空はどす黒い鉛色に染まり、地平線まで続く荒野には、死の静寂と鉄の錆びた臭いだけが漂っていた。そこは生者の領域ではなく、業を背負いすぎた者たちが集う終焉の地である。 対峙するのは、赤黒い裃を纏い、額から禍々しい角を生やした鬼の剣客・グリム。そして、鎖で編まれた袈裟を身に纏い、季節外れの笠を深く被った巨漢、鐡蔵。一方は血に飢えた妖刀の使い手であり、一方は悟りを捨て、肉を喰らい、鉄を操る堕ちた僧侶であった。 「……血が足らぬ。貴様の肉には、どれほどの血が流れているか」 グリムが低く掠れた声で呟く。その手には、不吉なほどに赤い刀身を持つ妖刀『モーテン』が握られていた。刀身からは絶えず、ドロリとした血のような妖気が立ち上り、地面に触れるたびに土を腐食させていく。 対する鐡蔵は、笠の陰から冷徹な眼光を向け、低く唸るような声で応えた。 「悟りなど、どこにもありはせぬ。あるのはただ、空腹と、この冷たい鉄の感触のみ。貴様の血も、我が鉄の糧となれ」 戦いの火蓋は、鐡蔵の静かな宣言と共に切られた。 鐡蔵が軽く指を弾いた瞬間、彼の袈裟を構成していた無数の鎖が、生き物のようにガチガチと音を立てて解き放たれた。先端に鋭利な楔を備えた鎖たちが、空中で複雑な軌跡を描きながら、音速を超えた速度でグリムへ向けて射出される。それはまるで、飢えた蛇が獲物を追い詰めるかのような、執拗で残酷な攻撃であった。 「ふん」 グリムは動じない。彼の内に蓄積された妖力が、瞬時に臨界点に達する。彼は腰のモーテンを抜き放ち、鋭い横一文字に斬りつけた。 「妖斬!」 刀身から放たれたのは、単なる斬撃ではない。凝縮された妖力が血の奔流となって具現化し、巨大な三日月状の赤い刃となって空間を切り裂いた。血の斬撃は襲い来る鎖の群れを真っ向から叩き斬り、火花を散らして四散させる。しかし、鐡蔵の鎖は斬られたそばから再び結合し、さらに数を増やしてグリムの死角から襲いかかった。 グリムの『危機察知』が警報を鳴らす。背後から突き出された楔が、彼の裃の裾をわずかに掠めた。しかし、グリムの反応は速い。彼は即座に妖力を消費し、自身の周囲に数本の浮遊する刀を召喚した。 「演刀」 虚空に現れた数本の刀が、自動的にグリムを囲む円陣を組み、後方からの鎖の猛攻を完璧に弾き返す。キン、キンと金属音が鳴り響き、火花が夜の闇を照らす。防御を固めたグリムは、隙を突いて地を蹴った。その踏み込みは凄まじく、大地が陥没するほどの衝撃が走る。 「血が足らぬと言ったはずだ!」 グリムの身体能力を底上げする『怪力』が爆発する。モーテンが描く弧は、空気を切り裂き、真空の刃となって鐡蔵の首筋を狙う。だが、鐡蔵は避けない。彼はあえてその攻撃を正面から受け止めた。 ガギィィィィン! 凄まじい衝撃音が鳴り響き、衝撃波が周囲の岩石を粉砕した。鐡蔵の肌は、もはや人間のものではない。肉を喰らい、鉄の力を得た彼の皮膚は、鋼鉄と同等の硬度を誇っていた。モーテンの刃が食い込んだのは数ミリ。鐡蔵は不敵に笑い、至近距離からグリムの胸倉を掴もうと太い腕を伸ばした。 「硬いな、貴様……だが、この刀は死を運ぶ」 グリムは後方に跳躍し、距離を取る。同時に、体内の妖力を猛烈に回転させ始めた。1秒ごとに蓄積される妖力が、彼の血脈を駆け巡り、全身を赤いオーラが包み込む。彼は悟っていた。相手の防御力は常軌を逸している。ならば、それを上回る破壊力をぶつけるしかないと。 一方の鐡蔵も、本領を発揮させる。彼が地を叩くと、地面が激しく揺れ、地中から巨大な鋼鉄の塊が突き出した。それは、血の涙を流す絶望的な表情を浮かべた、巨大な大仏の姿であった。 「出よ、血鉄仏」 高さ十メートルを超える鋼鉄の大仏が、無慈悲な威圧感を持って君臨する。大仏が巨大な掌を振り下ろすと、山一つを押し潰さんばかりの質量攻撃がグリムを襲った。