《CLASSIFIED》 個体識別名:ラウン(Lawun) 身長:156cm 所属:チームⅡ“Invader”特務部隊 状態:WIA 【宿魂情報】 氏名:[削除済み] 出身:[削除済み] 概要: ・備考:チームⅡは引き続き当該“終戦乙女”の行動監視を徹底せよ。 ※チームⅡ ラウン)[削除済み]、私の執事へ不愉快な言葉を述べるのはやめてください。今度同じ真似をしたら、助走を付けた私のグーで殴りますよ。 ※チームⅡ[削除済み])“オールドレディ”がスカート上げて走るなんざ滑稽だな。 ・警告:当文章を手紙回しの様に使用するのは今後控えてもらう。 ・特別示達事項:チームⅡは当該“終戦乙女”の作戦中に発生した終戦乙女の大量死の解明に全力を挙げよ。 ────────────────── 《PROFILE》 ────────────────── 《STORY》 ※今回は人によっては過激に思える描写があります。読む際はご注意ください。 戦火で煙る空に群れる灰色の雲。静まり返った地上へ遠雷を轟かせ、瞬く間に空を灰色の雲海へと覆い隠す。 薄暗い世界、鳴り止んだ雷鳴に代わり不穏な静けさが暫し続く。 やがて雲から滴り落ちた雨雫が中程から(バキリと)折れた直剣の刃に物悲しい音を立てた瞬間、まるで堰を切ったかの様に降り出した驟雨が戦場をしとどに濡らす。 火薬の臭いを混じらせた雨が血と脂に塗れた大地を酷くかき回し、酸鼻たる戦場の惨たらしさを強調させている。この有り様では死体漁りですらも、近づかないだろう。 いや、仮に雨が降っていなくとも──この戦場に近づく者はいない。 ズズ、ズズっと何者かが覚束ない歩みで戦場を彷徨っている。 歯車のマークが付けられた白い軍帽──はて軍人か? 無惨にも斬り裂かれ、雨と血に濡れた白いドレス──もしや貴族の娘か? 背中から生えた白い翼──ああワルキューレだ。 雨の戦場を幽鬼の如くに彷徨い歩く姿のワルキューレを見て、近づこうとする者は皆無。 そのワルキューレの名はラウン、人類虐殺を行う終戦乙女の一員。その華やかなドレスを纏う見た目から“殺戮の御令嬢”と渾名される女。 陰惨で醜悪な戦闘を終えた彼女は、白磁器の様に美しい顔を返り血と泥で塗れさせて周囲を見回す。 終わりなき戦争に心が疲弊し、残虐な行為と夥しい死体を数々と映してきた瞳は光を失っていた。掠れた墨の如き瞳は──悍ましい事に──絶望に慣れきっており、最早何を見てもラウンは何も感じない。 白の軍服を着た終戦乙女達も、虐殺に抗った誇り高き戦士達も、ラウンが向ける瞳は一緒。 それをとても腹立たしく思っていた事すらも今や彼方の忘却に置き去り、彼女は全身の傷も癒えないまま次の戦場を探す様に彷徨う。 殺さなければ、殺さなければ。 次は何処だ。 北か南か、東か西か── 急がなければ、急がなければ。 どんどん皆が死んでいく。 救えるべき者が死んでいく。 今の自分を駆り立てる思いに答えるべく、足を踏み出したラウン。 だが、ぬかるんだ地面に足を取られた彼女は踏ん張る気力すら出ずに倒れ込む。死体と戦火に塗れた土から感じる生々しい程の温かさと、鼻や口から入り込む穢れた水と泥。 常人なら吐き出してしまう嫌悪感、だがラウンにとっては身近なモノ。 死臭を伴う泥水が口の中で撹拌され喉奥に流れ込む事も厭わず、起き上がろうとするラウンだが腕に力が入らない。癒える間も無く戦場を渡り歩いて来た彼女の身体は、とっくに限界を迎えていたのだ。 最早、精神や根性、決意云々で立ち上がれない状況。 それでもラウンは必死に力を振り絞る。泥の奥深くにまで爪を立て、何度も何度も──上体を起こそうとしては無駄に終わる。 さらに冷たい雨が、疲弊した身体の体温をゆっくりと奪う。徐々に徐々にと身体が動かなくなるも、ラウンは構わず立ち上がろうとする。 こんな場所で死んで楽になるつもりはない。 仮に死ぬとしても、それは戦場で──戦いの果てに殺されなければ。 