秋の気配が深まり、山々は燃えるような朱色に染まっていた。東洋地域の最深部、霧に包まれた険しい山道を、奇妙な一行が歩いていた。 「いやぁ、空気がいいですね。こういう静かな場所って、たまに必要ですよ」 宇陀川解は、穏やかな笑みを浮かべて伸びをした。その隣では、白髪を後ろで結んだ少年、ルークが無表情に、だが確実な足取りで歩いている。 「……景色、綺麗」 ルークがポツリと呟く。その華奢な外見に反し、腰に帯びた二本の赤いサバイバルナイフ「赤月」が鈍い光を放っていた。 一方、彼らの後方からは賑やかな声が響く。 「ちょーマジで道ないんだけど! 私のハイヒール、泥だらけなんだけど! パパぁー! 誰か私の代わりに荷物持ってよぉ!」 アテナが派手な衣装を翻し、大げさに嘆いている。その隣では、アイドル衣装に身を包んだアフロディーテが、ぴょんぴょんと跳ねながら自撮りをしていた。 「見て見て☆ この紅葉、私の衣装のピンクにめっちゃ合うよね♡ 映え〜! 最高の温泉旅行になっちゃう予感☆」 一行が辿り着いたのは、山奥にひっそりと佇む老舗旅館「栄愛之湯」。古色蒼然とした佇まいに、心地よい硫黄の香りが漂っている。玄関先では、腰の曲がったが眼光鋭い婆さんが彼らを待っていた。 「……おぉ、若いのが来たねぇ。予約してた客だね」 「チェックインお願いします。あ、ここは本当に静かなんでしょうか?」 解がにこやかに尋ねると、婆さんは「静かすぎて死人が出るくらいだよ」と不吉な冗談を飛ばし、彼らを案内した。 男女別々に分かれた大部屋。男部屋では、解が布団を敷きながらルークに話しかける。 「ルークくんは、普段何して過ごしてるの? 趣味とか」 「……ナイフの手入れ。あとは、静かなところで寝ること」 「はは、相変わらずクールだなぁ。まあ、たまにはこういうところで、何も考えずにダラダラするのもいいと思うよ」 一方の女部屋では、アテナとアフロディーテが激しく雑談(という名の自慢大会)を繰り広げていた。 「いい? 結局、美しさは権力なのよ。私のパパなんて世界最強だし、私はただ可愛くしてるだけで全部手に入るもんね」 「え〜っ! アテナちゃんズルいな〜♡ でもアイドルとしての愛の深さは私の方が上だよ☆ 全人類が私に恋しちゃうんだから♡」 そんな和やかな時間は、夕食後の至福のひとときまで続いた。 旅館の自慢である貸切露天風呂。男女別の空間が、高い竹垣によって緩やかに仕切られている。外には見事な紅葉が広がり、湯煙が夜風に舞う絶景だった。 「ふぅ……。生き返るなぁ」 解は目を閉じ、心身をリラックスさせていた。隣のルークも、珍しく頬を赤らめて湯船に浸かり、ぼーっと空を眺めている。 一方、壁の向こうではアテナが「あ〜、肌がつるつるになる感じ! 最高じゃなーい?」と騒ぎ、アフロディーテが「お肌のケアはアイドルの基本だよ♡」と競い合っていた。 その静寂を、突如として凄まじい衝撃音が切り裂いた。 ドガアァァァァン!! 「えっ!?」 解が目を見開いた瞬間、男風呂の壁を突き破り、山のような巨躯が乱入してきた。筋骨隆々の、恐ろしいほどの威圧感を放つゴブリンの変異種――剛壁である。 剛壁は敵意を剥き出しにし、「ギィィィヤァァァ!!」という地響きのような咆哮を上げた。その初撃、強烈な踏み込みの衝撃波で、男女の風呂を隔てていた竹垣が、文字通り粉々に粉砕された。 「きゃああああ!!?」 「ちょっと! 何いうことしてんのこの緑の化け物!!」 視界が開け、そこには全裸に近い状態で絶叫するアテナとアフロディーテの姿があった。そして、同時に彼らを見た男側も、想定外の事態に硬直する。 「……あ」 ルークが呆然と呟く。しかし、剛壁の攻撃は止まらない。彼はそのまま猛然と解へと殴りかかった。 「っ! ルークくん、戦闘態勢だ!」 解の雰囲気が一変した。普段のふざけた様子は消え、冷徹な戦士の眼光が宿る。彼は瞬時に背後に「タナトス」を顕現させた。八つの棺桶を連ねた鎖がジャラジャラと音を立て、獣の仮面を被った影が直刀を構える。 しかし、現場は地獄のような混沌(カオス)だった。 「ちょっと! 見てるだけじゃなくて助けてよ!!」 アテナが叫ぶが、足元が濡れたタイルで滑り、派手な音を立てて転倒。