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『光眩き黄の宝石王妃』トパーズ・グラスクローバー

 ――かつて、ジュエルキングダムの第一王女として過ごしていた頃、トパーズ・コーラルハートは心優しく模範的な淑女として社交界でも有名であった。鮮やかな山吹色の髪色と、宝物のような金に輝く眼が一際目を引き、社交界の華として憧れの的でもあった。妹のルビィ・コーラルハートも例外ではなく、美しく聡明で、誰よりも思慮深い彼女のことを心から敬愛していた。 「おねえさま!トパーズおねえさま!」  鈴の音のように、高く澄んだ幼い少女の声が早朝の庭園に響き渡る。 「あら、ルビィ。ダメじゃない、大きな声を出しちゃ。また、お兄様に叱られちゃうわよ?」 「えへへ、ごめんなさい!でも、おねえさま!これ!」  幼い少女の手から差し出されたのは一枚の封筒であった。トパーズは封を剥がし、中の手紙を取り出すとニコニコと笑みを浮かべるルビィの前でその手紙に目を走らせた。 「まぁ、これは……」 「えへへ……おねえさまにどうしても、さいごにつたえたくて……。でも、ことばにするとはずかしかったから、おてがみにしましたっ!」  手紙には拙い字で、「おねえさま、だいすき!」とだけ書かれており、その隣には山吹色の髪の女性と、一回り小さなピンク色の髪の少女が手を繋いでいる絵が描かれていた。 「……っ!ルビィ……っ!!」  感極まった彼女は彼女は思わず妹を抱きしめる。ドレスの裾に土が付くことも厭わず、華奢な幼女の身体を思い切り抱きしめる。今は淑女の嗜みも、王族の気品を守ることなんかよりも、目の前の妹への愛を、そして、姉妹の絆を確かめることの方が重要だ。 「ルビィ……っ!!私もよ!私も貴女のことが大好きよ……!」 「おねえさま……、おねえさま……うえええ……ぐすっ……」  二人は静かに涙を流しながら抱き合う。そんな彼女達の姿を使用人たちは見ていたが、誰も咎めるものはいなかった。その姿を見て心動かされない者は一人もいなかったのだ。美しい姉妹愛に庭園は暖かく包まれていた……が。 「……トパーズ王女」 そんな温かな空気の中に、一人の青年の声が響き渡る。トパーズはルビィを抱きしめた状態のまま、視線を声のした方に向ける。そこには彼女の結婚相手であるジギタリス・グラスクローバーがこちらを見下ろしていた。 「ジギタリス殿下……。失礼いたしました。このようなはしたない真似を――」 「いえ、美しき姉妹愛だと思いましてね。構いませんとも。ジュエルキングダムと我がコーネイオンは遠く離れた国同士です。貴女が私と婚姻し、国を離れることに不安や、心残りがあるのも当然です。ですから、私は貴女を咎めるつもりなどありません。ただ、もう出発しませんと、夕暮れまでに宿泊予定地に辿り着けないでしょう。ご理解ください」 「殿下……。はい、申し訳ございません……」  トパーズはルビィを優しく離し、ドレスを正すとルビィの頭を優しく撫でてながら、言葉を紡いだ。 「じゃあね、ルビィ。お兄様たちと仲良く……は難しいだろうけど、お父様の言う事はちゃんと守るのよ?あと、ケーキを食べすぎちゃだめよ?あなたはいつも食べすぎてお腹がぷにぷにになっているんだから……。別に食べちゃダメって言ってるわけじゃないのよ?これからは淑女らしく、加減を覚えなさいってことね」 「お、おねっ……」 「……貴女は、幸せになってね」  そう最後に言い残し、トパーズ達一行は馬車へと乗り込み、その場を後にする。ルビィは遠ざかる姉の姿を目で追い続け、その姿が見えなくなってもしばらくその場に立ち尽くしていた。 「おねえさま……」  誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた後もなお、彼女はずっと馬車の消えた方角を見つめ続けていた。 ■■■  ――数年後。 当時、まだ年齢が一桁であったルビィもとても美しく成長し、彼女もまた社交界では憧れの的となっていた。 「ルビィの噂、こんな離れた国まで届くなんてね。でも、社交界は華やかなだけじゃない。あの子、ちゃんと上手くやれるかしら……」  あれから一度も会えておらず、手紙でのやり取りに留まりつつも、妹を案じ続けるトパーズは落ち着かない様子で、部屋の中を歩き回っていた。  トパーズはコーネイオンに嫁いだものの、子宝に恵まれなかった。数年が経つ頃には、ジギタリスの愛もすっかり冷め、後妻を迎え入れる話にも発展し、グラスクローバー家での立場は悪くなるばかり。