そうでなければ、死んで至った者達に申し訳が立たない。 だがラウンの思いを非常なる現実が、彼女の身体を蝕む。 終ぞラウンは起き上がる事は出来ず彼女の努力は水泡に帰し、ぬかるんだ死臭の泥が彼女の顔を覆う。大地に刻まれた死者たちの叫びが鼻孔や口に侵入し、嵐の様に吹きすさぶ怨嗟の中へ放り込まれた感覚へ陥る。 許しを乞うつもりはなかった。 己の不甲斐なさでラウンは自らを責める。 少し前までは確かに感じていた胸の痛みはもう無い。戦いの中で心と感情は削れていった。 私はここで死ぬの? 心の中で呟く。 “君は頑張ったよ” 頭の中で返事がした。 己が身に存在する宿魂の声。 自分にとって、たった一つの、かけがえのない相手。 乾き掠れた瞳が熱を帯び、眦から熱い水が垂れる。 彼の言葉にラウンは身を楽にしようと考えた。 でも── まだ戦わなければ、もっと……もっともっと殺さないと。 彼は言葉を返さない。 彼女の思いが如何程であれ、身体は動かない。 意識が徐々に薄れていく。視界の端から暗黒が上がってくる。 全身が弛緩していく最中、彼女は前方から近づいてくる人影を見つける。 だれ? その者の人相も分からないまま──ラウンの意識は深い闇の中へと沈む。 「……お嬢様」 その名を呼ばれ、ラウンは(ハッと)目を覚ます。どうやらうたた寝をしてしまったらしく、目覚めた際の彼女の反動が机に置かれた茶器が揺らす。 「お休みの最中に申し訳ありません。メリー様が到着しております」 気品溢れる黒のスーツを纏うカニンガムが優しく告げる。 彼の畏まった言葉を聞いたラウンは、ドレスの皺を直すと優雅な所作で立ち上がる。 「ああ……もうそんな時間なのね」 好ましくない客人の到来に辟易するラウンに、カニンガムは顔色一つ変えずに“お急ぎください”と再度告げる。 彼の言葉遣いに寂しさを感じつつもラウンは、溜息を混じらせながらメリーが待つ客室へと急ぐ。 普段使う部屋ではなく、メリーや他の終戦乙女のみを迎え入れる専用の部屋へ入ると開口一番聞こえてくる嘲りの言葉。 「遅いんじゃねぇのかい? もう少し早く走ったらどうだ、“オールドレディ”」 椅子にふんぞり返って座る女──チームⅡ通称“Invader”のリーダーを務めるメリーは、顎を上げて挑発的な笑みを浮かべる。嗜虐に満ちた三日月の様に口と嘲笑と挑発で塗れた瞳を見せる彼女は、ラウンの背後にいるカニンガムに邪悪な視線を向けていた。 「本日は道が空いていたのでしょうか。随分とお早いご到着ですね」 メリーの視線をそれとなく阻むと、ラウンは嫌味を込めた言葉を返しながら席に着く。カニンガムへ紅茶の用意を促しつつ、毒気を抜いた表面上の微笑みを向ける。 「今日は戦闘の面倒を見るまでも無かったからね。ま、誰かさんがサボらずに仕事してくれたら遅刻なんざしないけど」挑発するメリーは机の上に足を置く。 「私は仕事の一環として療養中の身ですが、サボリ魔……はて何方でしょうか、皆目見当もつきません。それにしても随分と珍妙なティーカップですね、紅茶だけでなく足も入れられるとは素晴らしいです」 互いに笑顔でそれでいて毒を塗ったナイフで刺し合う様な会話はチームⅡ所属のワルキューレにとって日常。笑顔で殴り合う事を彼女達以上に慣れているワルキューレはいないだろう。 普段のメリーなら簡単にラウンの婉曲な言葉に従う事は無いが、今日は珍しく素直に足を下ろす。尤も(ニマニマと)薄気味悪い笑みへ嫌悪感を抱くラウンは、メリーが放つ不穏な気配を静かに警戒する。 戦の功労者として療養の許可を得ているラウンと言えど、チームリーダーのメリーからの命令を簡単に拒否できる立場ではない。現在の終戦乙女の戦況が芳しくない事を鑑みれば、いつラウンに出動命令が下りても不思議でない。 如何にして時間を稼ぐか、頭の中で言葉を組み立てるラウンの鼻孔へ華やかな紅茶の香りが漂う。