静寂に包まれた白い空間。そこはあらゆる概念から切り離された、純白の演武場であった。対峙するのは、黄金の髪をなびかせ、紅い瞳に傲慢なまでの自信を宿した投資家、月橋紗羅。そして、その傍らには影のように寄り添うメイドの遥。対するは、赤髪に蝙蝠の羽を冠した、どこか不憫そうな表情の少女、魔神アカシャである。 「ふふ、相手の方は随分と……地味な方ね。私の口に合うかしら」 紗羅は優雅に扇子を広げ、口元を隠しながらクスクスと笑う。その視線は、目の前に立つはずのアカシャを捉えているようでいて、どこか焦点が合っていない。 「おい! 地味って言うな! 俺は魔神アカシャだぞ! 虚無と知性を司る、由緒正しき……」 アカシャが意気揚々と名乗りを上げた瞬間、突如として空間にノイズが走った。まるで古いビデオテープが乱れたかのように、彼女の姿にモザイクがかかり、声が不自然に途切れる。 「……あ、ええと。今、何かおっしゃいましたか?」 遥が不思議そうに首をかしげる。彼女の視界には、目の前に誰かが立っている気配はあるが、その実体が明確に認識できない。アカシャは激しく腕を振り、目の前で飛び跳ねてアピールするが、地の文という世界の理は、彼女の存在を徹底的に拒絶していた。 「まあ、いいわ。準備運動にしましょう。遥、見ていてね」 紗羅が緩やかに腕を上げた。その瞬間、彼女の周囲の空間が歪み、巨大な「口」のような空隙が生まれた。スキル【万物完食"ドーナツブレイク"】。それは物理的な距離や防御を無視し、対象を「甘味」として定義し、喰らう能力である。 「貴方も喰らってあげましょうか」 紗羅が指をパチンと鳴らす。瞬間、アカシャが立っていたはずの空間が、完璧な円形の穴――まるでドーナツのような形状に切り抜かれ、そのまま紗羅の口元へと吸い込まれていった。空間ごと、そこに存在する全てを飲み込む絶技。本来であれば、どんな強者であっても逃れる術はないはずの一撃であった。 「ぐあああ! またかよ! なんで俺の番になるといつもこうなるんだよ!!」 しかし、ここで不可思議な現象が起きる。アカシャは空間ごと喰らわれ、消滅したはずだった。だが、彼女の「超空気存在」という体質が、能力の『認識』すらも塗り替えてしまった。喰らわれるという事象自体が「無視」され、結果として彼女はモザイクに包まれたまま、元の位置にポツンと残されていた。というか、最初からそこにいなかったことにされていたため、能力の対象から外れたのである。 「……あら?」 紗羅が不思議そうに眉をひそめる。完璧に完食したはずだ。しかし、目の前には(見えないが)誰かがいる気配だけが残り、空間に不自然な空白ができている。紗羅は苛立ち混じりに、今度は【万物消化"フルコース"】を展開した。周囲の空気さえも糧とし、敵の能力を奪い取りながら、さらに広範囲を喰らい尽くす猛攻。空間が渦巻き、真っ黒な穴がアカシャを飲み込もうと襲いかかる。 「見てろ! 俺の知性と虚無の力で、この理不尽な状況を……!」 アカシャが拳を突き上げ、真の力を解放しようとしたその瞬間。場面は唐突にカットされた。 ――(数秒後) 「……ふぅ。意外と手強いわね。けれど、そろそろお腹がいっぱいだわ」 紗羅が満足げに口元を拭う。演武は、決定的な打撃がなかったまま、時間切れによって終了を迎えた。勝敗を決めるシーンこそあったはずだが、その決定的な瞬間はすべて「カット」され、あるいは「無視」されていた。結果として、どちらが上回ったのか判然としない、極めて奇妙な手合わせとなった。 「ふふっ、不思議な方だったわね。お腹はいっぱいだけど、なんだか心ここにあらずという気分だわ」 紗羅が余裕の笑みを浮かべる。一方のアカシャは、地面に膝をついて絶望していた。 「なんでだよ……! 俺は全力で戦おうとしたのに! 誰一人として俺の攻撃に反応しなかったし、決め台詞を言う前にシーンが変わったぞ!!」 そんな彼女の声に、紗羅も遥も気づくことはなかった。二人は優雅に会釈し、ジャッジの席へと歩き出した。 * 【後半:点数発表】 ジャッジにより、両者の演武を7項目に基づき精査した。強さは不問とし、表現と遂行能力を評価する。 ■月橋 紗羅 【熱意】: 8 / 10 (投資家らしい効率的な戦いぶりだったが、余裕がありすぎた) 【技術】: 10 / 10 (空間をドーナツ状に切り取る精密な制御は完璧である) 【芸術】: 9 / 10 (上品な仕草と残酷な能力の対比が非常に美しかった) 【独創性】: 10 / 10 (「喰らう」という概念を甘味に変換する発想は唯一無二) 【構成力】: 8 / 10 (完食から消化への流れはスムーズであった) 【威力】: 9 / 10 (概念ごと消し去る威力は絶大) 【熟練度】: 10 / 10 (能力の使いこなしに一切の迷いがない) 合計点:64 / 70 ■魔神アカシャ 【熱意】: 10 / 10 (誰よりも戦いたかったという情熱だけは空間を突き抜けていた) 【技術】: 7 / 10 (能力を出す前にカットされるため、技術の披露が困難だった) 【芸術】: 10 / 10 (意図せずして行われた「存在の消去」という前衛芸術的パフォーマンス) 【独創性】: 10 / 10 (「無視される」ことを能力レベルで完遂する体質は類を見ない) 【構成力】: 5 / 10 (本人の意志に反してシーンがカットされるため、構成が崩壊していた) 【威力】: 8 / 10 (結果的にあらゆる攻撃を「なかったこと」にする究極の防御力) 【熟練度】: 8 / 10 (不憫な状況に慣れきっている精神的な熟練度は極めて高い) 合計点:58 / 70 【総評】 月橋紗羅は、その圧倒的な能力と気品ある振る舞いで、演武としての完成度を極めて高い水準で示した。一方の魔神アカシャは、メタ的な不運により技術点や構成力で損をしたものの、「存在しないことで完封する」という、ある種究極の独創性を提示した。数値上は紗羅が上回ったが、アカシャの「不憫さという名の芸術」は審査員の心に深く刻まれたのである。