夜の静寂が包む旅館の一室。十二畳の広々とした和室には、布団がずらりと並べられ、修学旅行に訪れたバトラーたちが深い眠りに落ちている……はずだった。 (……静かすぎるな) 誰が先陣を切ったのかは分からない。あるいは、全員が同時に同じことを考えたのかもしれない。 「…………えいっ!!」 静寂を切り裂いたのは、小柄な少女、セトラの控えめながら鋭い一撃だった。彼女の手には、ふかふかの白い枕が握られていた。その標的は、隣で丸まっていた緑のナイトキャップを被った不思議な生物、ちぇんである。 ボフッ!! 「わがらなぃよぉぉぉ!!」 ちぇんが派手に吹き飛ぶ。これを合図に、部屋の温度が急上昇した。もはや眠気などどこかへ消え去り、少年少女(と饅頭と機械生命体と絶望の化身)たちの瞳に、闘争の火が灯る。 「あはは! 弱すぎるんだよっ! れいむこそがこの部屋で一番美しく、最強のゆんなんだよっ!」 赤いリボンを付けた饅頭、れいむが勝ち誇った顔で叫び、手近な枕をセトラに向けて全力で投擲する。しかし、セトラの傍らには、意思を持つ巨大な剣、ヴァイが鎮座していた。 『主、右から低速の投射物が接近中。』 「わっ! ヴァイ、ありがとう!」 セトラは身軽な動作でひらりと身をかわす。その動きは、もはや枕投げというよりは舞に近い。 「どぼじて逃げるのぜ! まりさが最強のえいゆうなんだから、正々堂々戦うのぜ!!」 金髪の饅頭、まりさが怒涛の勢いで枕を連射し始めた。その弾幕は凄まじく、部屋の中は白い綿の塊が飛び交う戦場と化す。 「Demanding a 1vs1!!」 機械生命体ボックス・ヴィルが、少年のような快活な声で叫んだ。彼はその巨体に見合わぬ俊敏さで、まりさとれいむの間に割って入る。本来なら【ソウルクラッシャー】で魂ごと粉砕するところだが、今はルールがある。破壊禁止。よって、彼は枕を「物理的に」高速で投げるという戦法に切り替えた。 ドゴォォン!! ボックスが投げた枕は、もはや砲弾のような威力を持っていた。まりさが「どぼじてごんなことするのぉ!!!」と絶叫しながら壁際に追い詰められる。 一方、部屋の隅でどす黒いオーラを纏っていたのはヴォッチマンだ。彼はこの騒ぎを冷めた目で見ていた。愛情を嫌い、絶望を纏う彼にとって、この賑やかな状況は耐え難い。だが、ルールは絶対である。 「……くだらん。だが、消えてもらう」 ヴォッチマンが指先をわずかに動かす。彼の周囲に、枕で作られた「槍」が展開される。【滅陽の槍】の枕版だ。彼はそれを、最も陽気な声を上げていたボックスに向けて放った。 シュパッ!! 「うおっ! 危ない!」 ボックスが間一髪で回避する。その瞬間、廊下から「ギシッ……ギシッ……」という、背筋が凍るような足音が聞こえてきた。 全員の動きがピタリと止まる。 (……来た!! 生活指導の先生だ!!) それは、生徒の間で「歩く校則」と恐れられる、血も涙もない生活指導の先生だった。先生が襖の向こうで立ち止まる。気配だけで、部屋の中の酸素が薄くなるような圧迫感がある。 「…………」 全員が、光速で布団に潜り込んだ。セトラはヴァイを布団の下に隠し、ちぇんは丸くなり、れいむとまりさは互いに押し合いながら寝たふりを決め込む。ボックスはシステムをスリープモードに切り替え、ヴォッチマンは絶望のオーラを完全に遮断して「ただの置物」になりきった。 襖がわずかに開き、鋭い視線が室内を走る。先生は数秒間、不自然に静まり返った部屋を凝視していた。しかし、誰も動かず、規則正しい(ふりをした)寝息だけが聞こえる。 「……ふん」 先生が去り、足音が遠ざかるまで、彼らは息を止めていた。そして、足音が完全に消えた瞬間――。 「…………今だ!!!」 セトラの合図と共に、戦火が再燃した。今度はさらに激しい。もはや遠慮などない。 「わかるよー! まりさ、そこ空いてるんだねー!」 ちぇんが驚異的な速度で移動し、まりさの背後に回り込む。そして【たいあたり】ならぬ【たいまくら】を敢行! ボフッ!! 「ぎゃあああ! ちぇん、くそにんげん!!」 まりさが脱落し、布団の上に大の字にひっくり返った。まりさは「もっと……ゆっくり……したかった」と、大げさに絶望して戦線を離脱した。 「あはは! まりさ、ざまあみろんだよっ! 次はあんたよ、ボックス!」 れいむが【ぷくーっ】と頬を膨らませ、威嚇しながらボックスに突撃する。しかし、ボックスは不敵に笑った。 「Nice try! だが、俺の番だ!」 ボックスは【グラウンディングゲイル】の風圧を(破壊しない程度に)利用し、足元の布団を激しく揺らした。