カニンガムが慣れた手つきで紅茶を注ぐ姿に笑みを綻ばせる彼女だったが、そこへ思わぬ邪魔が入る。 「紅茶の香りは嫌いですか」ラウンは静かに睨む。 眼前でメリーが煙草を突然吸い始めたからだ。火をわざわざ点けるまでもなく、“既に先端を赤く灯らせた煙草”を虚空から取り出して吸う事は彼女程のワルキューレともなれば造作も無い。 「煙草も紅茶も同じ葉っぱだろ?」メリーはお構いなしに紫煙を吐く。 「それでは煙草葉を使用した“お茶”を次回は用意しましょうか。尤も、お茶では灰や煙は出ませんが」 つまるところ、“ここは禁煙だ。煙草を吸うんじゃねぇ”と告げれば済む事を諄すぎるオブラートに包んだ言葉で伝える。婉曲な物言いは話し相手の理解度に左右されるが、前述した様にチームⅡの所属ワルキューレはこうした会話に慣れている。 口惜しそうに煙草をふかすメリーを見るラウンは、カニンガムへ灰皿──正確に言えば灰皿代わりの受け皿──を用意するように促そうとした時だ。 「おいおい皿ならあるだろ。使い古された小汚い皿がよぉ?」 嗜虐心を含む声音と共にメリーは、カニンガムの腕を掴もうと手を伸ばす。その言葉と灰の落ちかけた煙草、何より彼女の残忍な瞳の見つめる箇所をラウンは瞬時に理解する。 そこからはあまりにも早かった。 バネ仕掛けの玩具の様に身を乗り出すラウンは、真っ先に片手でカニンガムをメリーから引き離す。そしてもう片方の手で煙草から零れる灰を受け止める。仄かな暖かさを(ジワリと)感じる。 真っ白な掌が灰に汚れるのも厭わないラウンは、そのままメリーの煙草を握りしめる。先程の灰とは比べ物にならない熱さが広がるも、顔色一つ変えずに微笑んだままの彼女はメリーを静かに睨む。 “私の男に傷をつけるな”と言う女の瞳。 だがメリーがそんな事に気付く筈も無く、むしろラウンの見せた反応に口角を上げる。 「ほう、だいぶ動ける様になったじゃねぇの」メリーも少し身を乗り出す。「つうか、この老い耄れは奴隷だろ? “殺戮の御令嬢”が、人間一匹の火傷を気に掛ける理由があるのか」 「私の執事(モノ)……を勝手に傷つけるな、と前回に申した筈です」 僅かにラウンは言葉を詰まらせた。今は“偽りの関係”を演じているとは言え、彼をモノ扱いする事に自分の胸が酷く痛む。 それだけに、彼女は今カニンガムの方を見たくなかった。偽りの関係を理解している彼がどんな顔をしていたとしても、彼の姿を見てしまったら自分が耐えられなくなる。 「変な所で強情だね」メリーは不気味に笑うと再び椅子に腰を下ろす。「んで、早速今回の用件なんだけど──」 メリーが本題に入ろうとした時である。乱暴な力で扉が開かれると、白い軍服を身に着けたワルキューレが息を切らせながら部屋に入ってくる。 軍帽に刻まれた“黒星”のマークは、チームⅢの所属を示すモノ。 成程、それならあの乱暴さも理解できる。チームⅢの連中が揃いも揃って品の無い、粗暴な連中な事は周知の事実。 ワルキューレは(ツカツカと)靴音を鳴らして近づくと、メリーの耳元で何か囁いている。話の内容は不明だが、メリーの表情が僅かに険しくなった事から察するにチームⅢの方で問題が発生したのだろう。 チームⅡとチームⅢの両方に関係がある案件となると、恐らくチームⅣから離反したワルキューレ達の撃滅作戦だろう。風の噂に聞けば、双虎と称されるワルキューレや死ねないワルキューレが日夜激しい抵抗を続けているそうだ。 「……急用が出来たんで帰らせてもらう。用件は今度ね」 メリーは一瞥すらしない。余程緊急な事態なのか、(一応)見送りをしようと立ち上がったラウンを手で制すとそのまま部屋を出て行ってしまう。 扉がゆっくりと閉められたのを見届けたラウンは、きつく張り詰めていた緊張の糸を解いた拍子に思わず(ホッと)安堵の息を吐いてしまう。装っていた平静の反動か、自分の体内が全力で走ったかのように鼓動を早めている。 