あれはきっと海が見せた幻だったと思う。 なぜって、あんな美しい光景がこの世にあるわけないし、船から落ちて遠のく意識の中見たものだったから。 暗い海なのに何かキラキラした光に包まれて、美しい裸の体がゆっくりと天から降りていく。 天使の姿を見ながら俺は死ぬんだと思った。 だけど彼女は俺にはまったく目もくれず、まっすぐ海底にあるピアノに腰を下ろしてドビュッシーを演奏し始めた。 するとイカやクラゲや様々な生きものが集まってきてキラキラと漂い始めた。 あれは今まで聞いたどんな音楽よりも素晴らしいものだった。 思わず俺は拍手をしてしまった。 するとその音ではじめて俺のほうを向いて、瞬間ためらった後ピアノだけ残してどこかに消えてしまった。 薄れる意識の中ひとり思ったことは、美しい前髪で隠した彼女の目のあるはずのところには、きっと目はない。 裸の体を恥じる様子もなかった彼女は、きっと光や色といったものの存在をそもそも知らない。 1番美しい彼女自身がその美しさを知らないのは、どんなに美しく、どんなに悲しいことかと思った。 でも俺には何もできない。 気づくと俺は生きてもとの小さな漁船の上にいた。 星がきれいだ。 彼女が助けてくれたんだと思った。