一人の少女、月明かりが影となる路地裏で独り息を殺して座り込む。 そして私、"伯内 愛(はくうち あい)"は恐怖していた。 それは、先程から迫り来る不良少女に対してか? ___違う… ならば、クソムシの幻影に向けてか? ___違う……! では、お前は何に恐怖し、何故その両手足を震わせているのか? ___〇〇者……! そうだ、その者の名は……!? 「___わしの名は"歩行者"という…」 声の主、その者から伸びた白い手が、私の肩先に触れていた。 「ヒッ……!?」 私は無意識のうちに、そんな声にならない悲鳴を挙げていたのであった。 こんばんは、今宵は綺麗な月の昇る日ですね。 そして先程から、私は背後から迫り来る声を無視して全力疾走中の者です。その表情は無に等しく、その感情は灰を被っていた。 あぁ、まただ……。また、あの鬱陶しい声が聞こえてくる。 「待ちやがれ!、どこか儚げな美少女!」 本当にしつこいですね、このまま蹴り殺してしまいましょうか? と、思ったが……それは出来ないという複雑な状況、そんな入り組んだ事情が今の私にはあるのだ……。だから、この場は悔しながらも敗走兵のように逃走を余儀なくされてしまっている。 この"走る"という行為は、この地球上において生物が為すべき行為の中で3番目に重要な事である。 ___では1番目は……? それは呼吸、この地球上において呼吸しない生命は存在しない。それは植物や単細胞生物においても同じ事のように重要な事である。ならば生命が呼吸を止めた時、それは生命の終わりを報せる終末の鐘となるだろう。だがしかし、今この瞬間に再び生命が呼吸を始めたのならば、それは永遠を告げる不老不死の誕生を祝する時、悠久にして不朽にして恒久なる"死した肉体"が最果てにて鎮座する。 ___では…、2番目は何か? それは"繁殖"、言い換えれば種の保存にして継承、それらは生命の全てに刻まれた"防衛機構"にして繁栄の"守り手"でもある。 ___そして3番目こそが……、 ………"移動"である。 原初より生命が単細胞から多細胞へと進化を遂げる以前に発現した"概念"、各々が適した場所へと移動し、そこから進化の序曲が往々にして壮大なる演奏を開始したのだ。加えて移動とは歩き、そして走り、その果てに時間を超越する唯一のタイムトラベルである。 ___だからこそ、今宵の喧騒が"奴"を呼び覚ます。 「ハァ…ハァ……ハァ……ハァ…ハァ…」 どれだけの距離を走ったのか?、そんな些細な事はどうでもいい。今、必要な事は少しばかりの勇気と、そして大胆不敵に暴力を振るう絶好の機会さえあれば十分に事足りる。 駆けていた私は立ち止まり、そして背後から迫る存在へと振り返る。だから仕方がない、私は溜息を吐く。そして、踏み締めた足先に力を込めて放つ、それは渾身の玉けr……ッ!? 「そこの方、願わくばわしに道を教えてほしいのじゃ」 古臭い口調に反して声色は驚くほどに若い。今この瞬間に横槍を入れた声、それが聞こえてきた方向へと視線を向けた矢先、その背後に浮かぶ月明かりに照らされ、こちらへと歩み寄る一人の少女の姿を捕捉する。 不意に少女の瞳がこちらに向けられる。 「おや、お主は___?」 ___ゾクリッ…! ……私は、擬似的な死を目視した。 不意に少女と目が合った瞬間、この私の肉体に駆け巡った確かな感覚にして事実。それは相応にして恐怖、別称として悪寒が走ると私の背筋を凍らせた。 「…………!」 沈黙は金なり、私は何も言わない、一言も発しなどしない。ただ眼前の少女、その一挙手一投足を視界に収めるので精一杯であった。 「そう警戒しなくてもよいのじゃ、なぁ___」 ___そうじゃろ、管理者…? 「……ッ!?」 その言葉に私の警戒度は一気に跳ね上がり、咄嗟の事に己の肉体が身構えていた。 「おっと、これは失言なのじゃ……。今のでお主に余計な警戒心を持たせてしまったのじゃ」 ___ドクン、ドクン…! 