「“ラウン”、大丈夫か」カニンガムが見つめる。 その表情は依然として固くも、その声音と言葉はいつもの彼。 愛しき人に己の名を呼ばれ、ラウンは身体を甘く震わせる。迸る熱が体内をぐるぐると駆け巡り、今すぐにでも彼の抱擁を受けたいと肌が湿る。 「ええ、問題ないわ。……“あなた”」この言葉を口にするだけでラウンは身体に狂おしい程の愛を感じていた。 柔らかく微笑むラウンが煙草の吸殻を皿へ落とすと、不快な“女”からの痕跡を消し去るべく手巾で拭う。根本的に人と異なるワルキューレにとって、煙草程度では火傷の跡すら残らない。 多少の汚れは数日で消えるが、それでも自分の身体に“カニンガム”以外の痕跡をラウンは残したくなかった。 かつて戦場を彷徨い、無数の死を齎した“殺戮の御令嬢”の面影はない。 今のラウンは──恋という病を患い、愛という後遺症に身を委ねる一人の女。 カニンガムと今の関係になったのは、あの日ラウンが倒れた雨に濡れた戦場での出会いからだ。 深い闇の中へ意識を落としたラウンは、火に焼ける木材の軽快な音を耳にする。 意識が途切れる寸前まで耳元で騒がしくなっていた雨音は遠ざかっており、雨粒が肌に当たる感覚も無い事から自分が違う場所に居ることを察知した。 ゆっくりと目を開いた先に剥き出しの岩の天井。まだ掠れた視界ながらも、仄かな灯りに照らされて橙色に染まる洞内を這い回る小さな虫が見える。 洞口は闇に包まれており、時刻が夜であるとラウンに悟らせる。 ぼんやりと天井を見上げるままのラウンは、ふと人の声の様な音を耳にする。 完全に意識が戻っていない状態で、ぼんやりとした感覚のまま音の方へ首を傾ける。 焚火を挟んだ向かい側で座り込む一人の男。白髪交じりの髪と髭、深い皺の入った顔は老齢の美しさを漂わせている。 しかし男の顔に凡そ感情の色は無く、数多の戦火でくすんだ瞳は今のラウンと同じく真っ黒だ。 ラウンの視線に気付いた男は作業をしていた手を止めないまま、不気味な程に無表情な顔を上げて漆黒の双眸を向ける。 何を考えているのか読めぬ面持ちながらも、ラウンは男から敵意は感じなかった。 彼が自分をここまで運んだのだろうか、ラウンはそんな事を思う。 今更になって気付いたが、どうやら自分の身体は薄い毛布が掛けられている。嗅ぎ慣れぬ他人の汗の匂いが、微かに残っている。 両者沈黙。 雨音と焚火のみが洞窟内に音を響かせる。 依然沈黙。 交差する両者の視線。 やがて男が作業に戻ろうと顔を俯かせた時になって、やや意識が鮮明になりつつあるラウンが声を発する。 どうして助けたの、と。 自分は人類虐殺を行う終戦乙女の一員。男がそれは分かっていない訳が無い。 ラウンは気付いていた。男がナイフの手入れをしていることに。 そのナイフで自分を殺すつもりなのだろうか──それなら別に構わない。 自分の行為が何であれ、終戦乙女である以上は殺されても仕方が無い。 でも、どうせなら聞きたかった。彼が自分を助けた理由を。 ラウンの問いが聞こえていない様に男はナイフの手入れを続けている。その作業が一段落着くと、顔を上げて彼は答える。「君が“人間”を守る為に戦っているからだ」 男の言葉にラウンは目を見開く。どうして知っているのか、と言いたげな顔は久しぶりに驚きの表情を浮かばせた。それと同時に胸の中で、今まで感じた事が無い程の熱を帯びた痛みが現れる。 “殺戮の御令嬢”と渾名されるラウンが今までに殺してきたのは、同じ終戦乙女のワルキューレたち。宿魂を得た彼女は早い段階で終戦乙女の人類虐殺に疑問を持ち、それを止めるべく一人で立ち向かっていた。 秘密裏に仲間を殺し続け、時には大規模な部隊をも壊滅させ、しかし露見を防ぐべく死した人の血と脂を纏って欺き続けていた。 己の行いの露見を恐れるあまり、ワルキューレ達の虐殺を受ける人々を何度も何度も見殺しにしてきた。