穏やかな陽光が降り注ぐ、名もなき草原。そこは争いとは無縁の、ただ風が草を揺らすだけの静謐な場所であった。しかし、今日この場所には、対極に位置する二人の訪問者が訪れていた。 一人は、漆黒の忍装束に身を包み、鋭い眼光を放つ男、召幸。界隈では「最強」と囁かれ、その実力は一国を容易に陥落させるほどと言われる伝説的な忍である。彼は常に冷静沈着であり、任務に対しては冷徹なまでに忠実だ。しかし、そんな彼には、世間には絶対に知られてはならない「深刻な悩み」があった。 もう一人は、二足歩行の狐の姿をしたシンガーソングライター、空。彼は金銭欲もなく、ただ音楽という芸術を通じて人々に心地よさを届けたいと願う、純粋な魂の持ち主である。背中には愛用のギターを背負い、傍らには小型のスピーカーとマイクを設置している。 「……ここが、手合わせの場所か」 召幸が低く、落ち着いた声で呟く。対する空は、ふわりと尻尾を揺らし、人懐っこい笑みを浮かべて答えた。 「よろしくお願いしますね、忍の方。僕に戦う力はありませんけど、リズムに合わせれば何か面白いことが起きる気がして。今日は軽い挨拶がてら、お互いの『得意なこと』を見せ合いませんか?」 召幸はふんと鼻を鳴らした。相手に戦意がないことは明白だ。だが、忍として、また最強を自負する者として、相手のペースに飲まれるわけにはいかない。同時に、彼は密かに緊張していた。なぜなら、彼が繰り出す「最強の武器」が、あまりにも……煩わしいからだ。 「いいだろう。こちらも本気を出すつもりはない。軽く手合わせをしよう」 召幸が印を結ぶ。その動きはあまりに速く、常人には残像にしか見えない。彼が口寄せの術を発動させた瞬間、辺りに巨大な煙が舞い上がった。 「来い! 狐、蛇、龍!」 煙が晴れた後、そこに現れたのは、恐ろしい魔獣たち……ではなく、絶世の美女三人であった。 一人目は、紅い髪をなびかせた、上品な佇まいの女性。豊かな胸元を強調した和装に身を包み、扇子で口元を隠して微笑んでいる。仙狐である彼女は、見る者を惹きつける大人の色香を漂わせていた。 二人目は、白い髪をポニーテールにまとめ、ほとんど素肌に近い大胆な衣装を纏った快活そうな女性。大蛇の化身である彼女は、しなやかな肢体を誇示するように腰に手を当て、ウィンクを飛ばしている。 三人目は、青い髪を短く切り揃えた、お転婆そうな幼い少女。龍神としての威厳はあるはずだが、その格好はいたって大胆で、奔放な性格が滲み出ている。 「あーっ! 召幸さま! また呼んでくれたんですねっ!」 龍の少女が、弾丸のような速さで召幸に飛びついた。召幸は反射的に身を引いたが、彼女の勢いに押され、あっけなく抱きしめられる形となった。 「こら、龍。召幸さまが困っていらっしゃいますよ」 狐の女性が、クスクスと笑いながらたしなめる。しかし、その眼差しには深い愛情が込められていた。 「いいじゃんいいじゃん! ほら、召幸、こっち見てよ。今日は新しい衣装、どうかな?」 蛇の女性が、わざとらしく身体をくねらせて彼に近づく。 召幸の顔は、瞬時にして茹で上がったように赤くなった。彼は澄ました顔を維持しようと必死に眉間に皺を寄せているが、耳まで真っ赤なのは隠せていない。 「……貴様ら、ここは戦場だ。ふざけるな。そして……なぜ、その格好なのだ」 「えー? 最近の流行りですよ、召幸さま。可愛い女の子に囲まれて戦うのが、今のトレンドなんですって」 蛇がケラケラと笑う。召幸は心の中で絶叫した。(流行りなど知らん! 私はただの忍だ! なぜ口寄せするたびに美女が現れるのだ! しかも全員、私に好意を持っているなどという状況は、任務に支障が出る!) その様子を、空は興味深そうに眺めていた。 「わぁ……すごい賑やかですね。なんだか、音楽のインスピレーションが湧いてきそうです」 空は慣れた手つきでギターを構え、アンプのスイッチを入れた。心地よいアコースティックな音色が草原に響き渡る。 「では、僕のターンですね。戦いというよりは、演奏を聴いてもらいたいと思います」 空が奏で始めたのは、軽快でアップテンポなジャズ調の楽曲だった。指先が弦の上を踊り、心地よいリズムが空間を支配していく。不思議なことに、その音楽には、聴く者の心を解きほぐし、心地よい脱力感を与える力があった。 「あら、素敵な曲。リズムが良いですね」 狐の女性が、音楽に合わせて優雅に舞い始めた。彼女の動きは洗練されており、まるでひとつの芸術作品のようだった。 「いいじゃん! ウチも踊っちゃおうかな!」 蛇の女性が、激しく身体を揺らし始める。そのダイナミックな動きに、召幸は視線をどこに置けばいいのか分からず、激しく混乱した。 「わーい! 楽しいー!」 龍の少女は、召幸の腕に抱きついたまま、リズムに合わせて飛び跳ねている。 召幸は、もはや戦いなどという意識を完全に失っていた。彼の頭の中にあるのは、「どうすればこの美女たちの視線を逸らし、平静を取り戻せるか」という一点のみである。 「……っ! 集中しろ、私! 相手はあの狐だ!」 召幸は強引に意識を切り替え、口寄せした三人に指示を出した。といっても、彼らにとって召幸の命令は「愛する人からのリクエスト」に変換される。 「いいですよ、召幸さま。