空母赤城は大日本帝国が製造、運用した大型空母である。元々は天城型巡洋戦艦2番艦として生まれる予定だったが、ワシントン軍縮条約により巡洋戦艦から航空母艦に変更された。竣工当時は多段式甲板だった。多段式の場合発艦と着艦を別々の甲板に受け持たせることができ、連続攻撃が行えると戦術的には考えられていた。そして軽量な複葉機が主流であったためこちらが採用された。しかし時が経ち軽量な複葉機から全金属製の単葉機に変わり、着陸速度や滑走距離が長くなったため中下段では対応できなくなった。さらに複数の甲板があるせいで格納庫が狭くなったり、上段の甲板が短くなるといったデメリットもあり、運用上よくないとされた。なので1935年から1938年にかけて改装され、全通式空母に生まれ変わった。搭載機の数は増えたものの、予算が「加賀」と比べて少なかったため飛行甲板から防水充填剤がはみ出ていたり、艦内は区画変更により迷路同然と粗末な仕上がりとなった。(食事は上等だったらしい)真珠湾攻撃、セイロン沖海戦をくぐり抜けたが、ミッドウェー海戦で格納庫の誘爆により航行不能。アメリカ軍に鹵獲されないために第四駆逐隊各艦(航行順は嵐、野分、萩風、舞風)の魚雷で処分された。