仮に助けに入ったとしても、生き延びた彼らが自分の知らぬ所でワルキューレ達に掴まり、拷問の果てにラウンの事を口にすることが怖かった。 だから孤独な戦いをずっと続けて来た。 誰かから、ありがたく思われるつもりも無かった。 だって、自分も終戦乙女なのだから。地上へ死を齎す災いなのだから。 お礼を言われる筋合いはない、と思い続けていた。 だからこそ、男が口にした「ありがとう」の一言がラウンの胸へ深く突き刺さる。理解の出来ない震えがして、訳も分からずに手を強く握りしめる。 ありがとう、ラウンはそう返したかった。 でも、自分が口にしたのは男の感謝を拒む言葉。 “何が、ありがとうだ” 違う、そうじゃない。 “感謝なんて必要ない” そうじゃ……ない。 “守れなかった。みんな死んでいった” 違う、違う、私はそんな事を言いたいんじゃない。 “みんな死ぬ。誰にも彼女達を止める事はできない” 違う……違うの…… “無意味だった! 私はただみんなを苦しめただけだった!” 最低だ……私は、私は助けてくれた人に……酷い言葉を…… ラウンの言葉は震えていた。 制御できない悲しみと怒りが同時にこみ上げて、目元から涙を滂沱と出させる。抑えきれない苦しみが、嗚咽となって口から漏れて喉奥を焦がす。 洞内に響くラウンの悲痛な声。 その声を聞いても男は無表情のままで、しかし何か考える様に目を瞑ると呟くような口調でラウンに告げる。 「無意味かどうかは君が決める事じゃない、君に助けられた彼らが判断することだ」 “だから? 助かっても死んだら無意味でしょ?” 「君の主観がそれなら構わんさ。しかし、それなら何故人を助ける事を止めなかったのだ。君の言う通りなら、助けても無意味……なんだろう?」 男の言葉にラウンは声を詰まらせる。 矛盾していたからだ。己の本心とそれを偽ろうとした気持ち。終わりなき戦が齎した絶望が悲観という形となって思考を蝕んでいた。 本当は無意味だなんて思ってもいないのに、ひとたび犯された思考は正常な言葉を告げさせない。 「質問への沈黙は肯定だな──」 違う。 男の声を遮るようにラウンは声を荒げて否定する。 上体を起こし、呼吸を荒げたまま、ラウンは本当の思いを強く口にする。 違う、違う。無意味なんかじゃない。 私は一人でも助けたかった。無惨に殺されていく、みんなを、人々を、助けて……いつか、この世界に平和が戻ることを信じて……信じて戦ってきた。 無意味じゃない、確かに意味のある行いだ。 私は彼らの希望を信じている。 どんな絶望にあっても、どんなに明日が無意味であっても、それが今持っている希望を捨てる理由にはならない。 どんな時でも日は昇りそして沈む。 風が吹いて、川は流れ続ける。 命が終わって、新たな命が生まれる。 無意味な事なんて無くて、全てに意味があって、それら全てが無数に繋がり合って明日を築いていく。 だから、だから、私が助けた“今日”が──明日の希望になるの。 私が助けた命が──明日の、未来の命を繋ぐの。 力強く、ラウンは頭の中にあった言葉を叩きつける。 滅茶苦茶な事かもしれない、何の道理にも適っていないかもしれない、でも、それでも、ここで否定をしなければならなかった。 ラウンの言葉を静かに聞いていた男は無表情だった。それはラウンの言葉が響かなかったからではなく、最初から彼女の本当の思いを察していたからだ。 彼の言葉もただラウンを試しただけに過ぎない。 「……そうか。ありがとうな」男はそう言って作業へ戻る。 話は終わり、ということなのか。ラウンは寂しさを感じる。自分の思いをぶつけた相手は彼が初めだったからだ。 もう少し、もう少し話をしたい。ラウンはそう思いながらも、作業へ集中する男を邪魔する気にはなれなかった。 話しかけて、男から嫌われたくなかった……嫌われたくなかった? この時、感じた気持ちがラウンには解らなかった。今まで感じえたことの無い気持ちにラウンの頭の中はぐるぐると回り、胸の中が嵐の様に騒ぎ出す。