そのまま、ちょうど駆け寄ろうとしたルークの足に絡まり、二人まとめて盛大にスリップした。 「わわっ!?」 「きゃっ!?」 ルークがバランスを崩し、アテナの上に覆いかぶさる形で激突。お互いの肌が密着し、互いに顔を真っ赤にして絶叫するラッキースケベが発生した。 「ギィィ!!」 剛壁の拳が振り下ろされる。解はタナトスの直刀でそれを弾いたが、濡れた床で足を取られ、バランスを崩す。 「あぶない!」 解が叫んだ瞬間、剛壁の強烈な突き飛ばしにより、解は後方の湯船へダイブ。同時に、逃げ惑っていたアフロディーテが、解の背中の上にドスンと着地した。 「ふぎゃっ!?」 「ひゃんっ!?」 お湯の中でもつれ合う二人。アフロディーテのアイドル衣装(のような布)が水に濡れて張り付き、解の視界に不用意な曲線が飛び込んでくる。しかし、状況は最悪だ。剛壁が再び、二人をまとめて踏み潰そうと跳躍した。 「……もう、いい加減にしろ!!」 アフロディーテが叫ぶ。その瞬間、彼女の精神が「ヒス形態」へと切り替わった。銀髪がボサボサに逆立ち、瞳にひび割れたハートが浮かぶ。 「この状況、マジでありえないんだけど!! 誰がこんなところで全裸で戦えって言ったのよ!! 死ねぇぇぇ!!」 彼女は「愛憎のモーニング★スター!」の棘を出し、猛烈な勢いで剛壁に殴りかかった。 「よし、今だ! ルークくん!」 解が湯から這い上がり、タナトスに指示を飛ばす。ルークもアテナを突き飛ばし(あえて激しく)、瞬時にナイフを構えた。 「魔人・スピードストレート!!」 白銀の閃光と化したルークが、剛壁の硬質な皮膚に超高速の連撃を叩き込む。硬質化能力を持つ剛壁だが、ルークの斬撃は急所に的確に突き刺さる。 「トドメだ! 激裂光!!」 タナトスが空中へと舞い上がり、複数の光弾を放った後、巨大な光の塊となって剛壁に直撃させた。 ズガアアァァァン!! 凄まじい光と衝撃波が露天風呂を包み込み、剛壁はそのまま壁を突き抜けて屋外の森へと吹き飛ばされた。もはや起き上がる気配はない。 ……静寂が訪れた。 湯煙がゆっくりと晴れていく。そこには、お互いの肌を密着させ、絶妙に不適切な姿勢で重なり合っていた男女がいた。 「…………」 「…………」 誰からともなく、ゆっくりと体を離した。解は顔を真っ赤にし、ルークは視線を逸らし、アテナは怒りで震え、アフロディーテはヒス形態のまま呆然としていた。なんとも言えない、気まずすぎる空気。もはや誰が誰をどう見たのかさえ、記憶から抹消したいレベルの羞恥心が辺りを支配していた。 「……とりあえず、直そうか。竹垣」 解が絞り出した声に、全員が小さく頷いた。 その後、彼らは共同作業で、折れた竹垣をなんとか応急処置で修復した。そして、宿の婆さんの元へ行き、深々と頭を下げて謝罪した。 「すまなかったな、婆さん。……不慮の事故で」 「……あんな化け物が出るとは思わなかったし」 婆さんは呆れた顔で、「あんたたち、いい加減にしろ。明日の朝には出て行けよ」と吐き捨てたが、その目はどこか可笑しそうだった。 それぞれの部屋に戻った後、全員が布団の中で天井を眺めていた。 解は、自分の不甲斐なさと、不意に視界に入ったアフロディーテの肢体の記憶に、激しく葛藤していた。 ルークは、アテナの柔らかい感触を思い出し、無表情のまま顔だけが茹だるように赤い。 アテナは、「私の美貌に泥を塗ったあのゴブリンをいつか呪ってやる」とパパに泣きつく準備をしていた。 アフロディーテは、アイドルとしての品格を完全に失った自分に絶望し、布団に潜り込んでいた。 翌朝。 チェックアウトを済ませた一行は、澄み渡った秋空の下、旅館を後にした。 「……まあ、いい思い出だったんじゃないですか?」 解が苦笑いしながら切り出すが、誰もそれに同意しようとはしなかった。 「二度と来るもんか!」 アテナが叫び、ルークは静かに視線を伏せ、アフロディーテは「もう、誰にもこのことは言わないでね♡」と、いつものアイドル口調に戻りながら、心の中で激しい自己嫌悪に悶えていた。 それぞれの思いを胸に、彼らは別々の方向へと、静かに帰路に着いた。山道を下る彼らの背中には、どこか心地よい疲労感と、消えない恥じらいが漂っていた。