「おかえりなさいませ」 甘藍畑で目覚めたあなたは、ふと懐かしさを覚えてしまう声に気づく。 振り返ればそこに、黒の花嫁衣装を着たピョンコと伸びた兎耳が特徴的な少女。 幼い顔にパッと笑顔を咲かして駆け寄る彼女。その周りにはお祭り騒ぎの様にはしゃぐ兎たちも一緒だ。 少女からワンダーランドの冒険での疲れを癒やすもてなしの数々。特に彼女が兎たちと作っていたスープ(調理場からはとても料理をする音とは言えぬ騒音がしていたが……)は絶品で、ともすればあなたはその味を何処かで知っていたかもしれない。 スープを食べるあなたを嬉しそうに見る少女はワンダーランドでの出来事を尋ねた。話したくなければ話さないで良い、という彼女なりの気配りを加えてだ。 あなたは少し悩む。 確かにワンダーランドは歪みから解放されたが、一連の事件を引き起こした韋編悪党という集団。 彼女もその集団の一員なのだ。 こうしてスープを食べている事すらも、彼女が巧妙な騙しの名手ならば危険極まりない行為。 だが、眼前の少女は真っ直ぐにあなたを見つめている。その無垢な顔つきに騙そう等と悪意は感じられず、むしろ韋編悪党の行いを教えて欲しいと懇願する様にも見える。 あなたは話すだろうか、それとも話さない? 僅かな沈黙が続き、夜は深まっていく。 あなたはぽつりぽつりと話し始めた。 「いってらっしゃいませ、お気をつけてくださいね」 黒い花嫁衣装を纏う少女と兎達に見送られあなたは甘藍畑を後にする。昨夜こそ湿っぽい事になってしまったが、朝の彼女はそれを吹き飛ばす程に明るい様子であなたを見送る。 あなたは進む。 未知なる場所へ、まだ見ぬ所へ、多くの出会いを経験する為に。 そして韋編悪党。 もし彼らが次なる悪事を企てているなら、今度こそ彼らを瓦解させると決意をして。 そんなあなたを遠くから監視している者たちがいた。 「素晴らしい物語を見させて貰った。あの者の活躍で物語の歪みは戻り、我らの悪事は水泡と化した、これ以上ないハッピーエンドだな」 称賛の声を送る一羽の烏が、夜空を切り取った様な黒い瞳を煌めかす。 「手間暇をかけた計画が呆気なくご破算に終わり、我らが得たのは徒労だけだ。貴様、如何なる目的で白の女王を仕込んだ?」 怒りを抑えた声色で言うのはエメラルドの双眸をギョロギョロさせる大魔法使いは尋ねる。 「むしろ仕込むべきだ。“白薔薇と紅薔薇”を使うなら両方あって当然だろう」 「……ワンダーランドを歪ませ、ワンダーランドに起因する物語へ不法に干渉するという目的を忘れてまでやることか?」 「物語は楽しむものだ、大魔法使い」 「烏の旦那らしい言葉だ。ともかく大魔法使いさんよぉ、今回は初めての物語改変が成功しただけでも成果はあっただろ?」 両者の間を取り持つ様に口を開いたのは洒落たスーツを着た狼。「それに大魔法使いさんはともかく、他の連中は各々満足してるようだぜ?」 「私は満足よ。人体実験も有意義に行えたし、ついでに星の外へと追い払われた旧神を降臨させる条件も掴めたもの」 狼に同意を示したのは青い髪の女だ。 「まあまあ、それは嬉しいわぁ! 馴染の方がいないと寂しいですものね。ヴァルちゃんもお疲れ様でしたね、ママが沢山褒めてあげますよー!」 次いでうっとりとした表情で口を開いたのは羊の角を生やした女。 「勘弁してくれよ……」 隣に座ると山羊角の女からの抱擁を狼は必死に剥がそうとする。 「──ところで皆様。ワタクシはお一つ尋ねたい事があるのですが宜しいでしょうか」 嫌味を含んだ猫なで声。その声の主は白い髪から狐の耳を生やした女で彼女は顔に白い面を付けている。 「大魔法使い殿。ワタクシの聞き間違いでなければ、白の女王との決戦時にあの者を守ったようですね。その件についてご説明を頂きたい」 「……あの時点で私の計画は頓挫し、同時にワンダーランドとこの世界を白く塗り潰す白の女王の侵食が始まろうとしていた。