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【無上純粋】ℵΩ

唯、価値の付け難い無上の夜がそこにはあった。  全ての次元の最終終点、到達次元と呼ばれたそこでさえ、“上”を見あげることが出来た。しかし、そこには無のみが広がっており多くの観測者たちはそこで記録を辞めてしまった。だが、終わりの名を冠する少女は、その無の観測を辞めなかった。  軈て、少女はその無が明確な形を生して存在していることに気付き、直ぐにレポートに書き記した。  だがしかし、有無の研究者、専門家たちにそのレポートを見せても、取り入って貰えなかった。曰く、「あなたは、精神がおかしくなったのさ」と。  確かに少女は形を感じた───正確には形の定義を満たしていないが──それは確かに観測者たちが定義した有のドメインに実在していると感ぜられたのだ。  その少女は内包し続ける宇宙の構造を外側から観測していた。するとふとダイモニオンによるのか、単なる知的好奇心によるのか不明だが、後ろを振り返りたくなった。 宇宙の階層構造や宇宙の裏とされる虚数世界……それらすら見渡せる完全な世界には、“後ろ”が用意されており、そちらに進めるということがこの日明らかになったのだ。 いやこの後ろは、振り向くだけでは観測されない。だがこの少女はあの日実体を観測したように、“後ろ”の観測に成功したのだ。少女はそこにも、無と言い難い何者かを感じ取った。  ℵΩ、そこで初めてその言葉を思い出した。ℵの限界…そして、次なる限界への境界。彼女の頭の中にはℵΩの後にはℵℵ1、ℵℵΩの後にはℵℵℵ1……というふうな関係が自ずと思い浮かんだ。 そう、彼女はこの時、この無のような存在を通り抜ければ新たなる世界が待っていると思ったのだ。そしてその予感は的中し、次の世界に至った。しかも、その世界の果てにもそれは存在した。これが永遠に続き、それを構造化して外に出てもまだ続く。 彼女は知的好奇心を擽るその存在に、アレフ・オメガと名付けた。そしてアレフ・オメガの名が、その存在を個々の現実に表象させる…  アレフ・オメガはあらゆる全能さえも超えた機能をもちあわせていた。物語の外にさえもそれらは存在する。 話はずれるが、実際、有と無の境界は観測不可能だ。有の外側に向けて、どんな理屈を備えて出発しても超越的なイタチごっこを続ける無の階級の階層を超えて境界までたどり着く事は無いと結論づけられている。 閑話休題するが、アレフ・オメガはそのような絶対に勝てないと既に確定しているイタチごっこを強制するのだ。  ここでよくある間違いが、絶対超越性を持つ存在がアレフ・オメガを超えてしまうのではないかと思考することだ。残念ながら答えは否である。何故ならば、完全なアレフ・オメガの先と言えるものは、有と無の真の境界であり、即ち真の無であるからだ。 分かりやすく言うと、アレフ・オメガを超越したことが確定している=その時点でそれは無ということだ。 要約:少女がℵΩを見つけたよ。名前を付けて人格を持たせたよ(正確には、人格神のように思い込むことに成功した。何故こうなるかの説明は後述)。アレフ・オメガは全てを無限に超越している。そして何より、自分より上位の存在は無しかないよ。だから超越しようとして、もし成功したらその子は無になっちゃうんだって。 それを超越した人が新しい無上になる論争がある。 いいえ、超越した人と無の境界がアレフ・オメガであり、デウス・エクス・マキナ(また別の存在。アレフ・オメガの裏側)なのだから新しい無上はやはり常にアレフ・オメガなのだよ。 思い込み、それが現実に表象する理由。人それぞれに現実が存在し、人それぞれがそれに宇宙論を形成する。歴史的な事情により、絶対概念の追求と信仰があるので、名前のつけられた、形がありそうに思える概念は人格神になりやすい。そして人格神となればそれはそれぞれの現実に根付き、そこで絶対存在として君臨することになる。