせません」 女の言葉に弱弱しさは無い。屋敷にいる愛しい子供たちの為にも、自分は必ず彼らを打倒さねばならない。 「……あの大魔法使いの手先なんかに私は負けません」 「おいおい魔女サマよぉ、手先ってのはちょいと酷い言い方だな。同じ韋編悪党なんだからよ」 「皆様へ散々不幸と最悪を振りまいた貴方たちと一緒にされたくありません」 「過去に自分がやった事を棚に上げてよく言うねぇ。奪う事も与える事も出来ない魔女サマがガキの面倒見るなんざお笑い種だろ、ところで愛しい王子サマを喪失した気持ちを埋める為にガキを愛した気分はどうなんだ?」 「──ッ! 黙って……黙れ!!」 雨音を消し去る程に激しく女は叫ぶ。 愛した彼と同じぐらい愛を抱えた子供たち、その思い出を踏み躙る男の言葉に女は全ての魔力を振り絞る。 とうに忘れた筈の……いや忘れたかった魔女としての力の真骨頂。 泡沫の魔女の名に恥じぬ、無数のシャボン玉を最大展開した完全なる包囲網。逃走も防御も許さず、一瞬で対象を消し飛ばす爆発性のシャボン玉が男と少年へ襲い掛かり──爆ぜた。 雨を吹き消し、大量の泥が跳ね飛び、身を焦がす爆風が周囲を包む。 大海に浮かぶ鉄の船すら沈み落とした爆発だ。生身の男と少年が耐えられる筈など…… 「──っと、流石だな。こんだけ強いのなら、確かにガキと家族ごっこさせるのは勿体ない」 女の背後で聞こえた男の声。素早く振り返ると、そこには無傷の男と少年の姿。 何故、どうして、どうやって──女が疑問を浮かべるよりも早く、男の手が近づく。 「時間切れだな」 男の手が肩に触れた瞬間、女は体内で何かが激しく暴れ回る感覚に襲われる。 喉を張り裂けさせるほどの絶叫、雪のように白い皮膚を侵すエメラルド。 のたうち回る女を男は見下ろしながら、にやけた口で新しい煙草を咥える。 ……駄目だ、駄目だ、抗え。 全身を走る苦痛の悪意に侵されながらも女は必死に意識を保とうとする。ぬかるんだ地面へ激しく爪を立て、血と泥と涙に濡れる顔は苦悶の表情で歯を食いしばっている。 命をかけた女の必死な抵抗だが、その悪鬼の如き形相は正しく魔女そのもの。 己に何かをした男へ蟻の一噛みとばかりにと片腕を突き出すも、既に悪しきエメラルドに染まった肌が女に無意味さを悟らせる。 グズッ、グズッと皮膚を突き破ったエメラルドの結晶が鮮血と雨に濡れながらも、邪な緑の煌きを憎たらしい程に輝かせる。 ……いやだ、いやだ。 あの子たちを置いていきたくない。 悲痛な女の叫びが不明瞭な慟哭となって雨音に混ざる。 「誰も守れなかったな。王子もガキ共も可哀想な奴らだよ、お前の歪んだ望みで絶望を味わうんだからな」 灰色の男の言葉が断頭台のギロチンのよう。 判決人が如く突きつけられた事実が、女の最後の意識を奪い去った。 …… ………… かくして魔女はあるべき姿に降臨す。 ………… …… 「やっと終わったか……僕は子供たちをマダムの城へ連れて行くよ」 「寂しい奴だな、俺が居なきゃ爆発に巻き込まれてたんだぞ?」 「そうだね、ありがと、助かった……これで良いでしょ」 さっさと屋敷へ行ってしまう少年の背を見送りつつ、男は徐々に変化していく女を見物しながら煙草を燻らす。 耳を塞ぎたくなる程の声をまるでクラシック音楽を聴くように楽しむ男の姿は正に異常そのモノ。 「ご苦労、首尾よくいったな」 空間から滲み出る様に現れたエメラルドの瞳がギョロギョロと女と男を交互に見やる。 「手荒なやり方だけどな。何より大嵐の魔法使いの邪魔が入らなくて良かったぜ」 「ふん、あのお節介な魔法使いのことだ。もしかすれば、何処ぞの相手に挑んでくたばっていてもおかしくない」 大魔法使いはクックッと笑いながら女の方を見る。 「己に課された運命から外れ、正しくない道で幸せになろうとした凡愚の妥当な末路。おがくずを詰めた絹の袋で得た偽りの心はどんな気分だったのだ、泡沫の魔女よ?」 最早答えられる筈も無いのに大魔法使いは意地悪く問う。女の叫びに何か言葉が混ざった気がしたが、不明瞭な声の響きが雨音に混ざり阿鼻叫喚のさま。 そんな女の様子から己の企みの成果を喜ぶ大魔法使いへ、男は紫煙を吐いて一言告げる。 「勿論、おがくずだけに燃えるような気分だっただろうさ」 森の中を歩んでいたあなたは、ふと古びた屋敷を見つける。 何か引き寄せられる感覚に従い、屋敷の中へ入ってみる。少し前まで多くの人が住んでいた形跡が残っており、特に多くの子供が居たのか遊具や絵本やらが散乱している。 穏やかじゃない空気が漂い、人為的に倒された家具や乱暴に破られた扉にあなたは犯罪の匂いを嗅ぎ取る。 屋敷を歩き回っている中であなたは外から何か巨大な生物が這いずり回る音を耳にしていた。この場所で何かがあったことは明白だ。微かに聞こえる唸りと叫びの様な声が屋敷に近づいてくる。 急ぎ、屋敷を出ようとするあなたはふと一枚の写真を見つけた。 車椅子の美しい女と彼女を囲む笑顔の子供たち、そんな微笑ましい写真だった。 [https://ai-battle.alphabrend.com/battle/e16b9d89-1a7e-4973-8a79-1f00cbe82044 ]