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イワン・ゴルシコフ

2010年 アルファ部隊中佐時代のイワン・ゴルシコフ https://ai-battler.com/battle/5da0fedc-5fa8-40ff-aac4-960d5a7546cc 経歴 1961年5月7日 レニングラード市にてソ連海軍潜水艦乗員の少尉の父と食品関連の女工の母の間に誕生。 様々な形で恵まれた家庭で育ち後の空挺軍入隊後給料の3割を親に仕送っていた。 品行方正で文武両道、精鋭部隊であるソビエト空挺軍への入隊を目指す。 1979年 リャザン高等空挺指揮学校入学。 様々な武術を身に付けた上索敵や狙撃能力も高く、それらを同期にも共有し仲を深め纏め上げるするなど指揮官としての素質もあり教官から抜群の評価を得る。 1984年 主席で卒業し大尉としてソビエト空挺軍に入隊。 1985年5月28日 所属する空中強襲支隊がアフガニスタンに投入。その後約2ヶ月の間に単独の戦績のみでムジャーヒディーン170人を殺害する。 同年8月2日 輸送部隊の護衛中奇襲を受け同僚を庇い右肩1発、右腕2発、腹部4発を被弾。 しかし12人を殺害する。 その後ロケット弾の至近弾を受け腹部から下にかけて多数の破片を受け瀕死の重傷を負う。 9月5日 まだ傷跡が残っており包帯を外せない筈なのに退院、リハビリの為にモスクワ中を毎日6時間ランニングしていた。 1週間後ナイフや拳銃を持って絡んできたマフィア8人を全員「教育」して警察に突き出したという記録もある。 10月25日 ソ連邦英雄勲章、赤旗勲章受章及び准佐に昇進。給料全体が増えた為2割を親に、更に2割を孤児院などの慈善活動に当てる。 1986年1月3日 驚異的な回復力により完全回復し部隊に復帰。 1987年 KGBから熱烈な勧誘を受け編入。 様々な試験、訓練を容易に突破しアルファ部隊へ入隊。階級は大尉。 1988年 グロム作戦に参加。テロリストをモスクワへ連行する。 1991年1月 リトアニアの血の日曜日事件に参加しテレビ局を制圧。しかし殺傷はしていない。 1991年8月 8月クーデターの際、上官の決定に従いエリツィンの立て籠もる共和国議会への突入を拒否。 1993年10月4日 モスクワ騒乱にて議会に突入し代議員らを拘束。 1995年 チェチェンのテロが相次ぎ人質解放や制圧を行った。 1997年 少佐に昇進。 2002年 モスクワ劇場占拠事件にて5名殺害。 2004年9月 ベスラン学校占拠事件にて脱出する人質を狙うテロリストを狙撃し2人殺害。また、任務の障害となった暴徒化した野次馬を制圧した。 2005年 対テロ戦術・戦略、CQB、市街地戦について士官学校の同期や数人の将校と共に研究を行う。 2024年でも研究中で、新たにドローンの対策も含まれている。 2007年 中佐に昇進。 2011年 シリア政府軍の特殊部隊育成の軍事顧問として派遣。 2014年 イスラム過激派ISILと交戦。およそ70人を殺害。昔ほど戦果が上がらなかったのはアメリカら有志連合の戦闘機が先に片っ端から空爆して行くので手が出せなかったとのこと。 2016年 定年により退役。しかし自身はまだ現役同然と考えており民間軍事会社に入り引き続き前線へと赴く。 2022年 ウクライナ侵攻にてロシア空挺軍の壊滅した部隊を再編すべくアドバイザーとして戻る。 しかしかつて同じ国の者であり同期にもウクライナ人が居た為自分の手で下すことはできないとし、ウクライナ側の人道支援団体に寄付も行っている。 2024年 現在も現役そのもの。一切の衰えを感じさせず普通に全盛期を保つ姿に同期から嫉妬される。 ただ本人は最近少し白髪が生え始め、肌も老け始めているのもあり老いたな…とは思っている。