さらには使用人たちによる陰湿な嫌がらせに悩まされるようになってしまった。社交界での評判も陰りを見せ始め、トパーズは徐々に憔悴していった。  それでも彼女が耐えられていたのは、妹であるルビィの存在があったからだ。妹が幸せになる未来を見届けるまでは、自分も決して屈するわけにはいかないと、彼女は強く心に誓っていた。  そんなある日の事。トパーズはルビィから一通の手紙を受け取る。それは彼女が良い師匠に巡り合えて宝石騎士となるための修行でなんとか上手くやっていること、そして、トパーズのことを心配していることが綴られたものだった。 「そう……良かったわ……」  その手紙を読みながら、トパーズは微笑む。しかし、その笑顔はどこか悲しげであった。 「私は大丈夫よ、ルビィ……。大丈夫……。でも、叶うなら、今すぐに貴女の笑顔が見たい……」  ぎゅっと手紙を握りしめ、彼女はポツリと呟く。 「会いたい……ルビィに、会いたいわ……」  それが彼女の本音であった。どんなに明るく振舞っていても、その笑顔の裏では孤独と悲しみに苦しんでいたのだった。そんな時。  不意に、コンコンコン、とノックの音がした。 「私です。トパーズ、入りますね」  返事も待たずにガチャりと扉が開き、一人の青年が入ってくる。ジギタリス・グラスクローバー。彼女の夫であり、先王が崩御した今、新たにこの国の王となった男だ。 「まぁ、殿下……。どうなされたのですか?」  突然の訪問にトパーズは思わず驚きの声を上げるが、すぐに平静を取り戻し、ジギタリスを迎え入れた。 「いえ、貴女の声が今にも消え入りそうだったものですから……」 「あら、申し訳ございません。聞こえていましたかしら……。でも、大袈裟ですわ」  少し冗談めかした物言いに彼女はクスクスと笑みをこぼす。だが、同時にそれは図星だった。愛する妹に会いたいという願いを彼は見透かしていたのかもしれないと、トパーズは思った。 「……その手紙は、妹君から?」  ジギタリスは彼女の手に握られた手紙を見つけ、訊ねる。トパーズはコクリと頷くと静かにその手紙を机に置いた。 「えぇ……ルビィからの手紙ですわ」 「そうですか……読んでもよいでしょうか?」 「え?……はい、大丈夫ですが……」  手紙を見たいなど、初めて言われたので少し困惑しながらも、トパーズは要望通り手紙を彼に手渡した。ジギタリスは手紙を手に取ると、ゆっくりと読み始めた。トパーズはそんな彼の姿を黙って見つめていたが、やがて口を開いた。 「……殿下は、私が妹に会いたいと思っていることをご存じなのでしょう?」 「えぇ、知っていますよ」  ジギタリスはあっさりと認めた。驚く間もなく、さらにこう続けた。 「……後妻の話、トパーズも知っているでしょう?後継ぎがいない今、私の立場が危ういと」 「それは……」  トパーズは言葉に詰まる。その反応を見て、ジギタリスはフッと笑った。 「……悩んでいたんです。貴女は美しい。仮に貴女との子が望めなくても私の手元には置いておきたい。その思いで、『今までは』ずっと踏ん切りが付かなかったんです」  トパーズをまるでアクセサリーか、嗜好品のように扱うジギタリスに彼女は不快感を覚えたが、為政者としては同時に彼の気持ちも理解できる。 「でも、後継者の問題と貴女の想い、それを両立する方法が見つかったのです」  まさか、とトパーズは思った。 「それは――」  やめて。それ以上は言わないで。トパーズの心が悲鳴をあげる。だが、無情にもジギタリスは続けた。 「貴女の妹、ルビィ王女を後妻として迎え入れます。そうすれば、お互いに幸せになりませんか?」  彼女は絶句する。頭が真っ白になった。 「……で……ですが……」  やっとの思いで紡いだ言葉は途切れ途切れだった。 「……あの子を後妻になんて……。ルビィには、関係ないのに……」 「確かにそうかもしれません。でも、トパーズ、私はこの国の王です。国のために最善の選択をしなくてはならない」  国のためを思えば、それは正論なのかもしれない。しかし、トパーズにとってその言葉はあまりにも残酷だった。 「あの子はまだ子供で……。そんな子を利用するような真似は……!」 「これは決定事項なのです」  彼は冷たく言い放つと、トパーズに近づき、その顎に手を当てた。 「トパーズ、私は貴女を愛している。だから、一緒にこの国をより良い方向へと導いていきたい」 「殿下……」  その囁きはまるで呪いのように彼女の心へと刻み込まれる。彼女は抵抗することもできずにただされるがままになっていたが、最後に残った理性が『それを認めてはならない』と警鐘を鳴らす。  