それは私の求むべきモノでは無い、だからこそ白の女王の攻撃から奴を守ったに過ぎない」 「ワタクシ達の邪魔をする者を守るとは言語道断だと思いますが?」 「真っ白にされれば元も子もない、それだけの話だ。あの場では白の女王の排除を優先すべき、赤子でも分かる理屈だ」 大魔法使いと白面の女が静かに火花を散らす。 周囲の連中はそれを面白がって見ており、あわや一触即発となりかけた所を一人の男が食い止める。 「落ち着けよ白面ちゃん。大魔法使い閣下の言う通りだろ」 両者に待ったをかけたのは灰色の外套と中折れ帽を着ける男。彼は煙草を咥え、手元でゲームをしながら言葉を続ける。 「白の女王サマは俺等の手に負えない。あの判断は正しいだろうよ」 「ここぞという時に限って使えないあなたからの御高説は面白くないですねぇ。ワタクシならば、簡単に一捻りできましたよ」 「ほぉ、なら何で来なかったんだ? 大人しくしてると言いながら白面ちゃんもこっそりワンダーランドに来てただろ?」 男の言葉に全員が白面の女を見つめる。彼以外の全員は白面がワンダーランドへ密かに出向いた事に気づいておらず、何より彼女が何を目的としたのか。 戦略顧問として雇われる白面の女は黙り込んだままで、男はそんな彼女を一瞥すらせず質問を続ける。 「涙の海岸でコソコソとまるで自慰でも覚えたガキンチョよろしくやってたが、なんであの怪物二匹を連れて帰ったんだ?」 二匹の怪物とは、巨海獣と牛亀の事だ。 ワンダーランドのモノを外部へ持ち出す行為は大魔法使いと烏から厳しく禁止されていたにも関わらず、彼女はそれを犯した。 もっとも、灰色の男も時渡りの時計を持ち出しているのだが、ソレについては露見していない。 「最近作った九罪の箱庭に追加したの? もしかして九罪達を自分の眷属にでも置くつもりかしら?」 男に代わり追撃するのは青い髪の女。妖艶な見た目に合わない嗜虐的な青目が不気味に煌めく。 「十悪を好き勝手にしているあなたに言われる筋合いはないですよ」 何とか話題のすり替えを行いとするも、次は白面の女の隣に座る少女──の肩にとまる一羽のツグミがおもむろに嘴を開く。 「白面よ。如何に韋編悪党が烏合の衆といえ、組織を乱すのはいただけぬな」 「平安の世を多少惑わした程度のあなたに口出しをされるのは不愉快です。鬼なき都の夜鳥が我へ説教など片腹痛い」 白い面から覗く寒気立つ程の瞳の睨み。ツグミはなんて事のない様子だが、一方の少女は恐れ慄いたあまり椅子から転げ落ちそうになる。 しかし、未だに白面は不利だ。 周囲の誰も彼もが彼女を苦しめてやろうと、次なる言葉を練っていたが──思わぬ助け舟が白面の女を助ける。 「あー、白熱しているところ良いかね諸君。招かれざる客が来ているようだ」 声を上げたのは玩具をいじる白衣の老人。 招かれざる客────即ち“あなた”の観測しに彼はいち早く気づくと、濁った眼を眼鏡越しに向けてくる。 老人の仕草に呼応して、全員が様々な目つきをあなたへ向ける。さながら遅刻して来たあなたを見つめる、大衆の瞳の嵐とでも言おうか。 「悪党の企みを盗み見とは関心しないな。どうやって覗いたのかは知らぬが、諸君一先ず河岸を変えよう」 老人の言葉に韋編悪党達は次々と姿を消していく。そして最後まで残っていた烏が低く笑いながら、あなたへ告げる。 「良い物語を見せてもらった、感謝しているよ。だが連中からは目を付けられてしまったが……まあ致し方ないな」 烏は翼を羽ばたかせながら更に続ける。 「今回は恥ずべき駄作であった……無駄な時間を割かせた形になり申し訳ない。 「故に次こそはもっと面白いモノを提供できるよう全力を尽くす。それまで、ゆっくりとしていてくれ」 烏が飛び立ち、黒い羽があなたの視界を覆う。 ようやく視界が晴れた頃には、もうもぬけの殻であった。 これは終わりではない。 始まりだ。 韋編悪党達の悪事は、やっと一発目の花火を夜空へと打ち上げたのだ。