城下街は騒乱状態だ。 ワンダーランドの外からやってきた来訪者が街に入るや、女王の住まう城を目指して突き進んでいる。 三月機関の兎たちや女王の仕える薔薇の魔物、ドクターの配置した人形兵はなぎ倒され、事態を重く見た男爵によりトランプの兵たちが続々と投入される。 街中に残った僅かな民たちが家の中で身を寄せ合い、外では攻勢に出るトランプ兵たちの怒号や戦闘音が鳴りやむ中、それらを他人事の様に見物している連中がいる。 「おお、また投入されていったな。いや、マジで街ん中空っぽになるだろこれ」 真っ黒な珈琲を啜るのは洒落たスーツを着た狼。状況が状況でなければ、優雅な午後のひと時とも言えるだろう。 「それだけ必死な訳だ。ま、あんな雑兵程度じゃ時間稼ぎにもならんだろうな」 狼の対面に座っているのは灰色の外套と中折れ帽が特徴的な男。紫煙を燻らしながら、男はクリーム色の珈琲に大量の砂糖を追加して飲んでいる。 暢気な様子の二人だが、彼らもワンダーランドを歪めた韋編悪党の一員。本来なら自分達の野望を潰さんとする来訪者を迎撃する責務があるにも関わらず、二人は真っ先に課された仕事を放棄するに至った。 組織の一員としてはあり得ない事。しかし何処までいっても烏合の衆に過ぎない韋編悪党にとって、命令の無視や放棄などは日常茶飯事。 当然である、自分勝手な彼らにとって韋編悪党とは行く場所を失った中で唯一身を置ける場所なのだ。 面白い事には手を貸す、たまには言う事も聞いてやる、ただし嫌な仕事はしたくない。 そうした連中が何とか手を取り合い、ワンダーランドを歪めたのは奇跡にも近しい事だ。 もっとも、そこから先は完全に各々が違った方向に舵を切った為に計画は頓挫しかけているのだが、自分らが困らなければ無視をするのも彼らにとっては自然な事だ。 「はぁ、まーた大魔法使いさんから連絡だぜ。勘弁してくれよな、あんな奴相手に俺が勝てる訳ねぇだろ」 「無視だ無視。大事な時間を他人の為に使うなんて、馬鹿げてるさ」 砂糖とクリームを増し増しにした珈琲を一気に飲むと、灰色の男は次に溢れんばかりの果物で彩ったパフェを食べ始める。「うーん、この甘酸っぱい苺が最高だ」 「仕事をサボってるお前らが羨ましいよ」 硝子の棺桶を背負った黒壇の美しい髪の女が絞り出した声と呆れた視線。 バツの悪い状況にいながらも、口うるさい大魔法使いよりはマシな彼女に狼は暢気な口調で労う。 「お疲れちゃん。ドクターにあっちゃこっちゃ引っ張り回されて大変だな」 狼は灰色の男から手渡されたスプーンでパフェを掬って頬張る。 「はぁあああ……老人の相手は勘弁。マジでしんどい」 ドサリと椅子に座り込んだ女は両足を机の上に乗せる。衝撃で落ちそうになったパフェを安定させつつ、灰色の男は行儀の悪い仕草を咎める事はしない。 「ま、掃除屋なんだからよ、それくらい付き合ってやれよ」 「雑務は請け負ってないっつーの!」 女はあんぐりと開けた口の中へ残っていたパフェを放り込む。 口元に着いたクリームを黒い外套の袖で拭うと、取り出した煙草に火を点けて豪快に吸い始める。 「元プリンセスの欠片もねぇよな」狼はそう言って珈琲を一気飲みする。 「幼気な女の子ばっか喰ってるロリコン狼に言われたくはないけど?」 「最近は菜食主義に転向したんだぜ?」 「幾ら紳士気取ろうが羊の皮を被ろうが、男なんてどこまで行っても狼そのものだろ。皮かぶりの送り狼とか、まじで笑えるけど」 「かぁ~どぎつい、どぎついな。何で返ってくる言葉の全部に刺があるんだか……烏の旦那もえげつない改変するよなぁ」 激しい女の言葉にも狼は不快感を露わにせず、むしろその清々しさに笑いを隠しきれていない。 そんな二人のやり取りを楽しそうに見る灰色の男が新しい煙草に火を点けた時、かなり近くの方で大きな爆発音が響く。 空中を舞うトランプの兵たちと、爆心地目掛けて一直線に飛来する白き光を目にする狼は忙しなく立ち上がる。 「白騎士を投入したか、そろそろ退き時だな」 「ずらかるぞ」立ち上がった女が硝子の棺桶を開き、漆黒の闇が覗く。 「ほいほい、お先に失礼するぜ」 硝子の棺桶へ狼が飛び込むと次いで女も半身を闇の中へ溶け込ませる。蓋が閉められ、スーッと半透明になり棺桶は姿を消す。 一連の光景を見つつ灰色の男は紫煙を燻らす。 ワンダーランドの崩壊は、もう間もなくだ。