私──マオの朝は早い。 リヤカー式移動屋台の中に設置してある仮眠用の敷布団に沈み込む矮躯をむくりと起き上がらせると、寝起きのぼんやりさと無縁にも関わらず双眸を手で(クシクシと)擦ってしまいます。 作業着と普段着を兼任させた飾り気ない和服に出来た皺を手で(サスサスと)直し、屋台からぴょんと跳び降りて全身を伸ばしていきます。 両腕を上げながら、腰を中心に上体をぐるんぐるんと回していくと“眠る真似”をしていた体が喜んでいる感覚が全身を軽快に走るのがたまらない。 まるで笛の動きにつられるキングコブラ。 まあ私ネコですし、ネコって液体ですからね。 ええ、ええ、この程度造作も──いえいえ、朝飯前です。とは言え、とは言えですよ、やはり継続は力なり。このストレッチを始めた時に比べれば、やはり私マオはかなりの柔軟性を獲得するに至りました。 麻痺無効ですからね。 これは強いですよ。 しびれ粉だろうがへびにらみだろうが、完全に無効ってやつです。あれですね、もう究極生命体と名乗ってもよかろうなのでは? いえ、ここはやはり猫ですから──究極流体なんてどうでしょうか。虹のトムボーイよろしく階段を滑らかに降りる猫っぽさが巧みに表現できているのではないでしょうか。 さて、ご冗談はここまで。ストレッチを軽く終え、私マオは今日も今日とて料理を作りに北へ南へ、東へ西へ。屋台と一体化した決して軽くはないリヤカーを悠々と引く旅。 物騒な世の中での旅路ではありますが、こう見えて私マオ腕は結構立つ方です。何せネコ科ですからね、世界最強の捕食者ですからね、当然私マオも凄まじいポテンシャルを秘めていますので。 音速を超えた速度で放たれる猫パンチを前に、盗賊だろうが山賊だろうがオークだろうがゴブリンだろうが叶う見込みは無し。舐めてかかった瞬間には、もう地面と混ぜこぜのミンチになりますからね。 よく、ぺんぺん草も生えないだなんて言いますが、私マオが通り過ぎた後はむしろ大量の草花に満ち溢れているのではないでしょうか。 良いですね、これ。 次の謳い文句にでもしましょうか。 草花に愛されし美少女猫耳店主、とか良くないでしょうか──いえ、止めておきましょう。より一層、面倒な羽虫が寄ってきそうです。 さて、そんな事を考えている内に辿り着いたのは小さな街です。ただし街道からでも往来する人々(人間、亜人、魔族問わず)の賑やかさが垣間見えており、街の規模に反して人の数が過剰とも思えますね いわゆる、宿場町でしょうか。 旅人等の移動が多い人々の休息の場として発展をしてきたのでしょうと私マオは睨んでおります。 故に金銭を目的とせず料理を作ることにの好みを抱く私マオにとって、ひと数の多い場所での出店は料理の提供が大幅に遅れてしまう問題がつきまとってしまいます。 何よりも“料金を頂かない”という私マオのスタイルはお客様にとっては喜ばしいですが、同じ場所で同じ商売を営む者にとっては目障りになりますからね。 生きることにお金を必要としない、食材調達も金銭を介さない独自ルートでやっていますから、ええ、ええ、そりゃあ代金なんて不要なんですよ。 あくまでも道楽に近しい感覚でやっている以上は、それで生計を立てる者の邪魔をしてはなりませんからね。それこそが私マオの信条であり、だからこそ一か所に留まらずに神出鬼没な出店スタイルでやっているのです。 まあ、それでも常連客が出てくるのですから不思議な世界です。良酒は看板を要せず、というやつですね。 ともかくこの場所は見送るつもりの私マオでしたが、止めていた足を踏み出そうとした時に匂ったのです。 いや事件の臭いじゃないですよ。 料理の匂いです。 当然、焦げ臭いなんて訳じゃありません。 とても良い匂いが私マオの猫っ鼻(キャットノーズ)をこれでもかと刺激してきたのです。数多の料理を作ってきた私マオの足を止めてしまう程の匂い──気にならない訳がありません。 屋台を邪魔にならない場所へ置くや否や、私マオは脱兎の如く──私ネコですが──ぴょんぴょんと、いえニャニャとチーターも顔負けの猛ダッシュをかましまして街へと飛び込みました。 