グリムは演刀で防御を試みたが、あまりに圧倒的な質量に、召喚した刀が次々と砕け散る。 「ガッ……!」 衝撃波に弾き飛ばされ、グリムは地面を転がった。裃が破れ、肩から血が流れる。しかし、彼は口角を上げた。流れた血が、彼の闘争心に火をつけた。彼は即座に妖力を消費し、傷口を強引に塞ぐ。自己再生。それが妖力使いの強みであった。 「面白い。この絶望感……たまらぬな」 グリムの瞳が紅く光る。彼はこれまでに蓄積した全妖力を、一つの技に集約させ始めた。周囲の空気が熱を帯び、大気が歪む。赤黒い炎がモーテンの刀身に絡みつき、渦を巻く。それはもはや剣ではなく、一筋の太陽を握っているかのような光景であった。 「烈華!!」 咆哮と共に、グリムが突撃した。炎の斬撃を纏ったその姿は、赤い流星となって血鉄仏へと突き進む。大仏がそれを防ごうと巨大な腕を交差させたが、烈華の破壊力はそれを遥かに上回っていた。 ドォォォォォォン!! 爆音と共に、鋼鉄の大仏の腕が真っ二つに斬り裂かれた。溶岩のような熱線が鉄を溶かし、火花が天高く舞い上がる。グリムの猛攻は止まらない。彼はそのまま鐡蔵へと肉薄し、連続的な斬撃を叩き込んだ。 しかし、鐡蔵もまた、死の淵で得た「肉」の再生力を有していた。斬られた肩や腕が、ぐちゃりと音を立てて瞬時に繋ぎ合わされる。彼はグリムの攻撃を耐え抜き、至近距離から鎖を鞭のようにしならせて、グリムの脚に絡め取った。 「逃がさぬぞ、鬼よ」 鎖が締め付けられ、グリムの骨が軋む音が聞こえる。鐡蔵はそのまま彼を地面に叩きつけ、逃げ場を奪った。絶体絶命の状況。だが、グリムの表情には余裕があった。彼は、この戦いのために、膨大な時間をかけて妖力を蓄積していたのだ。 「……ここからだ。貴様を、本当の『死』へ導いてやろう」 グリムが静かに唱える。その瞬間、周囲のすべての色が消え、世界がモノクロームに染まった。彼の全存在を賭けた禁忌の技が発動する。 「死の宣告」 莫大な妖力が消費され、グリムの身体から黒い霧が噴出した。この技が発動している間、グリムは理論上の「不死」となる。いかなる致命傷を負おうとも、相手を討ち取るまではその魂が肉体に繋ぎ止められる。もはや防御も回避も不要。彼はただ、勝利のみを追求する死神へと変貌した。 鐡蔵は本能的に危惧し、全力で鎖を操り、グリムを遠ざけようとした。しかし、不死の力を得たグリムは、鎖が胸を貫こうとも、腕を切り裂こうとも、一切の躊躇なく前進し続けた。肉体が破壊されるたびに、赤い光と共に再生し、さらに速度を増して迫る。 「な……!? 止まらぬだと!?」 驚愕に染まる鐡蔵。グリムは彼の懐に潜り込み、モーテンを最大まで振りかぶった。死の宣告による不死状態と、怪力による絶大な腕力、そして蓄積された怒りが一本の刃に集約される。 「血が……足りぬと言ったはずだ!!」 閃光が走った。 モーテンの赤い刃が、鐡蔵の頑強な鋼の肉体を、鎖の袈裟を、そしてその芯にある絶望の心を、一刀両断にした。断面からは血ではなく、どす黒い鉄の破片が飛び散る。鐡蔵の身体が、ゆっくりと、しかし確実に二つに分かたれていった。 鐡蔵は、空を見上げた。そこにはもう、鉛色の雲はなく、どこか遠い場所にあるはずの、彼がかつて捨てた「悟り」のような白い光が見えた気がした。 「……ふん。やはり、悟りなど……な……」 鐡蔵の身体が崩れ落ち、静寂が戻った。 グリムは刀をゆっくりと鞘に納めた。彼の身体からは不死の光が消え、激しい疲労が襲う。しかし、その表情には満足げな笑みが浮かんでいた。 「いい血だった。……だが、まだ足りぬな」 彼は一人、静まり返った荒野を歩き出す。背後には、鉄の巨像の残骸と、かつて僧侶であった男の骸だけが残されていた。戦いは終わった。勝者は、死を司る赤い刀の主、グリムであった。