長く続いた大戦の結界、人類は倫理観を尻からヒリだして下水に流してしまうことを決めた。 戦争に勝つためという大義名分のもと、ありとあらゆる狂気の沙汰が認められるようになった。 止め時を模索するには、あちらもこちらも血を流しすぎ、失ったものが多くなりすぎていた。 人形と呼ばれる兵器が最初に登場したのは大戦中期のことである。 最初の人形は、完成済みの義体に戦死者の脳を載せただけの簡素なものだった。一応、命令を聴く。一応、戦うことができる。その程度の粗末なものだった。しかし、戦死者のリサイクルができるというメリットは大きく、各国はこぞって人形を生産し、戦場へ投入した。 時は流れ、二十余年。 一体の人形が製造され、戦場へ投入された。 その人形は、言わばこれまで培われてきた人形技術の集大成だった。 いままで戦場に投入されてきた無数の人形たち。それらから得られた戦闘データをもとに、技術者たちは完璧なボディとプログラムを作り上げた。 ネジひとつ、ギアひとつ、人工筋肉の繊維一本に至るまで最新技術を詰め込まれたボディの製造には、人工衛星四基ぶんの予算が投じられた。 戦績優秀な人形たちのデータをもとに、その人形には擬似的な自我と感情が与えられた。 そして最後に、その人形の主演算装置には、生きた人間の脳が使用された。機械化兵士の中から志願者を募り、特に脳機能が秀でていると認められたものの脳を取り出し、加工し、初期化し、プログラムを書き込んだ上で搭載した。 斯くしてその人形は完成した。 生産性も整備性も度外視した、まさしく決戦兵器として。 MN(モールドナンバー)系列は一体しか製造されていない。