さあて匂いを出しているのは何処か、と両目をぐるぐるぐるりんと回し、鼻をピクピクと動かして周囲を探してみると匂いの在処は一軒の屋台ではありませんか。 シュババババと物陰に隠れまして、ぐいんと顔を出し、まるで尾行する探偵のように屋台を見ますと、大勢の人々が美味しそうに料理を食べています。 料理の種類はというと、鍋にカレーに煮込みにサラダ……と何ともまとまりがない品々。 まあ私マオも人の事は言えませんが、屋台という限られた場所でこれほどまでに多様な料理を作っていることに親近感が湧いてきます。 はてさて、一体どのような御方なのかと私マオは屋台に目を向けた瞬間、驚きの余り目が飛び出ました。ええ、出目金になりました、いや私は猫なんですけどね。 なぜなら屋台に居たのは蜥蜴……いえ、何処となく太古の生物らしい雰囲気からして恐竜でしょうか。それも胴体は人間なので、獣人ならぬ恐竜人と言えば良いでしょう。 頭部に巻いた手拭いと白のTシャツ(何とも言えぬデザインで正直に言えばダサイ)を来た彼或いは彼女は、戦場という名のキッチンを幾つも渡り歩いたことを彷彿とさせる眼光を湛えたつり目で鍋を睨んでいます。 右目に付けられた傷がまるで激戦を終えたかのような雰囲気を醸し出し、一見すると料理には不向きと思える鋭利で長い両爪を気にすることなく食材や器具を軽々とリズミカルに掴んでいくのです。 極めつけに腰から伸びた長い尾で鍋の具材をかき回しつつ、自身は一瞥すらせずに冷蔵庫から食材を取り出しているのです。 そのダイナミックで無駄のない動きが織りなすライブ感、私マオには真似できない芸当。 ええ、ええ、私マオ恥ずかしくも羨ましく思ってしまったのですよ。 静かに黙々と料理を作り、時折小気味よい談笑を持ち味とする私マオ。過剰な演出(彼或いは彼女がそれを意図しているかは別です)など不要だ、と思っておりましたが実際に見るとやはりこうした演出にも良さを感じてしまいます。 こうなれば私マオ、是非とも料理をお一つ食べたいところです。味も気になりますし、ダイナミックな調理の真髄を一つ学ぶ良い機会です。 袂に入れた財布の口を緩め、意気揚々と私マオが屋台へ近づくと運良く席が一つ空きました。どうやら、天命とやらも私マオが彼(或いは彼女)の料理を食べることを運命づけている様子。 胸を張って歩く私マオの姿は、まるで草原に君臨する百獣の王の如きことでしょう。 ゆっくりと席に座り、さあいざ注文ときた所で私マオは想定外の事態に早速直面することになります。 なんとお品書きが無いのですよ! しかし私マオは、この程度のことで“はわわ”と慌てふためくどこぞの軍師になることはございません(ドヤァ)。恐らく私マオの方式と同じで、お客様の注文した料理を提供するスタイルなのでしょう。 さてさて、何を頼んでやりましょうか。ぐへへと意地悪く笑う私マオ、今の気分はさしずめ敗北しら女騎士を前にした山賊やオークです。 しかし私マオが注文をしようとした直後、店主の恐竜人はジッとこちらを見つめた後、唐突に口を開くとこう言ったのです。 「コンソメスープにするけど、いいか?」 やや気怠げで無愛想な口調、声音からして性別は女性。 そんな彼女の想定外の第一声に、私マオは対応できずに思わず、ほぼ反射的に頷いてしまいました。 ええ、ええ、これには流石の私マオも口をポカンと開けてしまいます。 どうやらこの屋台、店主の方がふと思いついた料理を提供するスタイルに違いありません。周囲の方が食べている料理に一貫性が無いのもその証左。 なんと斬新なことか。 とは言え、店主である彼女が楽をする為にこうした方式を取っている訳では無いのでしょう。割と凝った料理も提供されていますからね、ええ、ええ、面白いスタイルだと私マオは思います。 もっとも、お客様側にとってはどえらいギャンブルになる訳ですが。 まあ、私マオは今回しくじりましたが、恐らく最初の質問でこちらの意図も汲んで貰えるのでしょう。