このもどかしさに自然と毛布を抱きしめてしまう。 結局、その日ラウンは眠ることなく(尤もワルキューレは睡眠も不要なのだが)焚火の先で作業を続ける男の顔を明け方まで見続けていた。焚火に照らされる彼の顔を見つめる程に胸の中が熱くなる感情、それの名をラウンはまだ知らなかった。 夜明けの空が白くなりかけ、いつの間にか雨も上がった頃、男はいそいそと出発の準備を始める。毛布を掛けたまま横になっているラウンを一瞥すらせず、使い古したリュックサックを担ぐ彼はふと立ち止まる。 “何だ?”と男は振り返らずに尋ねる。 背後からゆっくりと近づいて来たラウンに、彼は気付いていた。ただ依然として黙ったままの彼女に再び声をかける事もなく、立ち去ろうとした彼の服を反射的にラウンは掴む。 男は僅かに振り向く。無表情な顔と戦火と疲労に澱んだ瞳がじっと見つめ返す。 重苦しい静けさが両者の間に流れ、やがてラウンが口を開く。「……もう少し、一緒にいてもいい?」と身を縮こませて言う彼女の手は緊張で震えている。 男は考える事も無く言う。「好きにすればよい」と変わらずの無表情な顔と無機質な声はラウンの申し出を好ましく思っていない様にも聞こえる。 それでも彼が決してラウンと共に居る事を拒んではいない、それだけで彼女には充分だった。 「……私はラウン。貴方は?」 男は短く返す。「カニンガムだ」彼が少し微笑んだ様に見えた。 ワルキューレと人間、二人の数奇な旅はここに端を発する。カニンガムへ抱いた気持ちを理解する為に、彼の傍をラウンは殆ど離れずに(チームからの集結命令は流石に無視できなかったが)自分には不必要な寝食を共にして彼を観察し続けた。 最初の数週間、やる事と言えばワルキューレの殺害のみ。ただ一人で戦ってきたラウンにとって誰かとの共闘は非常に難しく、今まで通りに大規模な部隊を殲滅させる難易度は飛躍的に上がったと言える。 カニンガムは魔法使いでも戦士でもない。自然の地形を利用した環境トラップと緻密な戦略を立ててから行動する彼と、とにかく殲滅すれば問題無いと考えるラウンとでは何度も衝突を重ねた。 それでも二人が決別をせずに済んだのは、己の気持ちを理解したいラウンと基本的に無関心なカニンガムという組み合わせだったからこそ。 破壊と殺戮の跡が生々しく残る巨大な都を訪れたぎこちない数日間。 カニンガムがかつて洋菓子を作る職にあった事を知り彼が初めて見せた笑顔。 まだ本が残っている書店でラウンが一冊の本──カニンガムへの気持ちが分からない彼女に宿魂が勧めてくれたモノ──を読んだ時だ。 ラウン──いえ、“私”はこの胸に抱く気持ちが恋であり、そして次に襲ってくるのが愛であると教えられたのです。 その刹那、熱い感情が全身を迸り、胸の中をきつく縛られた感覚が私を襲いました。 頭の中は“彼”の顔で一杯になって、白い肌は熟れたような果実の如く艶やかに染まって、まっさらな私の心は瞬く間に甘い雫に濡れていったのです。 読んでいた本を落とし、甘く飢えた気持ちに身を捩る私に異変を感じた彼が──ああ、私の名を口にしてくれたのです。 息を荒げて、振り返った私。その濡れた瞳を彼に向けていた時、私は確かにワルキューレではなく一人の女だったのです。 紅潮した頬を見た彼は、私が風邪を患ったと勘違いしたようです。私の身を案じる彼の顔はとても可愛くて、愛しくて、愛しく、愛しい……愛愛愛愛愛愛──だからこそ私は、近寄る彼を己の思いのままに押し倒しました。 まるで幼子の様に私は彼への愛の気持ちを伝え、困惑したままの彼の身体へ指を這わせます。硬く厚い身体を舐め回す様に私の指が踊り、彼の確かな脈動を感じる首筋から深い皺の刻まれた頬へ移った時。 私は彼が人間としての一生の佳境に入っている事に気づきます。何よりも、こんな世界です。彼がいつ死んでしまってもおかしくない……そう考えたが最後──私の衝動は抑えが効かなくなりました。 