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【韋編悪党】ハゥフル/泡沫の魔女

 深い深い森の奥。ぽつんと建った古びた屋敷。  長く雨風を受けた外壁には夥しい数の蔦が、まるで蛇の如く絡んでおり、さながら魔女の住まう屋敷とも言える外観。  いや、それはあながち間違いでは無い。  その屋敷には魔女が住んでいる、冒険者たちの間では有名な噂だ。  子供を喰らう、  子供を使って実験をしている、  子供たちに悪しき魔法を教えている等等。    憶測が飛語を呼び、飛語がデマを形成する。  得体の知れなさが恐怖を掻き立て、  掻き立てられた恐怖へ打ち勝とうするのは人の性。腕に自信のある冒険者たちが挙って魔女の住む屋敷を探したが、ついぞ屋敷は見つからず。  やがて屋敷があるとされる森だけが、多くの人々を寄せ付けぬ曰くつきの森となった。  ひっそりとした夜の帳が下りた頃。  森の奥にある屋敷。その一室からは灯りが洩れていた。部屋に集められた幼い子供たちは、夜空の星よりも眩しい瞳の煌きを一人の女へ向けている。  子供たちの中央に居るのは車椅子に座った美しい女。柔らかな髪は穏やかな波の如く、温かき双眸は大海の如き慈愛を帯びている。  子供たちの頭を優しく撫でる女は手元に置いた絵本を開く。就寝前の朗読を待ちわびた子供たちの嬉しそうな声が響き、女が絵本を開こうとした時だ。  一人の子供が何かに気づき窓へ駆け寄ると、知らない人がいると大きな声で知らせる。  その刹那、先程までの柔らかな笑みが幻だったかのように女は険しい顔となった。纏う雰囲気も荒れた大海を彷彿とさせ、数名の過敏な子供たちが眦に涙を浮かばせる。  ハッと女はかつての魔女たる覇気を抑え、泣き出しそうな子供たちを宥めつつ、ゆっくりと窓へ近づき来訪者の姿を確認し…安堵した。  青黒いクロークと三角帽子をつけた禍々しい魔法使いが外に立っていたが、彼のことを女はよく知っていたからだ。  子供たちに部屋で待っているようにと告げてから外へ出た女。こちらに気づいた魔法使いは開口一番に謝罪を口にした 「すまない、邪魔をしたようだな」  クロークに身を包む魔法使いが言う。 「いえいえ、テンペストさんなら何時でも大歓迎です」  女は嬉しくて顔を綻ばせる。子供たちへ向けていた慈愛の笑みではなく、少女然とした笑顔。 「ところで何かご用件でも?」 「用と言うほどのものでは無いのだが、その前に…」  魔法使いがサッと片手を振った瞬間、凄まじい規模の雨風が発生する。  叩きつける雨粒と吹き荒れる強風、これこそ彼の得意とする嵐の魔法。  大量の雨粒が隠匿の魔法を弱らせ、僅かな綻びを強風で以て引き剥がす。  眩しくも悪なる緑の光が空間から漏れ、そこに潜むエメラルドの瞳を引きずり出す。 「盗み見とは感心しないな大魔法使い。疾く去れ、貴様の悪意はこの場に相応しくない」  クロークの魔法使いが鋭く睨むと、エメラルドの瞳が薄気味悪く笑うと歪み霧散した。 「…やはり簡単に逃してはくれませんか」 「当然だろう。泡となって消える筈の君の物語は奴の魔法で別の解釈へ改変された。 「なにより君がソレを望んだ──望んでしまったからな」  魔法使いの言葉を女は俯いたままジッと聞いていた。  愚かであった。己の浅はかさを今になってようやく理解していた。  結局のところ結末は変わらず。本来泡となって消える筈の自分の代わりに、求めた夢が泡と消えただけだった。 「…私はこの先どうなるのでしょうか」 「烏は君に満足しているが、大魔法使いは君を手放さない。今は傍観に徹しているが、狼や灰色の男を使って君を暴走させるだろう」  魔法使いの言葉に女は自然と胸を抑える。物語を変えるために大魔法使いから授かった呪いのエメラルド。  それが今尚も自分の身体を侵している。焦げる程の悪意の焔に何度身を委ねようとしたか。  でも、決して彼らの思い通りにはならない。  なってたまるのものか。  女は眼前の魔法使いと初めて出会った時の言葉を今でも胸に深く刻み込んでいる。 『思うように生きることだ。君が生きた時点で本来の物語とは別の物語が始まっている──創造主の意図では無く、自分自身で物語を編む(あゆむ)のだな』 「抗ってみせますとも。今も私の胸には愛しいお方と…夢見た子供たちがいるのですから」  強く、  眩しく、  決意を滾らせ、  女は言った。   「…その思いが叶う事を君に魔法を教えた師匠として願っている」   愛弟子を思う魔法使いの言葉。  しかし彼は既に気づいていた。  女の腕に見える邪悪なエメラルドの煌き。  彼女はどれだけ持ち堪えられるのか。  逃れられない末路と打開策に辿り着けぬ己の未熟さを魔法使いはヒシヒシと感じていた。