ジギタリスはそんな彼女の態度に酷く落胆した様子でため息をつくと、トパーズの耳元に口を近づけながらナイフのように鋭利で冷たい声で囁いた。 「はぁ……。トパーズ。本音を言うとね。貴女よりも若く、そして美しいルビィ王女を手に入れたいんですよ。正直、もう貴女には飽きていましたし、元王族という肩書さえなければ、今すぐにでも貴女を追い出してルビィ王女を迎え入れたいくらいにはね」  あまりにも人の心がない言い草にトパーズの心は大きく傷つく。ショックで何も答えられなくなったトパーズは、ぼろぼろと涙を流し続ける。だがジギタリスは彼女に興味をなくしたのか、サッと踵を返すと扉の前に向かって歩んでいく。 「貴女はルビィ王女を招き入れるための餌。もう、それ以上でもそれ以下でもないんですよ。黙って私に従ってください。まったく、何を泣いているのやら。子も産めないような見てくれだけの無能な妻を持った、私の方が泣きたいくらいですよ。いっそ、”このまま飛び降りて死んでくれたら”、と願ってしまう程度にはね」 「――っ!」  その瞬間、彼女の心を覆っていた『膜』が破れた。どす黒い感情があっという間に心を満たしていく。  国のために私を守らず売ったお父様、私をいないものとして見ていたサフィールお兄様、生意気でサフィールお兄様の肩ばかり持つエメロルド、無理矢理連れてこられた私の気持ちなんか何一つ理解してくれないジギタリス殿下、『それ』に従い私を蔑み続ける従者共、子を産めないだけで無能の烙印を押す愚かな民衆――。ドクン、ドクンと脈打つごとに彼女の善良な心が闇に染まっていく。  最後に残った僅かな意識が、コーラルピンクの髪をした幼い少女を想起する。そして、震える唇が自ずと言葉を紡いだ。 『ごめんね、ルビィ――』  その瞬間、彼女の胸元から黄金色の宝玉が妖しい輝きを纏いながら姿を現した。――パーソナルジェム。宝石騎士だけが持つことを許される『燦然世界』から未知のエネルギーを引き出すための媒介。一介の王妃である彼女が、何故かそれを手にしてしまった。  そこで、異変に気付いたジギタリスが振り返る。 「……!?な……!『パーソナルジェム』!?馬鹿な、何故卑賎な貴女ごときがそれを――」 ――ザンッ  言い終わる前にジギタリスの視界は反転した。 「――え?」  ジギタリスの目の前には自身の脚。なぜ、じぶんのあしが、みえている?それを理解する前に、彼はこと切れた。ジギタリス・グラスクローバー。彼の人生はここで終わった。  『それ』を冷たい表情で見下ろすトパーズは、壁に突き刺さる岩片を見て、自分が何をしたか理解した。 「岩石を操る力……いや、大地を操る力、だろうか。私が憎いと願った瞬間、岩が刃となって『あれ』の首を刎ねた。この力があれば……」  きっと、あの子を――。 「……あの子…………?あの子って……なんだっけ……?そうだ、ルビィ……。あの子は、私がこうなっているにも関わらず、呑気に生きている……。許せない。許さない……。私よりも美しく、私よりも愛嬌があって、私よりも人に愛される……!!憎い、憎い……!あの子が、憎い……!!」  強い怒りと憎しみで、文字通り世界を憎んでしまった彼女は自分を愛してくれる存在を忘れてしまった。それどころか、その愛する想いが反転してしまい、極限まで強い憎しみを抱くことになってしまった。 「何の音です……!?ってきゃああ!殿下ああああ!?」  騒ぎを聞きつけたメイドが部屋に入ってきたが、首を刎ねられ息絶えた王の変わり果てた姿を見て絶叫する。その瞬間。 「――五月蠅い」 「ご、ぇ……?!」  高速で飛来した岩の刃がメイドの首を刎ねた。そのメイドは普段からトパーズに嫌がらせを行っていたが、こんな形で報いを受けることになるとは思いもよらなかったことだろう。ごしゃりと倒れるメイドの身体を蹴り、悪鬼と化したトパーズは部屋を出ていった。 「……ああ、許せない…………父も、兄も、弟も、妹も、何もかも……!」  トパーズは慟哭しながら、宮殿を歩き回り次々と血の華を咲かせていく。宮殿から生者がいなくなるまで、そう時間はかからなかった。 「私は、私を拒んだこの国を、この世界を壊す。この力があれば、私にできないことはなにもない……」  自身のパーソナルジェムを指輪の形に変形させた『ガイアリング』を撫でながら、彼女は炎上する宮殿を後にする。『世界の敵』となってしまった姉、トパーズ・グラスクローバー。ルビィとの確執はこうして、不幸によって生まれてしまった。彼女のパーソナルジェムの輝きの中に潜む、どろりとした緑色が不穏に揺れた。