古びた廃都。かつて文明が栄え、今はただ静寂と瓦礫だけが支配するその場所に、二つの異質な存在が対峙していた。 一方は、半裸に羽織をなびかせた男、湟中玖太。その肌には数多の戦いで刻まれた古傷が走り、眼差しには一切の揺らぎがない。彼は腰に下げた三稜ダガーの柄を静かに握りしめ、目の前に聳え立つ「山」を見上げていた。 もう一方は、巨躯の化け物。【喪蛭吸痛】。全高17メートルを超えるその巨体は、おぞましい光景であった。それは単なる鋼鉄の塊ではない。数百万、数千万という名の「蛭」が凝集し、擬似的な人型を形成した呪圧具である。黒ずんだ粘液に塗れたその身体は絶えず蠢き、周囲の空気を血の匂いと呪詛の気配で塗り潰していた。 「……でかいな。だが、デカければいいってもんじゃない。そういうもんだろ」 玖太は不敵に笑った。相手は軍事拠点で生産された血戦兵器。個人の力で太刀打ちできる相手ではない。しかし、彼の瞳に宿る勇敢さは、恐怖を完全に塗り潰していた。 【喪蛭吸痛】の内部に潜む核となる呪術師が、冷徹に攻撃の合図を下す。その瞬間、巨体の肩部に設置された三連装のヤマビル砲が、凄まじい駆動音と共に火を噴いた。 ――ドォォォォン!! 轟音と共に射出されたのは、弾丸ではない。高速で回転しながら飛来する、巨大な吸血蛭の群れである。空を切る風切り音が「ヒュオオオ」と不気味に鳴り響き、玖太へと殺到する。 玖太は避けない。避けては得られない速度であると判断し、あえてその身に衝撃を受けた。真っ黒な蛭の群れが彼の身体を叩きつけ、強烈な衝撃波が周囲の瓦礫を粉砕する。衝撃で後方に吹き飛ばされながらも、玖太は空中で身体を反転させ、地面に足をついた。衣服は裂け、肌には数箇所の切り傷が生じている。 「……いい初撃だ。だが、これで『記憶』させたぜ」 玖太は三稜ダガーを抜き、自らの腕を浅く切り裂いた。そして、自分に吸い付こうとしていた蛭――すなわち、相手の呪力を孕んだ血の塊を、その傷口に執拗に擦り付ける。これが彼の真髄、【血抗体術】の始動である。 【喪蛭吸痛】の核は、獲物がまだ生きていることに驚愕し、次なる攻撃を繰り出した。今度は四門のチスイビル砲が同時に火を噴く。空を埋め尽くすほどの蛭の雨が降り注ぎ、玖太の全身を包み込んだ。数千の蛭が肌に吸着し、猛烈な勢いで血液を吸い上げようとする。 しかし、ここで異変が起きた。 「がはっ……! だが、効かねえ!」 玖太の身体の中で、記憶細胞が爆発的に活性化した。B細胞とT細胞が、先ほど記憶した【喪蛭吸痛】の呪力特性を解析し、猛烈な速度で増殖を開始したのだ。するとどうだ。身体に張り付いた蛭たちが、突然「弾かれた」。 パチン! パチン! と、目に見えない不可視の膜が張ったかのように、蛭たちが次々と弾き飛ばされていく。免疫機能による拒絶反応。相手の呪力を「異物」として認識し、それを遮断する防御壁が構築されたのである。 「面白い。じゃあ次は、俺の番だ」 玖太は弾き飛ばされた蛭の一匹を捕らえ、再び三稜ダガーで自らの血と混ぜ合わせる。三度目の接触。ここからが【血抗体術】の真価である。 玖太の流血部分から、どろりと赤い光を放つ物質が生成された。それは肉体的な武器ではなく、呪力の結晶体。相手の呪力を完全に対抗・中和するために設計された「抗体型武器」である。玖太の右手に、血色の鋭い大剣が形成された。 「おおおおお!!」 玖太が地を蹴った。その速度はもはや常人の域を超えている。抗体型武器を掲げ、巨体へと肉薄する。【喪蛭吸痛】は焦ったように、全身の蛭を波のようにうねらせて防壁を作ろうとしたが、抗体型武器はその「壁」に触れた瞬間、激しい中和反応を起こさせた。 