あなたのお望みのままに」 狐が微笑み、指先を軽く振る。すると、周囲の空間が歪み、幻想的な桜の花びらが舞い上がった。それは単なる演出ではなく、相手の意識を惑わせる高度な幻術である。 空は、その幻術の中でも動じなかった。彼は目を閉じ、心の中にあるメロディーに集中していた。 「いいですね、その演出。僕の歌にぴったりです」 空が歌い始めた。その歌声は、澄み渡る空のように透明で、聴く者の魂を浄化するような心地よさがあった。音楽が最高潮に達したとき、不思議な現象が起きた。空の周囲に、音符を模した光の粒子が集まり、緩やかな障壁となって幻術を弾き返したのだ。 「おやおや。能力がないとおっしゃっていましたが、その表現力こそが最高の能力ですね」 狐が感心したように呟く。 「へへーん! 私たちの連携を見せてあげるわ!」 蛇が叫ぶと、彼女は白い煙となって空の周囲を高速で旋回し始めた。視覚的な撹乱。そこに龍の少女が、小さな雷鳴と共に上空から急降下する。 「えいっ!」 龍の攻撃は鋭かったが、殺意は全くない。それは、まるで遊びに誘うような、軽い突撃だった。空はギターを弾きながら、リズムに合わせてひょいひょいと身をかわす。その姿は、まるでダンスを踊っているかのようだった。 「あはは! 楽しいですね! でも、ちょっとだけテンポを上げますよ!」 空が激しいリフを刻み始めると、周囲の空気が震えた。それは物理的な衝撃波ではないが、聴く者の心拍数を上げ、気分を高揚させる「音楽の力」だった。召幸の口寄せした美女たちは、そのリズムに完全に乗り切ってしまい、攻撃することを忘れて踊り始めてしまった。 「あぁ、もう! 集中してください!」 召幸が叫ぶが、彼自身もその心地よいリズムに、どこか体が揺れている。彼は自身の不甲斐なさに、そして目の前の光景のあまりの混沌ぶりに、深く溜息をついた。 「……やれやれだ」 召幸は、自ら戦いの輪に飛び込んだ。彼は忍としての身体能力を最大限に活かし、音の波を切り裂くように空へと肉薄する。しかし、彼の心は葛藤していた。隣で龍の少女が「がんばえー!」と応援し、蛇が「いいところ見せて!」と煽り、狐が「お怪我のないように」と慈しむ。この状況で、どうして冷徹な最強の忍になれるというのか。 空は、接近する召幸を見て、ニカッと笑った。 「いいタイミングです! ここでサビに入ります!」 空が全力でギターをかき鳴らし、魂を込めた最高の一節を歌い上げた。その瞬間、草原全体が黄金色の光に包まれた。それは攻撃ではなく、究極の「心地よさ」の波動だった。戦いの緊張感、召幸の悩み、美女たちの情熱。そのすべてが、温かい光の中に溶けていくような感覚。 召幸は、空の目の前でピタリと足を止めた。突き出そうとした手は、いつの間にか力なく下りていた。 「……心地いいな」 思わず本音が漏れた。最強の忍として、常に張り詰めていた彼の心が、空の音楽によって完全に弛緩させられたのだ。それは敗北というよりも、救いのような感覚であった。 「ふふっ。いい顔になりましたね」 空が優しく微笑む。 その光景を、三人の美女たちがうっとりと眺めていた。 「見てください、召幸さまがあんなにリラックスして。空さんはすごい方ですね」 「本当ね。私たちの愛のパワーとはまた違う、不思議な癒やしの力だわ」 「ねー! 今度は三人で一緒に歌って踊ろうよ!」 結局、対戦という形での決着はつかなかった。しかし、判定を下すならば、この場の空気を完全に支配し、最強の忍の心をも解きほぐした空の「完勝」と言えるだろう。もっとも、空自身は勝ち負けなど全く気にしていなかったが。 「さて、そろそろお開きにしましょうか」 空が演奏を終え、ギターをケースにしまう。召幸は、まだ少しぼーっとした様子で、自分の肩に寄りかかっている龍の少女を、今度は突き放さずにいた。 「……貴殿の技、いや、音楽は見事だった。忍としての戦い方は学べなかったが、心の置き所については、少しだけ分かった気がする」 「そう言っていただけると嬉しいです。またいつでも、音楽を聴きに来てくださいね」 召幸は、隣にいる三人の美女たちを見た。相変わらず、視線には熱い好意が込められており、衣装も相変わらず大胆だ。しかし、先ほどまでの「悩み」という感覚は、少しだけ軽減されていた。彼女たちが自分を想ってくれていることは、最強の忍である自分にとって、案外悪いことではないのかもしれない……と。 「……まあ、たまにはこういう時間があってもいいか」 召幸が小さく呟くと、三人の美女たちは歓喜の声を上げ、彼に抱きついた。 「えへへ、召幸さま大好きー!」 「あらあら、素直になりましたね」 「やったー! お祝いに美味しいもの食べに行こう!」 「わあああ! 離せ! 離せと言っているだろう!」 再び、草原に召幸の慌てふためく声が響き渡る。空はそれを聞きながら、次の曲のメロディーを口ずさみ、ゆっくりと歩き出した。 最強の忍と、才能ある音楽家。目的も能力も全く異なる二人の出会いは、心地よい音楽と、少しばかり騒がしい愛情に包まれて、穏やかに幕を閉じたのである。 後日、界隈では「最強の忍が、美女三人を連れて音楽祭に現れた」という噂が流れたという。もちろん、本人は全力で否定したが、その表情は以前よりもずっと柔らかくなっていたという話だ。