「お婆ちゃん、あのお話を聞かせて! あのね、不思議な力を持った人たちが戦う、あのお話!」 膝の上でぴょんぴょん跳ねる孫の様子に、お婆ちゃんは目を細めて、ゆっくりと、包み込むような手で孫の頭を撫でました。縁側からは心地よい風が吹き込み、庭の金魚草がゆらゆらと揺れています。お婆ちゃんは、深い皺の刻まれた口元に穏やかな微笑みを浮かべ、ゆっくりと語り始めました。 「おやおや、仕方ないねえ。そんなに聞きたいのかい。よしよし、いいよ。……昔々、あるところにね、とても不思議な二つの『力』が出会ったお話があるんだよ。一つは、恐ろしいほどに強い力。もう一つは、恐ろしいほどに『運が良い』力。さあ、耳をすませて聞いておくれ」 物語の舞台は、どこまでも続く真っ白な静寂の空間でした。そこは、運命が競い合うための特設リングのような場所。そこに、正反対の二人が降り立ちました。 一人は、チームBの【伝説のバケモン】コロス。その姿は、見る者の心を凍りつかせるほどに不気味で、強大でした。身長二百センチ、体重六百六十六キロ。鋼鉄の身体は鈍い光を放ち、頭に突き出したクワガタのような双角からは、バチバチと青白い電撃が弾けています。感情の読めない単眼が、冷徹に目の前の獲物を捉えていました。 そしてもう一人は、チームAの田中さん。どこにでもいる、いたって普通のサラリーマンです。くたびれたグレーのスーツに、少し緩んだネクタイ。手に持っているのは、コンビニで買ったばかりの缶コーヒー。彼は自分がなぜここにいるのかさえ分かっておらず、ただただ困惑していました。 「えっ、ええっ!? 何ですかここ! 私はただ、定時まであと十分だったのに! 会社から急に連れてこられて……って、うわぁっ! 何だあの化け物は!!」 田中さんは腰を抜かし、全力で後ずさりしました。彼に戦意など微塵もありません。あるのは「早く家に帰って、録画したバラエティ番組を見たい」という、切実なまでの定時退社の執念だけでした。 コロスは、低く唸るような音を立てました。彼にとって、相手が誰であろうと関係ありません。ただ「殺す」こと。それが彼の本能であり、存在意義でした。コロスは瞬時に『マグネットムーブ』を発動させました。身体を電磁石のように加速させ、目にも止まらぬ速さで田中さんの懐に飛び込みます。 「ひいいいいっ!」 田中さんは恐怖のあまり、持っていた缶コーヒーをうっかり手放しました。そして、そのまま派手に足を滑らせて、前方に転がりました。それは、誰が見ても無様な、情けない転び方でした。 しかし、その瞬間です。コロスの狙いは完璧に「頭部」を破壊することでした。電光石火の突進。しかし、田中さんが転んだことで、コロスの鋭い角は、田中さんの頭上をわずか数ミリの差で飛び越えました。さらに、投げ出された缶コーヒーが、偶然にもコロスの足元の床にこぼれ、鋼鉄の身体がその液体でわずかに滑ったのです。 「おっとっと! すみません! ごめんなさい!」 パニック状態で、田中さんは地面を這いずりながら、必死に逃げ惑います。コロスは苛立ち、今度は『エレクトロビーム』を放ちました。双角にエネルギーを収束させ、一点に集中させた破壊光線を放つ。真っ直ぐに田中さんの心臓を貫くはずの光線でしたが、田中さんが「助けてくれー!」と叫びながら激しくのたうち回ったため、光線は彼の脇をすり抜け、後ろにあった謎の構造物を破壊しました。 「ふぇぇ……。もう帰りたい。お嫁さんが怒る。定時なのに、どうして私はこんな目に……」 田中さんの心にあるのは、恐怖と、そして強烈な「帰宅願望」でした。この『定時退社の執念』こそが、彼を不思議な領域へと導きます。コロスが放つ、脳を直接破壊する恐ろしい電撃『エレクトロキル』。