シュゥゥゥーッ!! まるで強酸が金属を溶かすように、【喪蛭吸痛】の身体を構成する蛭たちが次々と消滅し、霧となって消えていく。抗体型武器は、相手が持っている呪力そのものを「打ち消す」特性を持っているため、相手の防御手段がそのまま弱点に変わるのだ。 「どうだ! この感覚を味わえ!」 玖太の猛攻に、【喪蛭吸痛】は激しく揺さぶられた。巨体であるため、一度懐に入られれば回避は困難だ。玖太は抗体剣を縦に一閃。巨大な蛭の塊を真っ二つに裂くような一撃を叩き込む。衝撃は凄まじく、巨体の半分が崩落し、内部の核へと近づく道が開かれた。 だが、【喪蛭吸痛】もただでは終わらない。核となる呪術師は、残った全ての出力を最大に引き上げた。全身の蛭を一点に集中させ、超高圧の「血の突撃」を繰り出す。それはもはや個々の蛭ではなく、巨大な血の津波となって玖太を飲み込んだ。 ゴォォォォォン!! 凄まじい圧力に、玖太の身体が地面にめり込む。抗体型武器ですら、この圧倒的な物量と圧力の前では完全に砕け散った。全身の骨が軋み、意識が遠のく。しかし、彼の中にある「勇敢さ」という名の火は、まだ消えていなかった。 (……まだだ。まだ、終わらせない) 四度目の接触。もはや抗体型武器を生成する段階ではない。彼は自らの血を、周囲の瓦礫一面に撒き散らした。そして、意識の底から禁忌のスイッチを入れる。 「……サイトカイン、放出」 その言葉と共に、玖太の身体から黄金色のオーラが爆発的に噴出した。免疫機能の暴走。身体中の細胞が限界を超えて活性化し、理性を超えた「生存本能」だけの怪物へと変貌する。これが彼の最終手段、覚醒状態である。 同時に、彼が撒き散らした血の跡から、巨大な白い細胞のような化け物――マクロファージたちが次々と出現した。それらはもはや人間ではなく、純粋な「捕食者」である。 「ガアアアアアア!!」 玖太の咆哮と共に、マクロファージたちが【喪蛭吸痛】へと飛びかかった。彼らが触れる場所すべてを「貪食」し、相手の身体を構成する蛭を、文字通り「食べて」分解していく。もはや中和ではない。根こそぎ消し去る消去の力だ。 【喪蛭吸痛】の巨体は、内側から食い荒らされるようにして崩壊し始めた。核となる呪術師が、絶叫と共に脱出を試みる。しかし、暴走状態の玖太がそれを許さない。 黄金の閃光となって、玖太が空を切った。もはや武器など必要ない。その拳ひとつひとつが、相手の呪力を完全に無効化し、粉砕する抗体そのものとなっていた。 ――ドガァァァン!! 全力の右ストレートが、【喪蛭吸痛】の核――呪術師の胸元に突き刺さった。衝撃波は背後まで突き抜け、後方にあった廃都のビルがドミノのように崩壊するほどの威力であった。 静寂が戻った。 そこには、ボロボロになりながらも、満足そうに笑う半裸の男が立っていた。足元には、かつて17メートルを誇った血戦兵器の残骸が、ただのどろどろとした泥のような塊となって転がっている。 【勝敗の決め手】 勝敗を分けたのは、【喪蛭吸痛】の「物量による飽和攻撃」という特性を、逆手に取った【免疫が強すぎる術師】の「適応能力」であった。相手が攻撃を重ねれば重ねるほど、玖太の身体はその攻撃を完全に解析し、最適な迎撃手段(抗体)を構築してしまった。最終的に、物量をそのまま「餌」として処理するマクロファージの貪食能力によって、防御不可能な状況へと追い込まれたことが決定打となった。 玖太は静かに羽織を肩にかけ直し、戦場を後にした。その背中には、どんな強敵であっても決して屈しない、絶対的な自信と勇敢さが刻まれていた。