焔狼の走力は圧巻の一言。 ひどく長い道程であった九罪の箱庭の各区画を瞬く間に過ぎる速度は、爆発の影響で崩れてくる瓦礫の襲来を置き去りにしているほど。 また彼は頑強な巨体と強靭な筋肉、そして自由自在の炎が次々と突破口を開いていく。時には区画の壁を壊し、また時には古城の狭く迷路めいた内部を強引に突き進む。 何よりそれらの行為を迫りくる魔物の群れを都度蹴散らしながら、適切な方法で対処しているのだ。彼の知能と処理能力の高さに驚愕すると共に、あの時の戦闘で今の焔狼を相手にしていれば苦戦はおろか敗北すらしていたと感じざるを得ない。 しかし、ここまでの実力を有する焔狼が居てもあなたとロメルの脱出劇は困難を極めた。 まず九罪の箱庭の内部構造が複雑なこと。 これは既にあなたとロメルも理解はしていたが、明らかに行きと比べて通路の接続と区画を結ぶ廊下が長い。 恐らくだが、最初から白面がこちらを最奥──つまりは傲慢の区画へ誘導する為に構造を弄っていたと考えられる。 そうでなければ、エトナを除いた他の終戦乙女と全く鉢合わせ無かった理由にも頷ける。 そして次に問題なのが、白面が呼び出した魔物の群れだ。先程から矢継ぎ早に襲いかかる魔物をあなたはロメルと共に撃退しているが、奴らは各区画の至る所から這い出てくるのだ。 事前に仕掛けていたのか、或いはあの足踏みの時に区画内全てに魔物を呼び出す魔術を用いたのか──どちらにせよ白面の力は侮れない。 あの場で戦闘をしていれば、今の段階では圧倒されていたに違いない──とあなたは認めるしかなかった。 「──あなた様、見てください! 出口です!」 ロメルの声にはっとしたあなたが前方に目をやると、如何にもな扉が視界に飛び込んでくる。 直感的に出口──つまりは九罪の箱庭と外部を繋ぐ唯一の扉であると察した。元々鶫の王により“イレギュラーな方法”で侵入した為に、九罪の箱庭から脱出できるのか不安だったがそれは杞憂に終わってくれた。 扉へ向かって一直線に駆ける焔狼はぐんぐんと速度を上げる。それを阻止しようと襲いかかる魔物と、彼らを押し潰しながら崩れ落ちる瓦礫の雨。 最後の踏ん張り時。 焔狼に走ることを集中させるべく、あなたとロメルは襲来する魔物達を蹴散らし続ける。あなたの攻撃が魔物を弾き飛ばし、ロメルの砂は魔物の群れを一斉に押し流す。 脱出を阻止しようと数匹の魔物が扉へ先回りするも──焔狼が放ち続ける炎が彼らに抵抗すら与えずに焼き尽くし、同時に扉の周囲を焼き溶かしていく。 掴まっていろ、と焔狼があなたとロメルへ言うように一際強く吼えた次の瞬間──全力疾走した彼の突撃が扉を強引に突き破った。 眼前に広がる荒涼とした大地、青く澄んだ空を久方ぶりに感じる暇は──無かった。何故ならあなた達の目の前で無数の白い軍服の集団が待ち構えていたのだ。 「あ? なんだ、あのでっけえ犬っころは?」 近くにオーク達を侍らしている終戦乙女──レックが怪訝そうな顔を見せる。 「拾ったんだろうさ。見てみろ、背中にロメルと“コットが言っていた招かれざる客人”らしき奴がいる」 スコープを取り付けた猟銃を構えながらリーナは言う。無数の命を奪ってきた黒光りする銃口はロメルの額を狙っている。 彼女達の会話こそ聞こえていないが、あなたは直感で危険を察知する。 「チームⅡ技巧騎士団のレックとリーナです」ロメルは砂を集めながら呟いた。「共に数を以て敵を制圧する二名です」 “突破は厳しいか” あなたの言葉を理解したのか、焔狼は忌々しそうな唸り声を響かせる。 「……私が時間を稼げば何とかなると思います。後は焔狼の走力を信じるだけです」 “それは駄目だよロメル” あなたは彼女を強く見つめる、それこそ睨みつけるようにだ。 ロメルの提案はつまり自分を囮にすること。そんな事を許せるあなたでは無い。 「ですが、あなた様を危険に晒すわけには──」 ロメルがそう言いかけた瞬間だ。 何かを察知したレックとリーナが焦るように飛び立ち──間髪を入れずに彼女達の居た場所が激しい爆炎に包まれる。 