心臓の鼓動が早くなる、右心房に流れる血液が蓋の開けられた炭酸水のように勢いよく右心室へと駆け巡る。そして汗腺、恐怖に駆られ、手のひら、足のうら、ワキの下の限られた部位からほんの短時間のうちに発汗する。それらは己の肉体に存在する200万を超えるエクリン腺とアポクリン腺の極一部から溢れた精神性発汗。いわゆる冷や汗と呼ばれる現象を誘発していた。 息が苦しい、肺内の空気が僅かに肺外の胸腔内に漏れて両肺が極端にしぼんだ。その胸腔内に漏れた空気が両肺と心血管を圧迫し、愛の胸部で緊張性気胸を引き起こす。頬から垂れた冷や汗、上手く呼吸の取れない肺で思考する。 ___そして、 この目の前にいる少女は危険だ!、そうして愛自らの直感が恐怖という根拠を以て"逃走"という非理性的な行動へと彼女を追い詰めた。 ___バッ…! 愛は逃げ出した、その両手足を振り絞って必死に逃げ出したのだ。 その背中を見送る存在、少女は何か面白いものでも見たかのように微笑んでいた。 「最近の若者は元気があって羨ましいのじゃ」 ___そして、視線はもう一方へと傾いた。 「それでだ、わしは道を教えてほしいのじゃが……」 その視線の先、脱臼した肩を庇う存在、膝元 暴羅(ひざもと あばら)が身構えていた。 「テメェ、何モンだよ…!」 眼前に佇むおかしな口調の少女、ソイツが何者かなんて暴羅には分からない。だがしかし、これだけは唯一分かっている事がある。 ___コイツには決して関わるな。 そう、自身の直感が告げていたのである。暴羅の警戒した目線、少女と互いに視線が交じり合っていた。 「うむ、わしか……」 ___少女は、張り詰めた沈黙の中で口を開く。 「わしは、ただ道に迷っただけの世間知らずな美少女じゃよ」 「いや、テメェでそれ言うのかよ!?」 暴羅のツッコミ、中々に鋭い切り口である。 「___って、言うかテメェ、さっきから何処を探してんだ?」 まずは話を聞く、それが人生における厄介事を避けるための鉄則である。 「お主は、フウタローという男の居場所を知っておるか?」 その問いの瞬間、暴羅の思考にノイズが走る。 「あぁ知ってるぜ、……つったらテメェはどうする気だよ?」 二人の視線、その間を沈黙が支配する。 一人の少女、月明かりが影となる路地裏で独り息を殺してしゃがみこむ。 「ハァ……ハァ…、ハァ………」 体力的に限界を迎えた肉体、その体でどうにか路地裏の塀にもたれて私は座り込む。その心の奥、その胸中には止めどない恐怖を抱いていたのである。 それは、先程に現れた少女に対してか? ___そうだ… 彼女は何者だ? ___知れたこと……! では、彼女は何者だと言うのか? ___〇〇者……。 あの少女は、誰だ……。敗北者か?、それとも死亡者か?、いいや違う!、私の記憶が確かであればそのどれにも該当しない。 それは、もっと単純で、更に愚直で、どうしようなく呆気ない存在…… 確信が、私の脳内を埋め尽くす。 きっと…!、彼女はきっと___!? 「___そうじゃ、わしの名は"歩行者"と言う…」 声の主、その者から伸びた白い手が、私の肩先に触れていた。 「ヒッ……!?」 私は無意識のうちに、そんな声にならない悲鳴を挙げていた。私はその手から逃れるように振り払い、そして即座に立ち上がっては数歩後ろへと退いていた。視界に映る少女、その背後に輝く月明かりが逆光となって私の瞳に焼き付ける。その頬を伝うは冷や汗……、、、 「貴女が、歩行者……」 すると眼前の少女、改めて歩行者は愛へと呟く。 「管理者……、いや今は人間のふりをしているのだったな。まぁ…、わしはどちらでも良いのじゃが、お主と少し話がしたい」 「…………!」 きっと、この今聞いた言葉に拒否という選択肢は無いのだろう。それを否応なく直感で確信し、再び愛の頬から冷や汗が垂れ落ちていった。 https://ai-battler.com/character/10146ced-3684-4a5f-927b-5cdbc3a9422e