歓楽街から二駅離れた下町の路地裏に、知る人ぞ知るバーが一軒。深みを湛えた木製のカウンター、さり気なく輝きを添えるグラス、照明の一つひとつまでこだわり抜いた空間。ここは人生を味わう場所だ、騒いで溺れたいだけなら他所に行けばいい。客足は日に一人あるかないかという程度だが、我は最初からそのつもりだ。ここのマスターたる我が信念の前には、かすり傷に過ぎぬ。 「わぁ~!素敵なお店~!すごい立派なカウンター!あれ、これどうやってお店に運んだんだろー。気になる~!」 そうそう、こういう騒ぎたいだけの奴は他所へ——ってなぜ小娘がこんな所に!?短い金髪を軽やかに揺らしながら、セーラー服の少女がみるみるうちに近づいてくる。 「あ、マスターさんやっほー!バイト募集の張り紙を見て来たんだけど、ここのバイトの面接とかってどうなってるの~?教えて教えて!」 却下アアアァァッ!!!ふさわしくないと言っておるだろうに!…いやいかん。ここで突き返してはマスターの名が廃る。この礼儀知らずの小娘に、大人の対応というものを見せつけてやるのだ。厳正な審査の上で丁重にお断りするとしよう。まずは深呼吸…… 「そ、そうかい。じゃあそこに座って、自己紹介してくれ。」 客が居なかったので、暇つぶしに面接することにした。 「私、音堀葉ほりんだよー!19歳!好きなことは、いろんな人のお話を聞くこと!でも、しぶ~いおじさんの、しぶ~いお話はあんまり聞いたことないから、ここでいっぱい聞きたいんだー!マスっちのお話も聞かせて!」 ほお、あと一年もすれば酒が飲めるのか。服のせいで中高生にしか見えなかったがな。話を聞きたい…ああそうか、あの張り紙に書いた募集条件、話を聞ける人だったな。 「……一応聞いておくが、ここで働くということに違和感とか、ためらいとかは無いのか?あとマスっちって何だよ…」 「ないよー!むしろすっごく楽しみ!マスっちって呼んだらかわいいじゃん!マスっちのお話も聞かせてよー!」 まあこの期に及んで呼び方ぐらい何でもいいか……折角だからどれだけ人の話を聞けるか試してやろう。 「ああ。そうだな、このバーを開いた理由とかでいいか?話せば長くなるぞ」 「うんうん!それ気になる、教えてー!」 「まあ一言で言ってしまえば、昔からの憧れだな。あれは今から30年くらい前…」 ~約1時間後~ 「んでよ~。振り返ってみたら、意外とあっけないような気がしてよぉ〜…」 あれ?我、完全にやられてないか?完全に主導権握られてないか?嘘だろ、いやでもこれ、アリだわ。こやつ、入りの勢いこそ凄まじいが、話聞ける奴だ。悔しいが、非っ常に悔しいが、才能がある。四半世紀ここにいれば、全国区になれるやもしれん。 「ん~、それある。大仕事が終わったのに、ほぇ〜って力が抜けるだけなこと、私もあるもん。でもマスっち、こんな素敵なとこにいて、いま楽しいでしょ?」 「楽しい…か。そうだな。お前と話せてなかなか楽しかった。この感覚は久しぶりだ」 「えっへへー、ありがとー!私も、しぶ〜いお話楽しかったよ!」 ぐわぁ、これが俗に言う眩しい笑顔というやつか。これは効く、痛いほど刺さる。でも見守りたくもなるのだ。 「あーーっ!!!」 ほりんは何かを思い出したように立ち上がっていた。 「うわびっくりした!何だね、いや、え、何か大事なことでも?」 「私が自己紹介しなきゃなのにお話聞いてばっかりだったー!これは間違えちゃった……ごめんなさい…!」 「あぁその話か。気にしなくていい、少し待ってろ」 取り急ぎ、裏にある新品の制服から一番小さいのを持ってきた。そこからはあっという間だった。 「わーっ!かっこいぃー!テンション上がってきたー!」 「サイズもぴったりー!おっとなーって感じ!」 「あれ?制服を着せてくれたってことは……採用?採用ってことなの!?ほんと!?」 「あぁ、そうだ!はっきり言わせすぎるのも考えもんだぜ?」 「やったー!じゃあ、門限近いからもう帰るねー!マスっち、明日もよろしくー!」 こうして嵐は去った。代わりに何年か分の疲れが押し寄せて来てるな……ん?明日!?これはまた大変なことになりそうだな…ははは…… P.S. マスっちはやっぱ無いわ。明日はちゃんと名前を教えよう…