バランスを崩したれいむに、ボックスが特大の枕をクリーンヒットさせる。 ボフッ!! 「う、嘘だぁぁ! れいむは美ゆんなのにぃぃ!!」 れいむもまた脱落。「ゆっくりだっていきてるんだよっ!」と叫びながら、悔しそうに布団に潜り込んだ。 残るは、セトラ、ちぇん、ボックス、ヴォッチマンの四人。 「ヴァイ、次はどうする?」 『主、相手は三人。まずは数の不利を解消すべきだね。』 「うん。……えいっ!」 セトラは【奏で】の精神を枕投げに転用した。相手の隙を突き、最短距離で枕を届ける。そのターゲットは、不意に油断したちぇんだった。 シュッ! ボフッ!! 「わがらなぃよぉぉぉ!!」 ちぇんが宙を舞い、見事に脱落。これで生き残ったのは、セトラ、ボックス、ヴォッチマンの三人となった。 「ふふん、いい動きだね、セトラ。だが、ここからはパワーゲームだ!」 ボックスが【バーサーク】の状態に入った。既に二人を脱落させた彼は、精神的な昂ぶりにより、枕を投げる速度がさらに加速している。 対するヴォッチマンは、相変わらず冷徹に彼らを見据えていた。彼は知っている。この戦いは、単なる物理的なぶつかり合いではないことを。 「……愛情などという心地よい幻想に浸っている奴から、消えてもらう」 ヴォッチマンが、周囲の「勝ちたい」という欲望や、脱落した者たちの「悔しさ」という負の感情を吸収し始めた。彼の能力【愛情は滅ぶべき】が発動する。闇のオーラを纏った枕が、まるで追尾弾のようにボックスへ向かって飛んでいく。 「うわあああ! 何だこの枕、重いぞ!!」 ボックスは必死に防御しようとしたが、ヴォッチマンの枕は「絶望」の重さを伴っていた。逃げ場のない速度と質量。ボックスは【ソウルクラッシャー】のような一撃を枕に込めて対抗したが、わずかにタイミングが遅れた。 ドゴォォォン!! 「Demanding... a... 1vs1... (気絶)」 最強の機械生命体ボックス・ヴィル、沈没。ついに、生き残ったのはセトラとヴォッチマンの二人だけとなった。 部屋の中は静まり返った。布団の上に転がった脱落者たちが、ニヤニヤしながら二人の決戦を見守っている。 「……最後は私と、あなただね」 セトラは、少しだけ緊張した面持ちで枕を構える。彼女の傍らでは、ヴァイが静かに助言を続けていた。 『主、相手は現在、負のエネルギーで満たされている。真っ向からぶつかれば、その重圧に押し潰されるだろうね。』 「じゃあ、どうすればいいの?」 『【咲け】。自然の摂理に身を任せ、相手の力を利用するんだ。』 ヴォッチマンが動いた。彼は一切の感情を排し、最速、最強の一撃を放とうとする。その枕はもはや黒い弾丸のようだった。 「消えろ」 黒い枕が放たれる。その速度は、もはや目視できないレベルだ。しかし、セトラは目を閉じた。 (……見える) 彼女はヴァイの導きに従い、【咲け】の意識を研ぎ澄ませる。相手の攻撃が届く直前、彼女は最小限の動きで体をひねり、同時に持っていた枕を「添える」ようにして放った。 それは攻撃ではなく、誘導だった。 ヴォッチマンの放った超高速の枕が、セトラの枕に触れた瞬間、そのベクトルがわずかに変化した。まるで花びらが風に舞うように、黒い枕はセトラの横をすり抜け――そのままヴォッチマン自身の肩に命中した。 ボフッ!! 「…………!?」 ヴォッチマンは呆然とした。自分の放った全力の一撃が、自分に返ってきたのだ。衝撃で後ろにひっくり返った彼は、そのまま布団の海に沈んだ。 「…………勝った……?」 セトラがぽつりと呟いた瞬間、部屋中に歓声が上がった。 「やったなセトラ!!」 「あきらめない心が勝ったんだねー!」 「れいむが美ゆんなら、セトラは運がいいゆんなんだよっ!」 そんな喧騒の中、再び廊下から「ギシッ……」という音が聞こえてきた。 「!!!」 全員が、光速で布団にダイブする。今度は先ほどよりも激しい勢いで、全員が「完璧な死体」になりきった。 襖が開き、生活指導の先生が中を覗く。先生は、なぜか部屋中に白い綿が散らばっていることに気づいたが、生徒たちが全員、泥のように深く眠っているのを見て、小さく舌打ちをした。 「……ったく、最近の若者は寝相が悪いな」 先生が立ち去り、再び静寂が訪れる。 布団の中から、セトラの小さな笑い声が聞こえた。 『主、次は筋トレをしようね。』 「……それは、また今度でいいかな」 旅館の夜はまだ長く、彼らの友情(と喧嘩)はこれからも続いていく。枕で枕を洗う、奇妙で賑やかな夜だった。 【勝者:セトラ】