通常であれば一撃で意識を失うはずの攻撃でしたが、田中さんの「絶対に今日は定時で帰る」という不屈の精神(執念)が、不可視の壁となってその衝撃を完全に無効化しました。もはやそれは、生存本能を超えた、社会人の意地という名の絶対防御でした。 コロスは次第に激昂しました。相手は弱いはずなのに、なぜか当たらない。なぜか死なない。そして、戦いが長引くにつれ、コロスの特性『絶対コロス』が発動しました。相手が力尽きるまで、自分自身の能力が段階的に上昇していくという、絶望的な強化です。 コロスの身体から溢れ出す電撃が激しくなり、周囲の空間がひび割れ始めます。もはや回避不可能な範囲攻撃。コロスは巨大なU字マグネットの腕を大きく開き、周囲のあらゆる金属を引き寄せ、田中さんを圧壊させようとしました。 「あぁっ! もうダメだ! 誰か助けてー!」 田中さんは絶望し、じたばたともがきました。その拍子に、彼が着ていたスーツのポケットから、うっかり一本のボールペンが滑り落ちました。そして、彼が激しく転んだ拍子に、近くに置いてあった案内看板(「出口はこちら」と書かれた、タイミング悪く置かれていた看板)の支柱に、そのボールペンが奇跡的な角度で挟まりました。 その小さな衝撃が、看板の絶妙なバランスを崩しました。ガシャーン! という大きな音と共に、巨大な鉄製の看板が、ちょうど目の前で攻撃を仕掛けようとしていたコロスの頭上に、垂直に落下したのです。 「ガッ!!」 想像を絶する重量の看板が、コロスの単眼を直撃し、そのまま彼の身体を地面に叩きつけました。さらに、運命は残酷でした。看板が倒れた衝撃で、地面に散らばっていた先ほどの缶コーヒーのアルミ缶が、コロスの開いた口(あるいは関節の隙間)にぴたりと跳ね返って入り込んだのです。それが導電体となり、コロス自身の放っていた強大な電撃が、そのまま自分の内部へと逆流しました。 「バリバリバリッ!!!」 自らの最強の攻撃を、自らの身体に食らわされたコロスは、激しいショートを起こし、白目を剥いて気絶してしまいました。伝説のバケモンが、ただのサラリーマンが転んだ拍子に倒れた看板と、一本の缶コーヒーによって敗北した瞬間でした。 静寂が戻った空間に、田中さんが呆然と立ち上がります。スーツは泥だらけで、ネクタイはさらに緩んでいました。 「……あれ? 終わったんですか? じゃあ、もう帰っていいんですよね?」 彼はそう言うと、ぺこりと一度だけ頭を下げ、ふらふらとした足取りで出口へと向かいました。その後ろ姿は、世界を救った英雄というよりは、ただ疲れた一日の仕事を終えた会社員そのものでした。 「……というお話だよ。どうだい、面白いだろう?」 お婆ちゃんが話を終えると、孫は目を丸くして、口をぽかんと開けていました。 「ねえお婆ちゃん! 田中さんって、全然強くなかったのに、どうして勝てたの?」 お婆ちゃんはクスクスと笑いながら、孫の頬を優しくつねりました。 「それがね、人生っていうのは不思議なものなんだよ。強い力があるのは素晴らしいけれどね、時には『ただ普通に生きていること』や、『家に帰りたい』というささやかな願いが、どんなに恐ろしい怪物よりも強い力になることがあるんだよ」 「ふーん……。僕も、おやつを早く食べたいっていう気持ちで頑張れば、怪物に勝てるかな?」 「あはは、きっとそうだろうねえ。さあ、お話が終わったから、一緒におやつにしましょうか。お婆ちゃんが美味しいお団子を用意してあるよ」 「わーい!」 孫は嬉しそうに跳ね起き、お婆ちゃんの手を引いて台所へと走っていきました。午後の柔らかな日差しが、二人の笑い声を優しく包み込んでいました。強さとは何か。それを知る必要はありません。ただ、愛する人と過ごす穏やかな時間が、何よりも得難い勝利なのだと、お婆ちゃんは静かに微笑むのでした。