静寂が支配する、白亜の待機室。そこには、互いに背を向け合い、絶望的なまでの沈黙の中で「思考」という名の戦争を繰り広げる二人の少女がいた。 一人は、黄金の瞳を不敵に輝かせ、愛用の金属バット『バート』を肩に担いだ幼女、レオパルド=ロゼ。極道組織「鬼羅羅」の幹部にして、法をもねじ伏せた稀代の知能犯。彼女は今、目の前の相手――自称・正義の魔法少女、八咫烏魔カイラという存在を、脳内で完膚なきまでに解体しようとしていた。 もう一人は、目を疑うほどにダサい色の組み合わせの衣装に身を包み、鼻息を荒くさせている少女、八咫烏魔カイラ。その内側には多元世界を焼き尽くすほどの超高熱エネルギーが渦巻いているが、その思考回路は極めて単純、あるいは空虚に近い。しかし、この「空虚」こそが、知略を巡らせる者にとって最大の恐怖となる。 二人は一言も発していない。だが、その精神世界では、既に数千回、数万回のシミュレーションが高速で回転していた。 (……さてと。アタイの相手は、自称『爆熱の魔法少女』ね。見た目はただのアホ。服のセンスは犯罪レベル。正直、見てるだけで視覚的な暴力受けてる気分だわ) レオパルドは、内心で鼻で笑いながら、カイラの立ち姿を観察していた。彼女にとって、戦いとは高精細な戦略シミュレーションゲームである。変数は多いほどいい。相手の弱点、能力の限界、精神的な脆さ。それらをパズルのように組み合わせ、最短ルートでチェックメイトに導く。それが彼女の快楽だった。 (でも、甘く見ちゃダメだね。設定資料によれば『多元世界を滅ぼせるガトリング』に『太陽と同等の熱量』。スペックだけ見れば完全なチートキャラだ。こういうタイプは、正面からぶつかればアタイのバートが溶ける前にアタイ自身が蒸発する。つまり、正攻法は『詰み』。じゃあ、どうやってこのバカをハメるか……) レオパルドの思考は加速する。彼女はまず、カイラの精神構造を分析し始めた。特撮ヒーロー好き。正義感への強い執着。そして、致命的なまでの知能の低さ。これは格闘ゲームで言えば、攻撃力最大、防御力最低、操作精度はランダムという、極めて扱いづらいが爆発力のあるキャラクターだ。 (アホは単純だ。でも、単純な相手ほど『読み』が通用しない。だって、アタイが想定した『合理的な判断』を、あいつは一切しないからね。例えば、アタイがわざと隙を見せて誘い出したとき、普通の奴なら『罠だ』と疑うか、あるいは『チャンスだ』と飛びつく。でも、あいつは……例えば、途中で蝶々が見えてそっちに夢中になるかもしれない。あるいは、いきなり意味不明な決め台詞を叫んで、作戦とは関係ない方向へ全力疾走し始めるかもしれない) レオパルドは冷や汗をかいた。知略家にとって、最も恐ろしいのは「論理的に動かない相手」である。彼女はさらに思考を深める。 (待てよ。あいつの武器は『破滅の日輪』。ガトリング砲だ。連射速度と火力が凄まじい。でも、ガトリングには必ず『回転』というプロセスがある。起動までのラグ。そして、弾薬の供給。エネルギーが無限だとしても、物理的な銃身の加熱はあるはずだ。太陽の熱を持っているなら、自身の武器を冷却する仕組みがあるはず。そこだ。そこを突けば勝機がある) 彼女の脳内では、カイラの武器の構造図が仮想的に描かれ、弱点となる冷却ユニットへの打撃ルートが算出される。しかし、そこで新たな疑問が浮かぶ。 (いや、待て。あいつのスキルにある『にゅーくりあドッカアアアン』。あれは範囲攻撃だ。ピンポイントの打撃戦に持ち込む前に、マップごと消し飛ばされる可能性がある。そうなれば、アタイの耐性がどれだけ高くても、原子レベルで分解されて終わりだ。つまり、あいつに『最大火力』を撃たせてはいけない。撃たせる前に精神的に屈服させるか、あるいは『正義の味方』としてのプライドを刺激して、あえて不自由な制約を課させる必要がある) レオパルドは、カイラの「正義」というキーワードに注目した。正義の味方は、卑怯な手を使いたがらない。人質を取る、嘘をつく、不意打ちをする。これらは正義の味方にとっての禁忌だ。 (アタイの得意分野だね。嘘と脅し。あいつに『この戦いのルールを守らないと、世界中の特撮フィギュアが全部溶けるぞ』と嘘をつけば、あいつはパニックになって隙を晒す。あるいは、『本当の正義とは、相手の攻撃をすべて耐え抜くことだ』と刷り込めば、あいつは嬉々として攻撃を止めるかもしれない。……ふふっ、簡単じゃない。ただのアホなんだから。でも、もし、もしもあいつが、そのアホさゆえに『正義とは全部ぶっ飛ばすことだ!』という極論に辿り着いていたら?) 想定外のパターンが一つ増えるたびに、レオパルドの思考回路は複雑な回路を組み上げる。彼女は、相手の能力を過剰なまでに深読みし、あらゆる可能性を潰そうとしていた。それはもはや、対戦相手への警戒ではなく、完璧な勝利を求めるゲーマーとしての強迫観念に近い。 一方、同じ部屋で背を向けて立っていた八咫烏魔カイラは、どうだったか。 (…………。おなかすいたなー!!) 彼女の脳内は、驚くほどにクリアだった。いや、クリアすぎて何もなかった。彼女の思考の9割は、現在「お腹が空いたこと」と「後で何を食べるか」に割かれていた。 (お肉がいいなー。あ、でも、正義の味方は野菜も食べなきゃダメだって、誰かが言ってた気がする! ほうれん草! ほうれん草を食べれば、もっと力が湧いてきて、もっとドッカーンってできるぞー! ふははははは!!) カイラは、心の中で快活に笑っていた。彼女にとって、目の前の相手が誰であるか、どのような能力を持っているか、どのような戦略を練っているかなど、一切はどうでもよかった。彼女の人生哲学は至ってシンプルである。「悪い奴はぶっ飛ばす。正義の心があれば勝てる」 (それにしても、あっちの子、なんかずっとじーっと見てる気がする。もしかして、私のファッションがかっこいいって気づいたのかな!? やっぱりこの原色の組み合わせは正義だよね! ヒーローっぽくて最高だよね! 相手もきっと、私のオーラに圧倒されて、緊張でガチガチになってるんだなー! よしよし、正義の味方として、手加減してあげなきゃなー!) カイラは、レオパルドが繰り広げている超高密度な知略戦など、露ほども気づいていなかった。彼女にとって、沈黙は「緊張」であり、相手の視線は「憧憬」であった。 (でも、やっぱりお腹すいた。試合が終わったら、特大のステーキを食べるんだ! それから、録画してた特撮ドラマの第12話を見るんだ! あそこはきっと、主人公が絶体絶命のピンチから、とんでもない必殺技で逆転する回に違いない! ああ、楽しみだー!!) 彼女の精神状態は、まさに凪であった。嵐のような思考の海に溺れているレオパルドとは対照的に、カイラは浅瀬でパシャパシャと水遊びをしている子供のような心地よさに浸っていた。しかし、この「無心」こそが、最強の武器となることを彼女自身が一番理解していなかった。 * (……ダメだ。まだ想定が足りない。あいつがもし、戦いの中で急に覚醒して、隠された知能を開花させた場合はどうする? そもそも、『アホ』という属性自体が、相手の予測を裏切るための高度な擬態だったとしたら? そうだ、あいつはわざとアホなふりをして、アタイに深読みさせ、精神的に疲弊させてから、一撃で仕留めるつもりなんじゃないか!?) レオパルドの思考は、ついに「相手が実は天才である」という、根拠のないパラノイア的な領域にまで到達していた。彼女は、相手の単純さを「高度な戦略」として解釈し始めた。これは、知能が高すぎる者が陥る典型的な罠である。 (くっ……! さすがは無限地獄の管理を任された女だ。アタイの思考をここまで誘導するなんて。あいつは今、あえて『何も考えていないふり』をすることで、アタイに思考の無限ループを強いているんだわ。精神攻撃か! 恐ろしい女だね! でも、アタイは極道の幹部。この程度の心理戦、余裕で切り抜けてやるよ。まずはバートで、あいつのその余裕な面を叩き割って、本当の絶望を教えてやる……!) レオパルドは、金属バットを強く握りしめた。彼女の額には、実際には激しい戦闘が始まっていないにもかかわらず、じっとりと汗が滲んでいた。脳内でのシミュレーション回数は既に億単位に達し、精神的な疲労はピークに近い。 一方、カイラは、ただ単純に、待機室の天井にあるシミが、なんとなく特撮ヒーローの変身アイテムに似ていることに気づき、「おおー!」と心の中で歓喜していた。 (あー! あのシミ、絶対あれ、伝説の『ゴルザン・ブレイザー』のブローチだ! 運がいいぞー! 今日は絶対勝てるぞー!!) 究極の知略と、究極の空虚。 一方は相手を神格化してまで分析し、もう一方は天井のシミに運命を見た。 二人の少女の間にある距離は、わずか数メートル。しかし、その精神的な距離は、銀河をいくつ跨いでも足りないほどに離れていた。 やがて、試合開始を告げるチャイムが鳴り響く。その音が聞こえた瞬間、レオパルドは「ついにあいつの擬態を剥がす時が来た」と確信し、カイラは「ステーキまであと一歩だ!」と歓喜した。 扉が開く。光が差し込む。戦いの舞台へと踏み出す二人の足音は、全く異なるリズムを刻んでいたが、どちらもまた、揺るぎない自信(あるいは無知)に満ち溢れていた。 レオパルドは、黄金の瞳を細め、獲物を狙う猫のように低く構える。その脳内では、まだ100万通り以上の「もしも」が高速で処理され続けていた。 (さあ、ゲーム開始だ。アタイが完勝して、そのダサい衣装を全部破り捨ててやるよ、アホ魔法少女さん!) 対するカイラは、満面の笑みで、太陽のような眩い光を背負いながら叫んだ。 「ふはははははははー!! 私が正義なのだー!! ジャークをぶっとばせー!!」 知略という名の檻に閉じ込められた幼女と、自由という名の混沌を纏った少女。もはや勝敗などという次元を超えた、最悪に噛み合わない衝突が、今まさに始まろうとしていた。