狂織 遥が「苦しみ」を知ったのは、物心がつくより少し前だった。 魔法と剣、そして数値で人の価値が測られるこの世界では、弱さはすぐに命取りになる。 家族はいた。 けれど皆、病に伏し、ゆっくりと、確実に消えていった。 治療の魔法は高価で、ステータスの低い者に回ることはない。 まだ10にも満たない遥は、看取ることしかできなかった。 泣いた記憶は、ある。 ただ、それをどう口に出していいのかは、分からなかった。 10歳になったその年、戦争が始まった。 正確には、戦争に「連れて行かれた」。 年齢は関係なかった。 戦えるかどうか、使えるかどうか、それだけが見られた。 遥は小さかった。 力も、攻撃魔法も、剣の威力もない。 けれど――生き残った。 幼さゆえの直感。 危険を察知した瞬間、体が勝手に動く。 人間の防衛本能が極限まで研ぎ澄まされ、 スキルと結びついたそれは、異常なまでの素早さとなって現れた。 斬らない。 倒さない。 ただ、避ける。 それが彼女の戦い方だった。 周囲はそれを卑下した。 「逃げてばかりだ」 「戦場を舐めている」 「子どもだから使い捨てでいい」 12歳という年齢は、守られる理由にはならなかった。 むしろ、「死んでも惜しくない理由」だった。 白いパーカーは、いつしか手放せなくなった。 汚れ、裂け、血に染まっても、着替えなかった。 それを脱げば、自分が“子ども”だと認めてしまう気がしたから。 双剣を持ったのは、気づけば、だった。 誰かから渡されたわけでも、選んだわけでもない。 戦場で拾い、使い、捨てずにいたら、 いつの間にか、手に馴染んでいた。 言葉を交わさなくてもいい。 裏切らない。 期待もしない。 双剣は、ただそこにあった。 遥の感情は、消えたわけではない。 恐怖も、悲しみも、怒りも、確かにある。 ただそれが、声や表情にならないだけだった。 平坦な口調。 そっけない態度。 それは冷たさではなく、これ以上壊れないための形だった。 今日も彼女は戦場を駆ける。 逃げるために。 生きるために。 苦しみが絶える日は、まだ見えない。 それでも、十二歳の少女は、双剣を相棒に、前へ進み続けている。 【苦しみ絶える者】