一体何が起きたのか。 焼き焦げた大地に斃れる終戦乙女やオーク達。突然の出来事に混乱し、更には指揮官的立ち位置のレックとリーナが上空へ逃げてしまった事で残っていた者達も動揺を隠せない。 そんな状態の彼女達へ再び浴びせられたのは、無数の砲弾。寸分違わぬ精確な砲撃が次々と終戦乙女とオークをぐちゃぐちゃに土へ混ぜていく。 同時にあなた達へ近づいてくる激しいキャタピラの回転音。音の方向を見やれば、そこには見覚えのある“家のような”巨大戦車。 「間に合ったか!」 キューポラから顔を覗かせる豚の魔物──かの有名な三兄弟の長男であるイチだ。 思わぬ助太刀に驚くあなたを尻目に巨大戦車はその独特な砲塔から次々と砲撃を繰り出し、終戦乙女達をなぎ倒していく。 「貴方はあの時の……」 イチの顔を見たロメルの口から、何処かで会った事を彷彿とさせる言葉が衝いて出る。 「あん時はどうもな」イチは軽く礼を言う。「今は逃げるのが先だ……本来ならあんたらを戦車に乗せるつもりだったが……」 イチはややおっかなびっくりと焔狼を見る。その視線に煩わしさを覚えた焔狼に軽く吼えられると、身震いするイチは軽く悲鳴を上げた。 「ひぃ、おっかねえなぁ……乗り換えは手間だ。全速力で連中の中を突っ切んぞ、ちゃんとついてこいよ狼!」 その言葉で焔狼から更に睨みつけられる事を嫌ったのか、或いは終戦乙女からの攻撃を避ける為かイチは顔を引っ込めてしまう。 それと同時に巨大戦車が全速力で走行を始めるも、焔狼は余裕の様相で並走してみせる。 「逃がすかッ!」 背後からリーナの怒声が響き、彼女の放った弾丸が焔狼の身体を僅かに掠める。 運良く外れたのか、そう思うのは早計。着地したリーナの足元から不気味な外見の狐が続々と這い出てきたのだ。 「あれは“走狐”、リーナが操る狐の魔物……いえ、操り人形です。彼女の指示が止まらない限り、例え四肢を破壊されても追跡は終わりません」ロメルの緊迫感ある声がこちらの緊張をより張り詰めさせる。 次いでレックが宙に手をかけると“まるで張り紙を剥がすように”空間に穴を開け、そこから先程よりも精強な雰囲気を放つオーク達が続々と出てくる。 正に数の暴力。 圧倒的な数は逃走者の気力さえ失わせるほど。 更に巨大戦車の砲撃を何とか免れた終戦乙女達が武器を構えており、状況は多勢に無勢。 だが、そんな圧倒的な数を揃えたレックとリーナは直後悲劇に見舞われる事となる。彼女達の背後、崩れかけた九罪の箱庭の外壁が内部から凄まじい力を受けると、その一部がまるで砲弾の如く吹き飛ばされた。 背後からの出来事にレックは気付き何とか回避するも、猟銃を構えていたリーナは間に合わず直撃。その衝撃で意識を失ったのか地面に倒れ込み目を回す。 さながらコントの様な状況を生み出したのは他でもない、エトナとメルセ。ギリギリまで九罪の箱庭にいた二人は崩落に巻き込まれながらも生還したのだが、強引な脱出が仇となったようだ。 「テメェ、このクソワルキューレ! 隊長に何かあったらどうするんだッ!」 喧しい声を上げたオークは激昂のあまり、愚かにもエトナへと掴みかかってしまう。レックが制する間もなく、突然の行為にエトナは当然激怒した。 「……な、仲間割れをし始めましたね……」 ぽかんとした表情でロメルはエトナ達の喧嘩を見ている。オーク達が次々と宙へ投げ飛ばされ、レックはどうすることもできず、気絶するリーナと狼狽える走狐。 そんな光景を面白おかしく見物しているメルセは、逃げ去るあなた達に気付くと“まるで逃走の無事を祈るように”ウィンクをする。 もしや助けてくれたのか。あなたとロメルは顔を思わず見合わせてしまう。 しかし、彼女達もロメルの捕縛を命令されていたのに一体どういうことなのか。 そんな疑問に明確な答えが見つからないまま、あなた達は崩壊した九罪の箱庭から“奇蹟的で何よりも奇妙な”脱出に見事成功したのであった。 ────────────────────────────────────── 「そうですか、逃げられましたか」 とある地点で待機をしていたモルデと彼女の部下達。脳内に響く伝令役終戦乙女の声の背後から、凄まじい怒声と爆発音が起きているがモルデは眉一つ動かさない。 「ええ、分かっていますとも。こちらも最大限の努力はしますので」 そう言って連絡を終えた直後、遥か上空から飛来した一つの影がモルデのすぐ近くへ“もはや落下にも近い”形で着地をする。 「やあモルデ、お待たせしたね! ボクが来たよ!」 大量の砂煙の中から聞こえる暢気な声。悩まし気なポーズをとりながらもキザな表情のセイユに、“頭の上から砂を被った”モルデは不健康そうな顔のまま彼女を見る。 「もう少し静かに来てもらえると助かりますね」モノクルに付着した砂を取りながらモルデは言う。 「ハッハハ! 貴方の顔を見たら直ぐにでも戻りたくなってね!」 「ご冗談を」モルデはセイユの嘘を見抜いている。 「で、ロメルはどこだい?」しかしセイユもまた自分のペースは崩さない。 「あちらですよ。とっくに遠くへ……まあ貴方なら追いつけるかもしれませんね」 モルデが遥か先を指さすと、今にも地平線に隠れそうな勢いで遠ざかっていくあなた達がいる。 「……ですが、相変わらず配分を考えないのですね。先程の急降下で力を使い果たしたように見えますが?」 「おや、ボクの微細な変化にも気づくとは! モルデもボクのことを好いてくれていると見ていいのかな!」 「嫌いではないですよ……好きでもないですが。」 モルデはそう言うと背後で混乱している部下へ伝える。 「さて帰りますよ皆さん。どうせ追いつけませんし、追い付いた所で手痛い反撃を受けるだけですからね」 さっさと踵を返してしまうモルデとその後を暢気についていくセイユ。 今だ混乱する部下達は“命令を必ず完遂するモルデ”が、指示も無しにロメル捕縛を諦めた事に理解できず。もやもやとした表情を浮かべながらも、さっさと行ってしまうモルデを追いかけに行く。 ────────────────────────────────────── 「これは一体どういうことなんですかねぇ……」 一連の報告を基地で受けたコットのいつもは嫌味な表情も、今は困惑で満ちている。 ロメルを待ち伏せていたレック達は突如戦車による襲撃を受けた後、偶然とは思えない事故を起こしたエトナ達と大喧嘩。 一方、別場所で待機していたモルデやセイユに至っては、ロメル達へ追い付けない且つ捕縛が不可能と独断で判断。 完璧な作戦が一瞬で瓦解した現実にコットは怒りを覚える事すらできなかった。 それほど計算外──否予想することすら馬鹿馬鹿しい数々だったのだ。 当然作戦は失敗だろう。そうなると、その責任は自分ひいては上司であるラドレやチームⅢにまで及ぶ。 こうなれば、今からでも自分が出向くか。 当然勝てる気はしないが、今のコットはラドレとチームⅢの長であるパットに合わせる顔がない。それこそ、勇敢なる死を以て償うこと以外だ。 コットが覚悟を決めかけた、その時だ。脳内にラドレの声が響く。確か遥か遠方で別件の対処にあたっていた筈だが、今作戦の失敗にいち早く気付くとは流石である。 “状況は概ね理解しました。作戦は失敗、故にコット──決して討ち死に等は考えないように” こちらの思惑を見抜いたラドレの言葉。 思わず言葉に詰まったコットの反応でラドレは更に釘を刺してくる。 “今はチームⅢが一人も欠けない事がパット軍団長を最も喜ばせることです。故に作戦を中止とし、これ以上の損失を避けなさい──私もすぐに向かいますので” そうしてラドレからの命令が終わると、コットは今まで全身に込めていた力の全てを抜く様に大きく息を吐く。力なく椅子に座り、ぐったりとした表情で天幕を見上げながら呟く。 「……まったく、本当に組織とはままならないモノですねぇ……」 呆れと諦念が混ざった声が静かな天幕内に、空しく響いたのであった。