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ドーツ・ターバー680A[後期型]

ドーツ社がかつて手掛けていた軽自動車。2005年以降ドーツ社は軽自動車の開発を停止しており、ベールス社のOEM車のみ生産している。その中でもこのターバー680Aは、ドーツ社製軽自動車歴に一番名を残した車だ。ターバーの名前の由来は「ターボ」と「オーバー」を合わせた造語。ターバーの開発は順調に、、、とはならなかった。走り・カッコよさを追求するか可愛さ・安定さを追求するかで社内で口論していたのだ。この時ドーツ社は財政がギリギリで、開発資金があと2台分しか無かったのだ。そしてこのときベールス社が発表した『パリラ』という軽自動車の可愛さが大ヒットし、各社可愛い車開発に舵を切っていた。もちろん会議に集められた8割の開発人が可愛さを取った。しかし1人の創立当時からいる技術者が発した「ドーツは遊んでなんぼだろ」という言葉が皆の考えを変えた。そうして開発は決定、最後の資金を振り絞って小さい車体に最大限の走り・カッコよさを追求した。キャッチフレーズにある「車体は小さく、でも最後まで大きく。」もそこから来ていると推測される。エンジンは直3ターボを搭載、ミッションは5速マニュアル限定で最高速度は180km/hを誇った。そしてとうとう1984年に発売開始した。しかし案の定、全然売れなかった。月間1000台行くか行かないかの販売台数で、倒産がもう目前になっていた。するとある喜劇が起こる。発売から翌年の1985年3月、ミコド社・ヘルスン社開催の『全国軽四選手権』に出場したマルチーダレーシングチームのこのターバーが連戦連勝したのだ。全国テレビで放映されると、最高月間販売台数が12500台を記録。全国に名を馳せた。コレの2年後、後期型が開発される時にカッコいいだけだったターバーに少々可愛さが出る。フロントにウインカーが増えたのだ。それが赤らめたほっぺのようになり、車の性能も相まって「照れ屋な暴れ馬」とあだ名がついた。売れ行きも好調で、前期・後期共にみんなから愛された。しかし突如としてターバーは姿を消した。テレビの取材も入ったが会社はすべて拒否。まるでいなかったかのような対応をとっていたという。コレ以降ターバーの後継車も、新型の軽自動車も、さらには替えのパーツまでドーツでは開発・生産しななかった。2005年から軽自動車の開発はやめたというのはもしかしたら嘘で、この「ターバー」で終わっていたのかもしれない。そんな過去もあったが現在は中古車市場に少々出ているため、買ってみるのもいいかもしれない。