とは言え、料理人というより武人に近しい相貌の彼女が放つ圧倒的な覇気的なアトモスフィアに耐えきれるなら、でしょうが。 まあ、そんなことは置いておきましょう。今は屋台料理の特権たる目の前で繰り広げられる調理の過程と徐々に立ち込めてくる香気を楽しみましょう。 彼女が長い尾で鍋をかき回すたびに、野菜と肉類が奏でる香りのハーモニーが屋台を包み、それだけで私マオの口内には早くもコンソメスープの味の記憶が舌を覆ってきます。 そして彼女はスープを作る傍ら、フライパンの上で新鮮な玉ねぎを丸々一つ焼いています。時折コンソメスープをかけられてゆっくりと焦げ目が出来てくる玉ねぎ。 最後に焼き上がった玉ねぎを皿に乗せ、そこにコンソメスープをたっぷりと注がれた料理が私マオの前に置かれます。 料理とは芸術。 味も当然ですが、見た目も大事なのです。 その点で言えば、このコンソメスープは正に芸術。 白い皿に注がれた琥珀色のコンソメスープは宝石の様に煌めき、中央に鎮座する玉ねぎの絶妙な焦げ目も美しい。 充分に見た目を堪能したら香り立つ湯気に楽しみながら、まずはスープを一口。 瞬間、舌の上に走るのは鶏肉と玉ねぎ、そしてセロリを中心とした野菜類が絶妙に溶け込んだ味。そして甘くて濃いこのスープを、ぴりっとした胡椒がしっかりと纏めています。 これ一杯で白米やパンのおかずになるレベル。 次は中央に置かれた玉ねぎを少し崩してスープと一緒に楽しむと、柔らかくもシャキシャキとした食感を残す玉ねぎから溢れ出る旨味がスープを合わさり──食べる側を全く飽きさせません。 結局私マオ、あっという間に食べ終えてしまいました。 スープの暖かな熱が全身に染み渡り、ほんのりと体温の上がった身体は満足感からなる心地よい眠気を覚えるほど。 そんな私マオの様子に店主の彼女は無愛想ながらも少し誇らしげな表情を向けてくる。 ごちそうさまでしたと料理を作ってくれた彼女への感謝を送ると共に袂に入れた財布を取り出すと、彼女が口にした値段は手間に見合わぬ程の破格な料金。 もしかすると彼女も、私マオと同じほぼ道楽で料理屋をしているのでしょうか。だとすれば、思わぬ仲間と出会えたのでしょうか。 私マオ、少しウキウキしてきました。 もし、再び出会った時には私マオの料理を是非堪能して欲しいですね。ええ、ええ、どんな料理でも作れますからね。ワンダフル、いえニャンダフルなひと時を是非とも提供しますよ。 私マオはそんなことを考えながら、昂揚した気分の中でゆっくりと屋台を後にしたのでした。 さて、まことに出会いと言うものは数奇であり、それでいて神が実在するのではないかと思ってしまう程に運命的なのです。 おっと、私マオ思わず哲学者めいたことを口走ってしまいました、失敬失敬烏骨鶏。 まあこんな事を言ってしまったのも理由がありまして、ええ、ええ、なんとなんと“あの恐竜人の店主さん”と再び出会ってしまったのですよ。 それも、私マオが出店先を探して広大な平原を彷徨い歩いている時でした。 「あ! あの時の御方ではありませんか!」 ──と、十数年ぶりに再会した男女の様なあれこやこれやなやり取りはありません。 そりゃあ、まあ、そうですよ。 私マオ、彼女と出会った直後に心の中で呟いたのは以下の台詞。 『わーお、ニャンダフル。そしてスプラッニャー……』 何せ目の前に広がっていたのは、スプラッター映画も青ざめる程に恐ろしい惨状だったのですから。まあ青と言うより赤なんですけど。 惨状を事細かに言うのも憚れますのでオブラートに包んで言いますと、べらぼうにでかい何かが──成形する前のハンバーグみたいになっておりました。赤い肉塊に混じる翼と牙や爪の類から、恐らくは竜だったと思われます。 そしてこれまた見るも無残に壊された屋台と、その近くで呆然とした表情で立ち尽くす恐竜人の店主さん。彼女の鋭い双爪に付着している血から推測するに、竜からの襲撃を受けて何とかソレを討伐したものの代償に屋台を壊されたのでしょう。 