灼熱の劣情に湛えた私の目は、今思えばとてもはしたないモノだったのでしょう。未だに冷静な彼からの制止すらも、駆け出した私の心には届きません。 彼の両腕を掴み地面に押さえつける。ああ、なんとまあ、人とはか弱く……守ってあげたくなる生物ですか。 騒がしい彼を舌で濡らした口で塞ぎ、ねっとりとした私の思いを注ぎ込みます。目を白黒させる彼に見せつける様に、純白のドレスを脱いだ私は柔らかな月明かりに照らされた肉体をさらけ出しました── …… ………… …………そこからの事はよく覚えておりません。 ただ、取り返しのつかない事をしたのは確かでした。如何に愛した相手とて、彼の同意を得ずの行為の余韻は私に罪悪感を植え付けたのです。 明け方、雀の可愛らしい鳴き声が空に響いた時。むくりと起き上がった彼へ、私は己のした行為への謝罪をしました。 嫌われてもいい、別れを告げられてもいい。 ただ昨夜の過ちを謝り続けました。 そんな私を、彼は冷たい沈黙を伴った視線で見つめていました。私が謝罪の言葉を終えた後も、暫し彼は黙ったまま。 そして彼が口にしたのは厳しい言葉でした。当然です、それだけ罪深い行為なのですから。かつての口喧嘩よりも丁寧で、しかし厳しい言葉は私の心を深く抉りつつも──目に溜まった涙を流さぬように堪えます。 苦しい程の沈黙が流れた後、彼は一つ尋ねました。自分の事を本気で愛しているのか、と。 それは確かです。 決して単なる肉欲の暴走ではない。 本気であなたを愛していた……愛してしまったからこそ、私は道を誤ってしまった。例え、その言葉を信じられなくても、私は自分の思いを正直に彼へ伝えました。 そんな私を──罪深いこの女を、彼は静かに抱き寄せてくれました。驚く私に、彼は厳しく昨夜の行為を咎めつつも、私へ愛を返してくれたのです。 その瞬間、堪えていた涙が一気に流れた。彼との別れたくない私の本当の気持ちが堰を破り、とどめない滂沱と上ずった声を口から吐き出させました。 肌身に感じる彼の鼓動と熱。確かな男性の腕の感覚、私の背中を優しく撫でる彼の手。 その全てが昨夜の行為以上に、私の心を満たしたのです。これこそが、本当の愛だと私は彼から学ばせていただきました。 それでも、この世界は愛だけで何とかなる程に優しくありません。明日の希望の為に戦い続ける私達を、嘲笑うかのようにワルキューレはその数を日に日に増していきます。 彼も私も疲れていきました。 そして、ある時、最初に私が折れてしまったのです。明日の希望よりも、彼を喪う事の方が私には耐えきれなかった。 あなたと最後の日まで一緒にいたい。 私の思いに、彼は散々悩んだ上で同意してくれました。 今までの功績(無論、人々には一切手を出しておりません)と傷の療養を言い訳に、私達はこの海の上で暮らし始めたのです。 カニンガムを療養中の私の手伝い人として起用する案は、チームⅡのとあるワルキューレが上手く手配してくれました。尤も彼女自身、何を考えているか分からないので不安でしたが。 メリー達を欺き続けて、世界の悲惨さを忘れ去る様に──私達は静かに過ごしていた。 でも、世界は少しずつ風向きを変えてきました。私達ではない、誰かが明日への希望を紡いでいたのです。 館に鐘の音が響く。ワルキューレではない、来訪者の到着を知らせる鐘だ。 今ラウン達は違う形で、終戦乙女に反旗を翻す者達を支援している。鍵束を腰に下げるワルキューレの申し出を受け、招かれた者達の力を測り各地で反乱を起こす者を結びつける。 明日への希望を紡ぐ者達を守り、平穏なる未来を築く為に──ラウンは再び立ち上がった。 「お客様ね……お通しお願いできる? カニンガム」 「かしこまりました、お嬢様」 カニンガムに招かれ、客人が来訪する。 見た所、かなり強そうだ。客人が周囲の装飾に気を取られている中──ラウンは静かに告げる。 「ようこそ、お待ちしておりましたよ」