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鏡水/美しくも冷酷無情な、魔に堕ちし剣聖

遥か昔、最強と謳われる剣豪がいた 名は鏡水(けいすい)。とある国で、武術の最高位『剣聖』を持っていた最後の人物だ 魔法や異能、銃や科学で溢れた世界で、彼女はその身と刀のみでその地位を築いた 彼女の住んでいた国は小さく、周りを強大な国家に囲まれた国だった 中立国として宣言していたものの、多くの陰謀に巻き込まれ時には直接的な侵略を受けることもあった しかし彼女の存在が、その全てから国を守ってきた 大量の敵軍を一薙ぎで斬り伏せ、魔法の波を斬り払い、銃弾や大砲の雨を切り捨てる 美しくも果敢で、戦場で常に勝利をもたらした彼女を『羅刹』のようだと讃える声も多かった もっともこれは伝承のようで、実際はどうだったかを知るものは今はいない 科学技術や魔法技術では太刀打ちできないと踏んだ周辺国は、最後の手段として“呪い”に頼ることにした それは、核のような大量破壊兵器ですら違法でなかった世界で、のちに唯一の違法とされた呪法であった 大勢の非戦闘民間人に戦闘装備を着せ、呪いの因子も同時にかける そうして中立国に攻撃を仕掛けた 鏡水はそれらを迎えうった 史上最短の軍事行動時間だったかもしれない しかし一瞬にして呪いの因子が彼女に降りかかった まずは肉体に変容が起こった 老いることがなくなり、同時に病気にもかからなくなった 怪我もすぐに治るようになったが、以前にあった傷はずっと残るようになった 彼女の肉体の時間が止まった 次に精神が異常をきたした 原因不明の痛みを常に覚え、また呪詛のような何かがまとわりつくようになった やがて自身のものではない恐怖心や憎悪といった感情が心を支配するようになった 最後に認識に問題が発生した 初めは男女が分からなくなった。次第に老若が分からなくなり、やがて人とモノの違いが分からなくなった 最後には敵と味方の区別がつかなくなった 不思議と剣を振るう間は、ほんの少しだけ呪いが軽くなるようだった しかしそれもほんの束の間、彼女には二度と平穏が訪れることはなくなった 呪いの最終段階を迎えた夜 ひとつの国が終わりを迎えた 鏡水の周りには何もなかった 親しかった友人や家族も、頼りにしていた軍の仲間も、成長を楽しみにしていた弟子たちも、愛し愛された国の民たちも そのような形をした“無”だけが周りに落ちていた その後のことは分からない 記録する者、伝承を歌う者も全ていなくなった これは遠い昔の話。真偽すら歴史学者が議論している内容だ 確かなのは、その国があったであろう場所に一人の魔に堕ちた者がいることだけである