冷静に推理しながらも内心はかなり慄いている私マオの視線に気付いたのでしょうか、店主の彼女はこちらを振り向くと冷めぬ激戦の熱に湛えていた瞳を(スッと)鎮めながら、やや元気を失った様子で声をかけてきます。 「あんたも料理人だったのか」 私マオはこくりと頷きます。 一応、寡黙でポーカーフェイスな美少女猫耳店主という形でやっていますので。ええ、ええ、冷や汗ダラッダラッではありますけど。 とまあ、私マオはそんな状態ながらも恐竜人の店主さん──お名前は“刈取刺突”さんとのこと──から事の経緯を聞きまして、やはり推測通り竜から突然襲撃を受けて何とか倒したものの、大事な屋台が犠牲になった、と。 刈取さんに怪我はなかったのは不幸中の幸いだと私マオは思ったのですが、当の本人は自身の無事よりも屋台が粉々に壊されたことの方が辛いご様子。 そこの竜と同じくミンチになってしまいましたね。 と、小粋な料理人ジョークを飛ばすつもりは私マオにございません。そんな事を簡単に出来るのは“あの性格悪悪クソ狼”ぐらいでしょうし。 ここは一つ料理を作ってあげましょうか、と提案するのも憚れるでしょう、何せ刈取さんは料理人です。当分料理が作れなくて嘆いている方の前で自身気に料理を作るのは、何と言うか性格悪い感じがしますので。 私マオ、外面だけは良いので。 へ? じゃあ内面はクソなのかと? そりゃあ、そうですよ。 一応悪党ですし、かつては人間を食べようとしていた猫ですので(ドヤァ)。 ですが私マオ、ここでピンと、いえティンと閃きました。 刈取さんの屋台が直るまでの間、私マオの屋台で共に料理を作るという名案です! 人手が足りない訳ではありませんが、こうして再会したのも何かの縁ですからね。何より私マオ、刈取さんの料理から色々と学びたいと思っていましたし! 早速、刈取さんに私マオのナイスアイディアいえニャイスアイデアをお話しすると彼女は面を喰らいつつも何処か嬉しそうに承諾してくれました。 料理であれ執筆であれ何であれ、少しでもやらねば腕が鈍りますからね。それに刈取さんの営業スタイルからして、利益が目的でないのは明らかです。 また日常的に行っていたことが突然できなくなると気が滅入るものですからね。そうなると刈取さんのご体調も心配せざるを得ません。 美味しい料理を提供する屋台は沢山あって良いのです。 温かいご飯を食べられる場所は一つでも多くあった方が良いですし。 さて、まずは出店する前に刈取さんに私マオの高性能ハイパーいえニャイパーつよつよ屋台の説明をしましょう。ついでに実際に二人で屋台に立って、動きの確認をする必要もありますし。 見かけに依らずそれなりに広い屋台なのですが、それでも身体の大きな刈取さんが入ると少し手狭な感じ。 まあ私マオはちっこいですから、僅かな隙間ぐらいならサッと通り抜ける事は可能ですし。 一方の刈取さんも自慢の爪と尻尾をそれなりに振り回せる広さに安堵している様子。 ふふ、屋台を地道に広げていた私マオもこれにはご満悦。 しかも刈取さんのダイナミックな調理を特等席で見れるのですから── その時です。 私マオの頭上、より厳密に言えば猫耳の先っちょスレスレを凄まじい速度で何かが通り過ぎました。 ええ、ええ、はい、刈取さんの尻尾です。 まるで死神に息を吹きかけられた様に全身が凍り付きました。 恐らくですが、あの速度の尻尾をもろに受ければ……私マオはただじゃすまないでしょう。多分猫耳がすっ飛んで、ただの少女になってしまいます。 い、いえ! これぐらい私マオの俊敏な動作と驚異的な反射神経があれば、なんのその! 大縄跳びよろしく軽々と跳んで見せますとも! それに人手が増えたのですから、前よりは忙しくなることもないでしょうし! と、私マオは思っていたのですがそれはあまりにも甘い見通し。 ズンズンと地面を揺らす音と共に向こうから歩いてくる一匹の黒いティラノサウルス…… かなりハードな初日の到来に私マオは慄きつつも、しっかりと覚悟をきめたのでした。 (こちらは『甘酒男』様に書いていただいたものです!改めて引き受けてくださり、本当にありがとうございました!)